蜀への隘路 劉備(玄徳)と劉璋(季玉)の関係は悪くなかった

蜀への隘路 劉備(玄徳)と劉璋(季玉)の関係は悪くなかった

211年、諸葛亮(孔明)が企てた天下三分の計をいよいよ実行するための行動が開始されます。益州(蜀)は天下を三分して力の均衡を図るための強力な地盤となります。当初、劉璋(季玉)を除いて蜀を支配することは、それ程難しくないと考えられていましたが、甘くはありませんでした。劉備(玄徳)は入蜀に際し大苦戦を強いられるのです。


絶対必要と分かっていても残り続ける劉備(玄徳)の葛藤

仁義を貫いてきた劉備(玄徳)にとって、同族(劉氏)である劉璋(季玉)が治める蜀を取ることは簡単な選択ではありませんでした。これは荊州の時と同じです。当時の荊州牧であった劉表(景升)の死に乗じて荊州を支配下に置くことが出来なかった…。同族の「よしみ」を感じ、蜀侵攻についても頭では理解(天下三分の計に不可欠である)していても、心の葛藤は残り続けました。

ちょうどこの頃、漢中の張魯(公祺)が蜀に攻め込んで来ます。表向き、張魯(公祺)の侵攻を止めるために劉備軍は「蜀から要請されて」来ています。劉璋(季玉)にしてみれば「自分の国(蜀)を守ってもらうために来ている軍の総大将」な訳です。劉備(玄徳)に対して悪い印象など持つ筈がありません。

入蜀が開始された当初、劉備(玄徳)と劉璋(季玉)の仲はそれ程悪くありませんでした。現に、劉備(玄徳)が涪城に到着した際に劉璋(季玉)直々に出迎えています。

当事者同士は蚊帳の外 劉備(玄徳)入蜀の是非に騒ぐは家臣

入蜀に対してどうしても積極的になりきれない劉備(玄徳)に対して、諸葛亮(孔明)、龐統(士元)らは、この上なく前向きです。蜀臣の張松(永年)、法正(孝直)が相次いで荊州を訪問し入蜀を勧めるも曖昧な態度を取る劉備(玄徳)に「なぜ快諾されないのか?」と問いただす程です。

対して、蜀側はもっと大騒ぎです。劉璋(季玉)は、張魯(公祺)から蜀を防衛するために来た劉備(玄徳)を涪城まで出迎えに行くと言い出したから大変です!劉備(玄徳)自身は戸惑っていると言えども、劉璋(季玉)が涪城に入れば命を狙われるのは明らか。黄権(公衡)、劉巴(子初)など蜀の重臣たちが猛反対します。しかし、劉璋(季玉)は考えを改めません。反対を押し切って出発する劉璋(季玉)の馬車の前に一人の蜀臣(王累)が城門に足を縛り付け逆さ吊りになって訴えます。

「殿、劉備(玄徳)に会いに行く事はおやめください。お聞き入れいただかなければ縄を切り自害する覚悟です」

しかし、もはや冷静に考える事が出来ない劉璋(季玉)。王累に対して「お前は主君を脅迫するのか?」と言ってそのまま城門を出てしまいます。そして王累は自害。程度の差こそあれ、荊州も蜀(益州)も家臣たちの方が騒いでいる感じです。

殺伐なる剣の舞を諫める劉備(玄徳)

涪城では歓迎の宴が催されます。劉備(玄徳)と劉璋(季玉)は「共に漢朝のために」と和やかなムードですが、周囲の空気は明らかに違います。劉璋(季玉)を暗殺しようとする動きと、それを阻止しようとする動きが交錯し重々しい雰囲気です。そして、そこに龐統(士元)が「剣の舞を興じると称して劉璋(季玉)を切れ」と魏延(文長)に命じます。

劉璋(季玉)の目前で剣の舞を興じる魏延(文長)ですが、殺気を察知した蜀の将張任が剣の舞に加わります。強張った二人の表情、風を切る音は鋭く、交わる剣の音は強く重く遠くまで響き渡ります。加勢せんとばかりに荊州の将、蜀の将が次々と剣の舞に加わります。大勢で剣を振り回す様相。一触即発の殺伐とした雰囲気になります。

この状況に喝を入れたのが劉備(玄徳)でした。

「無礼であるぞ!」「我々(劉備と劉璋)はこれから共同して漢朝のために戦おうとしているのに、その目前でなんたる殺伐たる舞を見せるか!」

そう言って早々に騒ぎを静めてします。現状の劉備(玄徳)の影響力を象徴する場面です。

劉璋(季玉)暗殺を企てた龐統(士元) 劉備(玄徳)に叱責される

直接魏延(文長)に命じたのは龐統(士元)ですが、張松(永年)、法正(孝直)といった蜀臣が後ろ盾となっていたことは言うまでもありません。涪城で劉備(玄徳)と劉璋(季玉)が直接会う…千載一遇の機会です。暗殺に否定的な劉備(玄徳)の気持ちは理解しつつ、張松(永年)、法正(孝直)の勧めに任せ、龐統(士元)は確信犯的に「剣の舞」を魏延(文長)に命じます。その辺りの動きは十分察知している劉備(玄徳)。宴会後、早々に龐統(士元)を呼び、彼を強く叱責します。かつて、関羽(雲長)、張飛(翼徳)、諸葛亮(孔明)にすら行った事のないような劉備(玄徳)の厳しい叱責でした。

劉備(玄徳)が去った後、龐統(士元)は一人呟きます。

「殿…また遠回りをなされるか…」

大賢人にも個性あり 諸葛亮(孔明)と龐統(士元)の対応の違い

仁義を重んじるがあまり、劉備(玄徳)は覇権争いという面において「遠回り」の判断をしてしまうことがあります。代表的なのが荊州で劉表(景升)の後継者を選ぶ際の一件です。天下三分の計の足場固めのために荊州はどうしても必要。荊州の臣たちも悪い反応は少ない。劉備(玄徳)が進んで荊州牧になると主張すれば、それ程困難なく荊州牧になれたはずです。しかし、劉備(玄徳)は劉表(景升)の長男劉琦に跡を継がせるよう、あくまでも「義」を通そうとします。

揉めているうちに、結局、荊州は曹操軍に占領される始末。

諸葛亮(孔明)はそんな状況でも劉備(玄徳)の考えに従順に呉へ連合の交渉に出向いたりします。この辺りの対応の違いは大賢人と言えども個性があります。

張魯(公祺)の葭萌関攻撃と劉備(玄徳)、劉璋(季玉)の決裂

劉備(玄徳)、劉璋(季玉)の双方の家臣たちが不安定な信頼関係に揺らいでいる最中、漢中の張魯(公祺)が葭萌関に攻め込んで来ます。劉備(玄徳)が入蜀した「表向き」の名目(張魯から蜀を守る)を行使する必要が出てきたのです。劉備(玄徳)は直ちに葭萌関へ進軍しますが、劉備軍の圧倒的勝利…という訳には行かず、戦況は膠着状態となっていました。

そこで、龐統(士元)からひとつの提案がありました。「戦況が長期化していることを理由に、兵の増員と兵糧の援助を求めては」というものでした。増員、援助にどのように応じるかによって、劉璋(季玉)の劉備(玄徳)に対する本心を探ろうと言う考えです。

結果、送られてきたのは少数の老兵となけなしの古びた食料のみでした。もちろん、劉璋(季玉)の家臣たちが劉備(玄徳)への援助は危険(劉備軍を増強させてしまうことになる)と判断してやった事でしたが、これを劉璋(季玉)には止める事が出来ませんでした。送られてきた兵と食料を見て怒りを露わにする劉備(玄徳)。「こんなもの(送られてきた兵と食料)を見せて、どうして我が兵(劉備軍の兵士たち)に命を懸けて戦えと言えるか!」と一際強い怒りです。

まとめ

こうして劉備(玄徳)と劉璋(季玉)は決裂。荊州と益州(蜀)は敵対関係となりました。「天下三分の計」がなければ、「張魯(公祺)の葭萌関攻撃」がなければ、二人の性格や同じ劉氏であることから考えても、決して争うことはなかったでしょう。劉備(玄徳)と劉璋(季玉)の敵対は、まさに時代がそうさせたと言っても過言ではありません。

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