5位 張飛翼徳
■ 5位 張飛翼徳
5位 張飛翼徳
なんと個人的5位にランクインしたのは張飛翼徳です。小説やゲームなど蜀の義兄弟の中ではわりと脇役という印象もありますが、体格も良くて暴れん坊というイメージがあります。腕っぷしだけならイメージなら魏の許褚仲康と同じくらいのレベルではあるような気がします。
大食らいであることは間違いありませんが、大酒飲みでかなり酒癖も悪かったと言われています。おまけに超がつくほどの短気で頭に血がのぼるとどうすることもできなかったとか。やはりイメージ通りの武将なんですよね。
その強さははというとたった20人で5000人を退けてしまったという武勇の持ち主です。これは逆算すれば仮に1人だとすれば5000人の20分の1ですから250人は片づけてしまえるような計算になります。いくら強者とはいえ、このエピソードからするとむしろ最強でも良いとは思うのですが、あくまでも個人的な主観なので5位ということにさせてください。
4位 許褚仲康
■ 4位 許褚仲康
4位 許褚仲康
4位は前述の張飛翼徳の紹介の際にも名前だけはあがってましたが、魏の将である許褚仲康です。許褚仲康と言えば某有名ゲームの中では大柄で太った田舎者の力持ちというイメージですが、実際問題、許褚仲康は身の丈は184センチということで当時としてはかなり大柄であったとされています。
胴回りはなんと120センチもあったそうなので太った武将として描かれているのです。ただ、あまり頭は良くなかったらしく、ついたあだ名は虎痴(こち)でした。虎のようであって頭が悪いということでついたのだとは思いますが、本当の名前は許褚仲康なので間違えないでくださいね。
その強さというのは言わずもがなの部分がありますが、酒に酔っていたがために張飛翼徳に負けたと言われているので少なくとも張飛翼徳よりは強いという評価だったのではないかと思われます。また、エスパーかのごとく先を読む力もあったとの噂もあることから頭が悪いのではなくのんびりしていてマイペースなだけなのではないかと推測できます。
また、忠誠を誓った曹操孟徳が亡くなった際には血を吐いただとかいうレベルの動揺の仕方なのでかなり曹操孟徳のことを慕っていたのではないかと思われます。これだけ部下に愛されている曹操孟徳は志半ばで亡くなりましたが幸せだったのではないかと思います。
3位 趙雲子龍
■ 3位 趙雲子龍
3位 趙雲子龍
3位は何といってもこの人!趙雲子龍!蜀の武将ですが、イケメンかつ格好良い主人公として描かれることも少なくはありませんね。堂々の3位にランクインしています。当然ながらその武勇も誇らしいものであるとは思うのですが一体どんなところが3位の理由なのでしょうか?
三国志演義では数々の活躍を見せている趙雲子龍ですが、正史ではあまり活躍していません。ただ、あくまでもイメージなのでそのあたりは三国志演義でのイメージを重視します。有名なエピソードとしては長坂の戦いのときにたった一騎で敵の陣中内に劉備(玄徳)を探し回ったというものがあります。
敵陣の中をたった一騎でなんてまさに日本の戦国時代の真田幸村ばりの勇士の持ち主だとは思いませんか?このようなエピソードも踏まえた結果、趙雲子龍はかなり力をもった武将であるということでこの位置にランクインさせていただきました。
2位 関羽雲長
■ 2位 関羽雲長
2位 関羽雲長
うーん。なんといっても2位は関羽雲長でしょう。最後までとあるお方と悩んだのですが、やっぱりとあるお方のイメージが強すぎるので関羽雲長さんが2位という結果になりました。好きな武将ランキングとかであれば断トツの1位なんですが、やっぱり強さではまだ名前の出てないお方が上ですよね。
関羽雲長さんが強かったというエピソードですが、あげるとキリがありません。代表的なのは顔良軍に突撃して顔良の首を取って帰ってきたというものがあります。顔良というと袁紹軍の中でもかなり有能な武将にあたるので、それを突撃して討ち取るというだけで関羽雲長さんの強さは三国志を知っている人ならわかります。
他にも宴会の最中に毒矢の手術をしたのですが、肉を削られているときに普通で考えれば麻酔もないはずなので痛いと感じるはずなのに平気で飲み食いしていたというエピソードがあります。他にも弓矢を額に受けても平気だったり、関羽雲長なら10000人を相手にしても一人で戦えると言われてみたりと周囲の評価はかなり高かったようですね。正史ではむしろあのお方よりも関羽雲長のほうが強いかもしれません。
1位 呂布奉先
■ 1位 呂布奉先
1位 呂布奉先
はい!出たー!!!!誰もが予想したとおりの人です。日本人が三国志で最強の武将は誰?と考えた際はやはり呂布奉先しかいないのではないでしょうか?某有名ゲームでも最強に位置づけられているのでそのイメージがおそらく強いかと思います。
そんな呂布は正史でも弓術と馬術に長けた名将として知られ、別名を飛翔と言われます。腕っぷしも決して弱くはないのですが、こうした異名から素早さというか速攻性には長けた武将だったのではないでしょうか?
董卓軍などには属していましたが、メインとなる魏、呉、蜀には属しておらずとのことで、それが理由かはわかりませんが中国国内での人気は乏しいようです。まぁ裏切りを何度も繰り返している時点で悪役として見られると思うので人気が高いはずもないのですが、それでもイメージでは断トツでこの人ということで日本人の皆さんには納得していただけると個人的には思います。
三国志最強の武将は結局は呂布奉先
■ 三国志最強の武将は結局は呂布奉先
三国志最強の武将は結局は呂布奉先
三国志の最強の武将を個人的にトップ5形式で紹介してきましたがいかがでしたでしょうか?自分だったらこうだとかという意見もあるかとは思いますが、個人的なイメージにしかすぎないので共感していただけたら嬉しく思います。
最後まで関羽雲長と呂布奉先で悩みましたが、関羽雲長のほうが好きだという気持ちと好きな気持ちだけで1位にあげて批判されたらどうしようという思いが交差する中で誰もが納得するであろう呂布奉先を選びました。後悔はありません。
三国志を知っている人、まだあまり知らない人、これから三国志を知ろうと考えている人、など本当に様々だと思います。皆さんも今回の記事を読んで自分の中のランキングを頭に思い浮かばせることができたなら考えて書き出してみても面白いのではないでしょうか?