占いによって反乱から身を守った曹操(孟徳)

占いによって反乱から身を守った曹操(孟徳)

216年、曹操(孟徳)が魏王となり魏王宮を建設。まさに絶頂期を迎えます。位人臣を極めた曹操(孟徳)の前に左慈(元放)という人物が現れ、幻術によって曹操(孟徳)を散々に苦しめますが、寝込んでしまった曹操(孟徳)を回復させたのは、なんと占いでした。体調が優れず寝込んでいた曹操(孟徳)に天文官の許芝が管輅(公明)を紹介します。幼少のころから天文に精通し非常によく的中する占いで有名だというのです。


管輅(公明)の占い 死者の怨念を言い当てる

ある日、管輅(公明)が友人の家に招かれた時のこと、家の主人が頭痛で、奥方が胸の痛みに悩まされているという相談を受けました。医者に診てもらっても回復することなく、その悩みは深刻なものでした。

これを管輅(公明)が占ったところ「屋敷の西の隅に兵士が埋葬された二つの棺が埋められている。一方の棺に納められている兵士は槍を持ち、もう一方の兵士は弓を持っている。槍は頭を狙う武器であり、弓矢は胸や腹を狙う武器であるので、当家の夫婦に起こった痛みの原因となっているのであろう」との結果が出ました。

早速、屋敷の西側を掘ってみると、西角の柵の内側から二つの棺が見つかりました。それぞれの棺には白骨化した遺体が埋葬されていましたが、管輅(公明)の言う通り、一方の遺体は槍を持ち、もう一方の遺体は弓を持っていました。

夫婦は、すぐにこの遺体を屋敷から数里離れたところに移動して、丁寧に弔いました。すると、夫婦を悩ませていた頭痛と胸の痛みが治ってしまったのです。

管輅(公明)の占い 身に起こる災いを未然に防ぐ

趙顔という19歳の青年にまつわるお話です。ある時、畑仕事に精を出す趙顔を管輅(公明)が見かけます。そこで人相を見るや否やいきなり「あんた(趙顔)はあと数日で死ぬよ」と言い出します!相手が有名な管輅(公明)であった事を知っていた趙顔は「どうか命だけは」と泣く泣く管輅(公明)に命乞いをします。しかし管輅(公明)は「これは、天意ゆえにどうにもならない」と困惑しますがどうにもなりません。

趙顔は仕方なく家に帰りますが、その話を聞いた趙顔の父親が仰天!今度は父親が管輅(公明)の家に押しかけます。「一人息子を失っては、これからどう生きて行けばいいのか分かりません。どうかご慈悲を!」親子の必死の懇願(そりゃそうです!)に管輅(公明)は「解決策」を明かします。

~明日、数切れの鹿肉と酒を持って南山に上りなさい。大きな木の下で碁を打っている二人がいるので、黙って肉と酒を差し出しなさい。そして肉と酒がなくなったら大きな声で「寿命を延ばしてください」と頼みなさい。~

次の日、趙顔は早速南山に上りました。

死を司る北斗の神、生を司る南斗の神

管輅(公明)が言った通り、大きな木の下で碁を打っている二人がいました。周囲に見向きもせず碁に没頭しています。趙顔が何も言わず用意した鹿肉と酒を差し出すと、二人は何も気付かず肉を食べ、酒を飲みだします。碁に没頭するあまり、他のことには気が回っていないようです。

そして、肉と酒が無くなった頃、趙顔が大声で訴えます…。

「寿命を延ばしてください!」

はっとした二人は、その時はじめて趙顔がそばにいる事に気付きます。そして一人の男が呟きます「これは管輅(公明)が教えたな…」

その「呟き」の意味は趙顔には分かりません。とにかく趙顔は「寿命を延ばしてください」と懇願します。すると、もう一人の男が懐から紙を出し「お前(趙顔)は19(十九)歳で死ぬはずじゃが…」と言いかけますが、趙顔の必死の懇願に押され、「じゃあここに九を加えてやろう」と言って「十九」を「九十九」に変えてくれたのです。これで趙顔の寿命は99(九十九)歳になりました。

碁を打っていた二人の男…一人は死を司る北斗の神。もう一人は生を司る南斗の神でした。南斗の神が趙顔に伝言します。「二度と天意を人に伝えてはならぬ。さもなければ自ら(管輅)に災いが起こる」そう言って二人は姿を消してしまいました。

趙顔が「伝言」を管輅(公明)に伝えたところ、管輅(公明)は青ざめ、以後、占いを慎むようになってしまいました。

管輅(公明)、呉と蜀を占い、見事に的中

曹操(孟徳)は趙顔の話に大変興味を持ちました。未来を予見しそれに備えることができるような占い…これに曹操(孟徳)は関心を示したのです。曹操(孟徳)らしい発想です。早速、管輅(公明)は魏王宮に招かれ、曹操(孟徳)の命で呉と蜀を占うことになりました。

~呉はひとりの大将を失い、蜀は兵気盛ん、近日他の境を侵すこと必然~

これが管輅(公明)の占いでした。しかし、呉は魏との大戦乱を終えたばかり、蜀は劉備(玄徳)の新体制になったばかり…いずれも管輅(公明)の言葉は信じ難いものでした。

ところが…

数日後、曹操(孟徳)の所に急使が相次いで訪れ、「呉の勇将、魯粛(子敬)が病死」「蜀の張飛(益徳)、馬超(孟起)が漢中へ侵攻」の報が相次いで報告されました。管輅(公明)の二つの占いは両方とも的中したのです。

管輅(公明)、魏国内の反乱を予見、曹操(孟徳)自身の災いを未然に防ぐ

曹操(孟徳)は蜀軍の漢中侵攻の報を受け、直ちに遠征を検討しますが、管輅(公明)がこれを諌めます。

~近いうちに都(許昌)で「火の災い」が起こる気配、大王(曹操)の遠征は避けるべき~

呉と蜀の占いが的中した事で、管輅(公明)を完全に信じていた曹操(孟徳)、漢中への遠征を見合わせ、曹洪(子廉)の一軍を漢中へ派遣し「守備第一」に固めさせます。次に、都(許昌)には夏侯惇(元譲)の一軍を城外に駐屯させ、不慮の事態に備えさせます。

そして、この「備え」も見事に的中します。

この頃、許昌の都では「反乱計画」が密かに進んでいました。新年の宴の最中を狙い、城内の家臣たちが酒に酔っているところを襲撃。近衛兵を味方に付け、帝から「曹操(孟徳)を討て」と声明を賜り、城内に立てこもって外から劉備(玄徳)率いる蜀軍に許昌を占領させる…という計画でした。

反乱は計画通り実行されたものの、城外に駐屯していた夏侯惇(元譲)が異変に気付き、城内に乱入して大混戦となります。こうなると近衛兵は反乱軍に協力する事を躊躇し、帝も「声明」を出すことを控えてしまいました。反乱はあっけなく鎮圧。反乱に加担した者はことごとく打ち首となったのです。

まとめ

反乱を「あっけなく」鎮圧できたのは、管輅(公明)の占いによって曹操(孟徳)が夏侯惇(元譲)を都の城外に駐屯させていたからでした。「災いを未然に防ぐ」方策が功を奏したのです。曹操(孟徳)はこの成功を大いに喜び、管輅(公明)に褒美を取らせようとしますが、管輅(公明)は「私(管輅)には火を消すことも水を止めることもできません。大王(曹操)が私をお召しになったのも恐らく天意。私が褒美をいただく理由はありません。」と言って褒美を受け取らずに魏王宮を去って行きます。

ともあれ、曹操(孟徳)は「占い」によって自身に直接危険が及ぶ「反乱」というリスクから身を守る事ができたのでした。

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