孫策の最期
■ 孫策の最期
孫策の最期
200年といえば河北の覇者である「袁紹」と、献帝を保護した「曹操」が黄河を挟んで激突を繰り返していた時期にあたります。曹操が袁紹を破った「官渡の戦い」はこの年の10月のことです。
小覇王の異名で人気のある「孫策」は江東を制圧しており、曹操はこれを手なずけようと考え、孫家との間に政略結婚を行っています。友好関係を結びつつも、孫策は曹操が袁紹と対峙している隙を突いて許都へ侵攻、献帝の身柄を確保する準備を進めていきます。さすがの曹操も袁紹と孫策を同時に相手にする余裕はなかったでしょう。孫策がこのまま許都に侵攻していたら、はたして曹操はどのような対応をしたのでしょうか。
実際の歴史ではこの200年には、孫策は許都へ侵攻する直前に刺客に襲撃されて負傷し、その傷がもとで亡くなってしまうのですが、「もし、孫策が生きていたら、曹操はこの危機に対して、どう対処したのか」について今回は考察していきます。
曹操が袁紹自慢の二将を討ち取った白馬・延津の戦い
■ 曹操が袁紹自慢の二将を討ち取った白馬・延津の戦い
曹操が袁紹自慢の二将を討ち取った白馬・延津の戦い
200年4月に孫策は暗殺される形でこの世を去るわけですが、時を同じくして、北では袁紹軍10万と曹操軍1万が激突しています。
「白馬・延津の戦い」です。
黎陽に本陣を置いた袁紹は、先鋒の顔良の部隊を渡河させて白馬を攻めます。曹操は白馬より40km上流にある延津から渡河して黎陽を突く陽動を行い、敵の注意を引きつけてから、一気に白馬を囲む顔良を攻めて討ち取ります。袁紹は次の先鋒に文醜を指名し、延津を攻めさせ、退却する曹操を追撃しますが、伏兵によって文醜もまた戦死しました。
このように寡兵ながら曹操は陽動と機動力を駆使して何とか袁紹と互角の戦いをしていくことになります。もし、このタイミングで南から孫策が許都を狙って動いたら曹操はどうしたでしょう。
誰を孫策にぶつけるのか
■ 誰を孫策にぶつけるのか
誰を孫策にぶつけるのか
一番の脅威は何といっても大軍を率いる袁紹です。ここに対しては、やはり曹操自身が指揮しない限り活路は見いだせません。「官渡の戦い」では曹操が敵の兵糧庫である烏巣を襲撃し、奇跡の大逆転劇を演じています。曹操がいなければ袁紹に押しつぶされてしまうことは明白です。そうなると誰を南から侵攻してくる孫策にぶつけるのかということになります。軍師・参謀役としては荀彧がいます。しかし武勇に優れる孫策の勢いを止めることは至難の業です。曹操がいれば臨機応変に対応できるのでしょうが、曹操は完全に北に縛られています。
夏侯惇・夏侯淵・曹仁・曹洪といった生え抜きの勇将がいますが、孫策の陣営にも孫策の他に周瑜や太史慈、黄蓋、程普、韓当という布陣ですから、なかなか厳しい戦いになるでしょう。そもそもそこまでの武将を南に割くことは難しい状態です。袁紹のプレッシャーが凄いからです。実際に官渡に引いて防戦一方になった曹操はさらに戦線を下げるべきか悩んでいます。ここで退いていたら曹操はきっと滅んでいたことでしょう。絶対に退かずに堪えるよう進言したのが荀彧です。
もはやあの人しかいないのでは
■ もはやあの人しかいないのでは
もはやあの人しかいないのでは
つまり曹操軍は総動員態勢でようやく袁紹の猛攻を堪えていたことになります。張遼や徐晃、楽進といった猛将も死に物狂いで戦っていたことでしょう。この状況で孫策に対抗できる人物といえばあの人しかいないのではないでしょうか。
「関羽雲長」です。
この時点では関羽は曹操の客将のような立場です。曹操への借りを返すべく白馬で顔良を討っています。三国志演義では文醜を討ったのも関羽の手柄になっていますね。しかし関羽は袁紹の陣営に劉備がいることを知り、曹操のもとを去ることになります。
整理してみましょう。200年4月の時点で、袁紹に対しては曹操が直接兵を率いて対峙。さらに南の孫策に備えて関羽を向かわせるという戦略です。総司令官は荀彧あたりかなと思いますね。実際に戦うのは関羽です。「孫策VS関羽」という幻の戦いが実現することになりますね。
果たしてどちらかが勝つのか
■ 果たしてどちらかが勝つのか
果たしてどちらかが勝つのか
史実では200年7月には劉備が曹操の後背を突く形で汝南に現れますが、曹仁に撃退されています。それを考慮すると、関羽の後詰は曹仁ということでしょうか。
「赤壁の戦い」の直後には荊州で周瑜は曹仁と戦っており、その後は関羽が曹仁と戦っています。そのメンバーが一堂に会するわけですから、仮想のお話ながら因縁のようなものを感じてしまいますね。
しかし「孫策&周瑜」は最強コンビといっても過言ではないですから、関羽といえどもこれを撃退することは難しいのではないでしょうか。用意周到な荀彧のことですから、何かしら策を用いると思いますが、この状況でできる効果的な方法といったら孫策の暗殺しかありませんね。荊州の劉表の手を借りたいところですが、むしろ袁紹と組んでいるので敵ですね。
寿春や汝南あたりは突破される可能性が高いのではないでしょうか。そうなるともはや本土決戦。許都での防衛線になってしまいますね。風前の灯火の状況に追い込まれることになります。
まとめ・関羽が太史慈・孫策を討ち取るか
■ まとめ・関羽が太史慈・孫策を討ち取るか
まとめ・関羽が太史慈・孫策を討ち取るか
この状況で孫策の暗殺は不可能に近いでしょう。そうなると一発逆転の手は、関羽が一騎打ちで孫策を討つことになります。おそらくその前に太史慈が来るでしょうから、顔良・文醜を討ち取ったように太史慈を討ち、その勢いで孫策を討つしかありません。孫策は陣頭に立って兵を鼓舞する戦い方をしますから、充分に一騎打ちに持ち込むことは可能です。
これは実に興味深い一騎打ちになりそうですね。どちらの武勇も超一級品です。関羽が勝てばそれで曹操軍の勝利です。孫策が勝てば許都まで兵を進めることができます。そうなると曹操は袁紹との戦線を下げ、許都に戻ってこなければなりません。烏巣の急襲もできず、曹操は完全に包囲されてしまいます。袁紹の大軍と孫策の精鋭によって許都は落城することになるでしょう。こうして曹操は滅亡するのです。
ただ、あの曹操がそんなに簡単に滅亡するはずがありませんので、意表を突いた手を打ってくることも考えられます。献帝の命令で停戦協定を結ぶという戦略もありますね。
孫策が生きていたら・・・そう考えるとなぜかワクワクするのは、私だけでしょうか。