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魔王・董卓の真実(9) 命を狙われるのも仕方がなかった

「皇帝廃立→殺害」「長安遷都」「洛陽の破壊」……考えうるすべての暴虐を成しとげたかのような男、董卓。そんな彼の権力にも、ついに終わりが近づいてきます。董卓政権はまさに、身内から崩れていくのです。


三国志お笑いネタ(1)

魏・呉・蜀がそれぞれ滅亡してから約1000年後。「三国志」の娯楽化が進むことで、まさかの三国志を題材にした漫談や喜劇が生まれました。本記事では、三国志をテーマにしたお笑いネタをご紹介します。


肥沃な領地とお家騒動、荊州の支配者劉表一族

荊州の劉表は演義では穏やかで劉備(玄徳)を保護した人物として知られています。その一方で蔡瑁たち後妻の一族にそそのかされ、後継者を次男の劉琮にしました。そのことによって、死後に荊州が曹操に支配される原因を作ったとも言われます。実際の劉表及びその一族はどのような人物だったのでしょうか?


「泣く子もだまる」最強の武将 張遼(15) 張遼の偉業は、どう受け継がれたか?

武将として比類なき強さを示し、後世に伝説として語り継がれる張遼。彼が命を賭けた合肥は、その後大きな改革を経て、さらに強力な防衛拠点として生まれ変わったのです。


益州の攻防 劉備軍大苦戦と龐統(士元)の死

天下三分の計を実現するため、劉備(玄徳)は蜀(益州)に侵攻します。同族の劉氏でもあった劉備(玄徳)と劉璋(季玉)。当初は悪い中ではありませんでしたが、あえなく決裂。劉備(玄徳)の本格的な蜀への侵攻が始まります。しかし、天険の要害に守られた蜀の攻略は容易ではなく、劉備軍は大苦戦を強いられます。


進撃の荊州軍 劉備(玄徳)のもとに続々と集まる蜀の人材

曹操(孟徳)、孫権(仲謀)支配下の外にある益州(蜀)。統治するのは暗君劉璋(季玉)。劉備(玄徳)の入蜀に際し、それ程の激戦はないであろうとの予測に反し、荊州軍は大苦戦を強いられます。結果的に軍師龐統(士元)を失い、涪城に劉備(玄徳)が閉じ込められる事態に。しかし、諸葛亮(孔明)、張飛(翼徳)、趙雲(子龍)率いる援軍が到達すると形勢が一気に逆転。ここから、荊州軍の進撃が始まり、それに呼応するように続々と蜀の人材が劉備(玄徳)のもとに集まって来ます。


あいつも前科者なの!? Part1

三国志演義で曹操は大悪党の親玉として描かれています。事実曹操は、少年期~青年期にかけてはヤンキーとして過ごしていたので、現代の警察や裁判所の厄介になることもしばしばありました。しかし、三国志演義には、前科を持っている者が他にも登場しています。


三国志・大将である孫策と一騎打ちで引き分けた 太史慈 の信義

三国志 時代、呉の武将の中でも歴代トップクラスの武勇の持ち主が 太史慈 です。孫策と一騎打ちを演じ、引き分けたところから孫策に従うようになります。信義に篤い名将・太史慈 をご紹介しましょう。


史上最高の軍略家! 魏と蜀を蹴散らした天下の豪傑【呂蒙】②

魯粛に認められていく呂蒙は、曹操や関羽とも対決していき、徐々に名を天下に知らしめていきます。孫権からの信頼も厚くなっていくさまは、周瑜にも匹敵する将軍であることを意味していきます。ここでは呉の重鎮となっていく呂蒙をみていきます。


一発逆転の鄧艾の戦略と日本陸軍のインパール作戦に相違点はあるのか

不可能を可能にし、形勢を一気に変える険峻な山岳地帯を踏破しての侵攻。三国志では鄧艾の蜀侵攻が有名ですし、日本陸軍ではインパール作戦が有名です。相違点について見ていきましょう。


もしも三国志演義でお馴染みの五虎大将軍がスーパー戦隊シリーズになったら

三国志演義ではお馴染みの蜀の5人で構成された五虎大将軍ですが、実際どのくらい強かったんでしょうか?今回はちょうど5人ということからもしも三国志演義でお馴染みの五虎大将軍がスーパー戦隊シリーズになったらという名目でそれぞれにスーパー戦隊の役割を加えてみようと思います。


官渡の戦い--天下の行方を決めた!?

中国統一を果たせなかったとは言え、曹操の魏国は中国の七割を支配しました。その途中で最大の敵となったのは北方の名門袁紹一族でした。曹操と袁紹の一大決戦「官渡の戦い」。狭義では官渡の地での決戦のみを示しますが、広義では曹操と袁紹の戦い一連を表します。ここでは広義の「官渡の戦い」を見ていきます。


三国志昔ばなし ~張飛(益徳)特集~

三国志は本や演劇以外にも親が子へ語り継ぐ民話の形としても残されてきました。 アジア諸国の人々から財神とあがめられる関羽(雲長)ですが、読み物や演劇のスターとして登場回数が最も多いのは弟の張飛(益徳)です。今回は張飛(益徳)が登場する民話を紹介します。


三国志・名声を曹操に認められた王脩とはどのような人物なのか?

三国志にはあまり名前が知られていないものの、優れた才能を発揮した人物がたくさん登場しています。今回紹介する王脩もそのひとりです。


武将たちのゲーム!三国志遊戯大全~その1~

三国志の時代もボードゲーム、ダイスゲーム、カードゲーム、球技などのお遊戯が盛んに行われていたようです。実際三国志演義では、関羽や曹操が碁を打っているシーンが出てきます。


華佗(かだ)の医療実績はここがスゴイ!!(3)

中国古代の医学書、正史三国志、後漢書などの歴史書には、華佗の輝かしい医療実績が収録されています。映画やドラマでは決して知ることのない華佗の手術シーンをご堪能ください。


赤壁後の混乱 合肥城の攻防と荊州の領有権争い

赤壁の戦い後は曹操軍、呉軍、劉備軍の「三つ巴」様相が鮮明になって行きます。南郡においては呉軍と劉備軍が衝突。劉備軍はさらに荊州南部へ侵攻、そして合肥方面では孫権(仲謀)率いる呉軍が曹操軍の守る合肥城を攻撃します。


曹操とは何者だったのか(青年編 3) 正義漢・曹操……こんな人だっけ?

若手政治家として、本格的に政界進出を果たした曹操は、皇帝に直接意見を述べる機会にも恵まれます。また地方の長官となってからも、世の中をよくすべく尽力しています。あるいはこの人……「漢の忠臣」なんじゃないかと思わされるほどです。


蜀への隘路 劉備(玄徳)と劉璋(季玉)の関係は悪くなかった

211年、諸葛亮(孔明)が企てた天下三分の計をいよいよ実行するための行動が開始されます。益州(蜀)は天下を三分して力の均衡を図るための強力な地盤となります。当初、劉璋(季玉)を除いて蜀を支配することは、それ程難しくないと考えられていましたが、甘くはありませんでした。劉備(玄徳)は入蜀に際し大苦戦を強いられるのです。


「泣く子もだまる」最強の武将 張遼(10) 張遼の宿敵・彼はどんな男だったか?

張遼は合肥(がっぴ)の戦いで、攻め寄せてきた孫権軍を見事返り討ちにしました。手痛い敗戦を喰らった孫権。張遼の宿敵だった彼は、どんな人物だったのか…ちょっと寄り道して見ていきましょう。


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故事 三顧の礼 泣いて馬謖を斬る 苦肉の策(苦肉計) 破竹の勢い