人気記事一覧
三国志には実に多くの一騎打ちがあり、それにより戦局が大きく変わるという事が多々ありました。また一騎打ちを行うことで相手に脅威を与えることができ、さらには下の者「士気を上げる」ことにも役立っていました。ここではそんな一騎打ちにまつわる話を紹介したいと思います。
中国四大奇書のひとつ「三国志演義」は長い間人々に愛されている大傑作です。その大本になった書物が魏志、蜀志、呉志から成る正史三国志です。この書物を記した人物こそ晋の史家である陳寿です。
10万の孫権軍を返り討ちにし、天下にその武名をとどろかせた張遼。その後の彼はどうなったのか、「合肥後」の彼を見ていきましょう。
三国志における三国とは、魏・呉・蜀を指しますが、天下統一を果たすのは、魏から禅譲を受けて建国した晋です。魏の時代から優秀な人材として名を広めていた杜預(元凱)は、総司令官として呉を討伐しました。現代にも知られる破竹の勢いの語源にもなった杜預はどのような人物だったのでしょうか。
本記事は三国志と日本古代史でおきた主なできごとを同時進行でご紹介しています。「三国志で○○の戦いがあったとき、日本では○○があった」の形式でお送りするので、ぜひご一緒に両国の歴史をおさらいしましょう。
孫家三代に仕え、赤壁の戦いでは大勝利をもたらした名将・黄蓋。武勇もさることながら、領地の統治に関しても一流の手腕を発揮しています。今回は呉の黄蓋をご紹介いたします。
三国志・諸葛亮(孔明)の評言を見抜き、豪語した任務を有言実行した甥の諸葛格とは
孫権から将来を期待された「諸葛格」。慢心過ぎる人物として人気がありませんが、確かな実績はあげています。今回はそんな諸葛格についてお伝えしていきます。
冷酷で怖いイメージの曹丕が甘党のスイーツ男子という驚愕の事実
皆さんは曹丕子文を知っているでしょうか?皆さんも良く知る曹操孟徳が32歳の時に出来た息子であり、父よりも冷酷で怖いというイメージがつきまとう武将です。そんな曹丕子文ですがどうやら甘党でスイーツ男子という噂があるようです。そこで今回はその事実について調べてみました。
216年、曹操(孟徳)が魏王となり魏王宮を建設。まさに絶頂期を迎えます。位人臣を極めた曹操(孟徳)の前に左慈(元放)という人物が現れ、幻術によって曹操(孟徳)を散々に苦しめますが、寝込んでしまった曹操(孟徳)を回復させたのは、なんと占いでした。体調が優れず寝込んでいた曹操(孟徳)に天文官の許芝が管輅(公明)を紹介します。幼少のころから天文に精通し非常によく的中する占いで有名だというのです。
トホホな大将軍・何進、無念の死の背景―――何進を再考する(3)
三国志の冒頭でキーパーソンとなる武将、何進(かしん)。黄巾の乱を鎮圧し、大将軍として朝廷に君臨します。しかしその後、皇帝に近侍する宦官(かんがん)に討たれ、あっけなく生涯を終えました。大将軍ともあろう者が、どうして宦官などに首を討たれたのか? 黄巾の乱の鎮圧後、彼の人生が辿った軌跡を振り返ります。
三国志では女性ながら戦闘に参戦したのは稀な存在でした。魏に仕えた趙昂(偉章)の妻だった王異は、馬超(孟起)にも一歩も引かない決死の覚悟で戦いました。この夫妻は協力して馬超に立ち向かい、子どもを殺されながらも馬超を退けることに成功しています。数多くの災難に遭いながらも魏に貢献した王異と趙昂を紹介していきます。
「董卓」「劉備(玄徳)」「曹操」「孫権」のうち誰に仕えるのが得策なのか考えていきましょう。その後の人生を決める大事な決断です。
我が国日本と三国志の舞台中国は、古代より国同士の交わりがありました。そして、三国志の武将や軍師が中国全土の覇権を争っている間にも、日本と中国は国交を行い受け継がれた文化があります。
三国志の晩年では小説である演義の影響もあって、蜀の諸葛亮(孔明)と魏の司馬懿(仲達)のライバル対決が注目を浴びています。その時代において、蜀の北伐を退けていたのは司馬懿に評価されていた魏の将軍【郭淮】です。郭淮(伯済)は、諸葛亮や姜維といった蜀の知将を退け、魏の領土を守り抜きました。そんな郭淮を紹介していきます。
漢室(後漢王家)は後継者に恵まれず、時代を経ると傀儡化されて実権を外戚と宦官に握られるようになります。後漢末期には外戚、宦官以外の官吏にも渡り、もはやその威容は名ばかりのものに。本記事では後漢王朝を荒廃させた宦官と官吏について解説します。
三国時代を終焉させた晋は司馬氏の台頭によって建国しましたが、最後まで抵抗した呉を滅ぼしたのは、羊祜の存在が大きく貢献していました。人材の豊富な晋で、智略・武略において傑出しており、その人望は敵味方関係なく高いものでした。そこで、三国志晩年の名将といわれた羊祜について紹介していきます。
陰湿な権力闘争が繰り広げられる「後宮」。ここはまさに女性たちの戦場です。今回は呉の後宮の様子についてお伝えしていきます。そこにはまさかの「あの英雄」の娘も登場します。
曹操と対決! 【劉備玄徳】の軌跡②「徐州陥落~流浪~三顧の礼」
曹操とともに呂布を倒した劉備(玄徳)は、その才能を恐れられるようになり、曹操は警戒を強めていきます。ここから曹操との対決が多くなりますが、袁紹や劉表の下へと逃れていきます。しかし、諸葛亮を三顧の礼で従え、劉備(玄徳)陣営は飛躍の時を迎えようとしています。ここでは徐州の陥落からまたしても流浪、三顧の礼までをみていきます。
三国志と言ったらやはり合戦がメインになってきます。この武将はどんな成果を上げた、あの軍師はどんな策で相手を葬ったということに目が行きがちです。しかしここでは彼らのサイドストーリーに着目してみました。知らなくても困りませんが、知っていたらより三国志を楽しめるかもしれません。
三国志に出てくる最大の天才はもちろん諸葛亮です。国力で圧倒的に劣る蜀漢を支え、魏・呉に対抗しました。その兄である諸葛瑾は呉の国で孫権に仕えていました。敵国で偉大な才能を発揮していた弟を持つ彼はどう考えていたのでしょうか?また、どのように見られていたのでしょうか?