三国志時代の食生活
■ 三国志時代の食生活
三国志時代の食生活
三国志の時代ではどのような食事をとっていたのでしょうか。三国志の時代はとにかく戦いが多く遠征などで離れた土地に訪れることも多かったと言われています。そんな移動ばっかりの三国志時代では家で落ち着いて調理すると言う時間もなかったように思います。
三国志の時代では煮る、炙る、油で炒めるなどの調理法は既にあった様です。三国志時代の主食は主に米とされており、現代と同じように食べられていましたが調理方法が少し違いました。三国志時代は米を蒸して食べており、現代より少し柔らかかったそうです。
他にも小麦粉を作ることは可能だったので小麦粉を練って焼いて食べていたそうですが、パンに近いような食べ物として扱われており、かの有名な曹操、劉備、孫権なども食べていたとされています。
しかし、これだけではお腹を満たすことができませんので、もちろんおかずが必要となります。三国志の時代と言えど生きている生物系等は変わりありませんので、魚や豚牛などが存在しています。もちろん調理方法もそこまで変わりはなく焼き魚にしたりして食べていたそうです。
さらに、豚や牛などは遠征先にも持っていけるよう保存食として活用できることから、燻製などにして長期保存をしていました。
現代と違うのは犬の肉も食べると言うことです。現代の犬はペットとして扱われることが多いですがこの時代では犬の肉はとても美味な食材として扱われており、生のまま食べると言うことも多かったようです。
さらに、この時代から既にデザートと言うものが存在しています。三国志の時代のデザートは桃や梨などが食後のデザートとして食べられていたそうです。決してデザートは近年出来上がったものではなくかなり昔から存在していたということがこの歴史からわかっています。
三国志時代の服装
■ 三国志時代の服装
三国志時代の服装
三国時代の衣類はどのようなものを着ていたのでしょうか。戦闘の時は鎧を着るのは当たり前ですが、いくら武将といえど休む時間はあります。
もちろん、現代でいう私服というものもあるわけで、あまり服装などに気を使わなかった人は現代とどうようで異性から人気もなかったのではないでしょうか。
三国志の時代でもファッションというものが大切になったのは事実です。それでは三国志はどのようなファッションをしていたのでしょうか。まず三国志の時代では「階級」と言うものがあり、皇帝はもちろん1番偉いと言っても過言ではない階級でした。
そのため、他の民とは違い、服装にもこだわりを持っていました。皇帝は季節によって違う色の服を着ており、年間で5色程度の服を着るようにしていました。
また、よく歴史の教科書などでも出てくる帽子の前後にすだれのような飾り付けがされている帽子のことを冕と言います。これは皇帝しか被ることを許されていませんでした。他のものは巾と言うのを被っており、身分がよくわかるようになっていました。
臣下は禅と言う服を着ており、とてもラフな着物のようなものを着ていました。あくまで服装などは身分の高いものと低いものの区別がつけられるような仕組みがなされていたようです。
またファッションに合わせて整えなければいけないのは髪型です。しかしこの三国志の時代では髪型はあまり整えずに切ると言う人も少なかったようです。
親からもらった体を傷つけてはいけないという考え方もこの時代にはあったようです。現代でも似たような考えの人もいるのではないでしょうか。なので、女性だけではなく男性も髪の毛は生まれてから死ぬまでずっと伸ばし続けると言うのが常識だったようです。
ただし、罪を犯してしまう罪になった時は髪を切ることが原則となっているためその時は単発を行います。食べている髪の毛は頭のてっぺんで団子にして布などで被っているというのが三国志時代の髪の毛だったようです。
男性でも髪が長いとなると洗ったりするのはとても大変そうです。雪では髪を洗うのは大変なため、ほぼ丸一日かけて髪を笑っていたと言う人もいるようです。もちろん洗わないとなると汚れてしまうので清潔感を保つ大事にするために1日かけて洗って乾かすということを繰り返していたようです。
三国志時代の住居
■ 三国志時代の住居
三国志時代の住居
それでは三国志の時代の住居はどのようなものだったのでしょうか。歴史上の遺物として城の跡や宮殿の跡などは情報として残っていたり、発見されていることも多いかと思います。もちろん、そういったお城や宮殿には階級の高い人たちが住んでいることが多く、有名な武将などもそこで育ったとされています。
現在でもそういった情報などは残っていることが多いため、間取り等もわかっている建物などもあります。また、当時のしきたりとして男性と女性が住んだり、生活する場所は書かれていたということがわかっています。そのため自分の恋人などに会いに行くのも一筋縄ではなかったようです。
武将はこういった裕福な場所で裕福な生活を送ることができましたが、その国で普通に生活していた民たちはそこまで裕福な生活を送っていたわけではありません。当時は現在のようなコンクリートなどもないため、はまぐりの貝を粉末にしたもので建物の壁を作っていました。このはまぐりと泥を合わせて壁を作り小さな家を作っていたとされています。
さらに当時は周りの盗賊などから狙われることもあったため、家の周りに壁を作ったりし防犯対策などを行っていました。家には2カ所穴を開け、光が差し込む穴と換気用の穴を作り、家の中を快適に過ごせるようにしていたそうです。
当時の人が直接地面に座って生活を送っていたためもちろんテーブルやイス等もありません。当然の人それでも良いと言う生活を送っていたため、防犯と快適さがしっかりしていて料理が作れる環境があればそれを家とみなしていたようです。
また、現代ではキッチンとご飯を食べる場所はつながっており、すぐに料理などを持ち込めるようになっていますが、当時は料理を作る台所とご飯を食べる場所が壁で区切られており、料理を運ぶなどもとても苦労していたようです。機能性と言う部分で言えばあまり優れていなかったと言えます。
まとめ
■ まとめ
まとめ
三国志時代というと常に戦場を駆け巡っていてあまりしっかりとした生活を送れていない印象を受けがちですが、こうやって見ると、何不自由なく生活を送れているように見えます。
もちろん階級などによっては、衣食住全て揃えるのが困難な家庭もあったかと思いますが、民を大事にしている国では全員に支給されていたようです。
時代は違えどやはり生活を潤っていないと国も成り立たないようです。