三国武将単体ならば誰が最強!?個人的にランキングをつけてみた。

三国武将単体ならば誰が最強!?個人的にランキングをつけてみた。

三国志の世界には魏、呉、蜀がありそれぞれには当然武勇に優れた人物も多くいます。今回は独断と偏見で強いと思う武将を紹介していこうと思います。それでは三国志最強の武将の待つ世界へ!レッツ三国!!!


5位 張飛翼徳

5位 張飛翼徳

5位 張飛翼徳

なんと個人的5位にランクインしたのは張飛翼徳です。小説やゲームなど蜀の義兄弟の中ではわりと脇役という印象もありますが、体格も良くて暴れん坊というイメージがあります。腕っぷしだけならイメージなら魏の許褚仲康と同じくらいのレベルではあるような気がします。

大食らいであることは間違いありませんが、大酒飲みでかなり酒癖も悪かったと言われています。おまけに超がつくほどの短気で頭に血がのぼるとどうすることもできなかったとか。やはりイメージ通りの武将なんですよね。

その強さははというとたった20人で5000人を退けてしまったという武勇の持ち主です。これは逆算すれば仮に1人だとすれば5000人の20分の1ですから250人は片づけてしまえるような計算になります。いくら強者とはいえ、このエピソードからするとむしろ最強でも良いとは思うのですが、あくまでも個人的な主観なので5位ということにさせてください。

4位  許褚仲康

4位  許褚仲康

4位  許褚仲康

4位は前述の張飛翼徳の紹介の際にも名前だけはあがってましたが、魏の将である許褚仲康です。許褚仲康と言えば某有名ゲームの中では大柄で太った田舎者の力持ちというイメージですが、実際問題、許褚仲康は身の丈は184センチということで当時としてはかなり大柄であったとされています。

胴回りはなんと120センチもあったそうなので太った武将として描かれているのです。ただ、あまり頭は良くなかったらしく、ついたあだ名は虎痴(こち)でした。虎のようであって頭が悪いということでついたのだとは思いますが、本当の名前は許褚仲康なので間違えないでくださいね。

その強さというのは言わずもがなの部分がありますが、酒に酔っていたがために張飛翼徳に負けたと言われているので少なくとも張飛翼徳よりは強いという評価だったのではないかと思われます。また、エスパーかのごとく先を読む力もあったとの噂もあることから頭が悪いのではなくのんびりしていてマイペースなだけなのではないかと推測できます。

また、忠誠を誓った曹操孟徳が亡くなった際には血を吐いただとかいうレベルの動揺の仕方なのでかなり曹操孟徳のことを慕っていたのではないかと思われます。これだけ部下に愛されている曹操孟徳は志半ばで亡くなりましたが幸せだったのではないかと思います。

3位 趙雲子龍

3位 趙雲子龍

3位 趙雲子龍

3位は何といってもこの人!趙雲子龍!蜀の武将ですが、イケメンかつ格好良い主人公として描かれることも少なくはありませんね。堂々の3位にランクインしています。当然ながらその武勇も誇らしいものであるとは思うのですが一体どんなところが3位の理由なのでしょうか?

三国志演義では数々の活躍を見せている趙雲子龍ですが、正史ではあまり活躍していません。ただ、あくまでもイメージなのでそのあたりは三国志演義でのイメージを重視します。有名なエピソードとしては長坂の戦いのときにたった一騎で敵の陣中内に劉備(玄徳)を探し回ったというものがあります。

敵陣の中をたった一騎でなんてまさに日本の戦国時代の真田幸村ばりの勇士の持ち主だとは思いませんか?このようなエピソードも踏まえた結果、趙雲子龍はかなり力をもった武将であるということでこの位置にランクインさせていただきました。

2位 関羽雲長

2位 関羽雲長

2位 関羽雲長

うーん。なんといっても2位は関羽雲長でしょう。最後までとあるお方と悩んだのですが、やっぱりとあるお方のイメージが強すぎるので関羽雲長さんが2位という結果になりました。好きな武将ランキングとかであれば断トツの1位なんですが、やっぱり強さではまだ名前の出てないお方が上ですよね。

関羽雲長さんが強かったというエピソードですが、あげるとキリがありません。代表的なのは顔良軍に突撃して顔良の首を取って帰ってきたというものがあります。顔良というと袁紹軍の中でもかなり有能な武将にあたるので、それを突撃して討ち取るというだけで関羽雲長さんの強さは三国志を知っている人ならわかります。

他にも宴会の最中に毒矢の手術をしたのですが、肉を削られているときに普通で考えれば麻酔もないはずなので痛いと感じるはずなのに平気で飲み食いしていたというエピソードがあります。他にも弓矢を額に受けても平気だったり、関羽雲長なら10000人を相手にしても一人で戦えると言われてみたりと周囲の評価はかなり高かったようですね。正史ではむしろあのお方よりも関羽雲長のほうが強いかもしれません。

1位 呂布奉先

1位 呂布奉先

1位 呂布奉先

はい!出たー!!!!誰もが予想したとおりの人です。日本人が三国志で最強の武将は誰?と考えた際はやはり呂布奉先しかいないのではないでしょうか?某有名ゲームでも最強に位置づけられているのでそのイメージがおそらく強いかと思います。

そんな呂布は正史でも弓術と馬術に長けた名将として知られ、別名を飛翔と言われます。腕っぷしも決して弱くはないのですが、こうした異名から素早さというか速攻性には長けた武将だったのではないでしょうか?

董卓軍などには属していましたが、メインとなる魏、呉、蜀には属しておらずとのことで、それが理由かはわかりませんが中国国内での人気は乏しいようです。まぁ裏切りを何度も繰り返している時点で悪役として見られると思うので人気が高いはずもないのですが、それでもイメージでは断トツでこの人ということで日本人の皆さんには納得していただけると個人的には思います。

三国志最強の武将は結局は呂布奉先

三国志最強の武将は結局は呂布奉先

三国志最強の武将は結局は呂布奉先

三国志の最強の武将を個人的にトップ5形式で紹介してきましたがいかがでしたでしょうか?自分だったらこうだとかという意見もあるかとは思いますが、個人的なイメージにしかすぎないので共感していただけたら嬉しく思います。

最後まで関羽雲長と呂布奉先で悩みましたが、関羽雲長のほうが好きだという気持ちと好きな気持ちだけで1位にあげて批判されたらどうしようという思いが交差する中で誰もが納得するであろう呂布奉先を選びました。後悔はありません。

三国志を知っている人、まだあまり知らない人、これから三国志を知ろうと考えている人、など本当に様々だと思います。皆さんも今回の記事を読んで自分の中のランキングを頭に思い浮かばせることができたなら考えて書き出してみても面白いのではないでしょうか?





この記事の三国志ライター

関連する投稿


三国志の英雄がイケメンに!?三国志をテーマにした女性向けゲームアプリ!

日本の戦国時代や幕末をテーマとした女性向け恋愛シミュレーションアプリがあるように、三国志をテーマにしたものも存在するんです! 素敵な英雄と恋を楽しんでみませんか?


三国志の人材コレクター!曹操が集めた魏の武将たち

群雄割拠の三国時代において、抜きんでた兵力を誇った魏の国。その礎となったのは、「人材コレクター」の異名を持つ曹操孟徳が集めた、優れた武将たちの働きでした。曹操は優秀な人材なら出自を問わず重用し後の蜀の皇帝・劉備(玄徳)の腹心である関羽まで手に入れようとしたほどです。そんな曹操のもとに集った腹心たちをご紹介します!


三国志の始まり~王朝の乱れより黄巾の乱の始まり~

「蒼天己死」~そうてんすでにしす~ 腐敗した漢王朝に代わる新しい世界を求めた者たちは、この言葉のもと各地で蜂起する。これが「黄巾の乱」である。この反乱が成功することがなかったが、三国志の英雄たちを歴史の表舞台に登場させることとなる。


董卓~三国志随一の暴君~

黄巾の乱後の政治的不安定な時期を狙い、小帝と何皇太后を殺害し、献帝を擁護し権力を掌握していく朝廷を支配していた絶対的存在。 政権を握った彼のあまりにもの暴虐非道さには人々は恐れ誰も逆らえなかった。 しかし、最後は信頼していた養子である呂布に裏切られるという壮絶な最後を遂げる。


魏軍武勇筆頭! 義にも厚かった猛将・張遼

曹操配下の将軍の中でもトップクラスの評価を受けるのが張遼だ。幾度か主君を変えた後に曹操に巡り合い、武名を大いに轟かせる。最後まで前線に立ち続けた武人の生涯をたどる。


最新の投稿


三国志ってなんなのさ? 魏・呉・蜀って世界史で学んだような?

『三国志』は、後漢末期から三国時代にかけての中国大陸を舞台に、魏・呉・蜀の三国が覇権を争う壮大なドラマと言えます。 その魅力を伝えたい。なぜ、魅力があるのか考えながら解説していきます。


”匈奴”草原を風のように駆け抜け帝国を震え上がらせた遊牧の戦士

想像してみてよ。広大なモンゴル高原を、風のように馬を駆け巡る人々がいたんだ。彼らは「匈奴(きょうど)」って呼ばれる遊牧騎馬民族。時は紀元前3世紀末から後1世紀末。彼らの暮らしはまるで大地と一体化したようで、馬と共に移動しながら生きていた。その姿は勇猛果敢で、各地の国々を相手に壮絶なバトルを繰り広げていたんだよ。


キングダム 蒙恬の死因とは? その真実に迫る

蒙恬は、コミック、キングダムにおいて主人公・信と同世代の武将であり、名門武家の出身でありながら、飄々とした性格で周囲を和ませる一方、戦場では冷静沈着な指揮官として才能を発揮。楽華隊、その旗印である「楽」の文字通り、戦場においてもどこか余裕を感じさせる姿は、多くのファンを魅了しています。史実では?死因は?興味あり。


キングダム 李牧 の史実を知りたくなった方、必見!

キングダムの李牧の活躍シーンを見て、その圧倒的な存在感に心を奪われた経験はありませんか? 趙の名将・李牧は、作品の中でも特に印象的な人物として多くのファンの心を掴んでいます。漫画やアニメ、映画で 李牧 の活躍を追っている人も少なくないでしょう。最強の知将として知られる李牧の人物像をご紹介します。


秦の始皇帝の時代、李信 の実像と影響

李信(りしん)は、中国春秋戦国時代末期の秦国で活躍した将軍で、秦の始皇帝(秦王政)の下で多くの戦役を指揮しました。彼の正確な生没年は不明ですが、紀元前3世紀の秦の統一戦争で中心的な役割を果たしました。『史記』においては、「若く勇壮で、軍事的才能があった」と記されており、特にその若さと大胆さが目立った人物として描かれ