管輅(公明)の占い 死者の怨念を言い当てる
■ 管輅(公明)の占い 死者の怨念を言い当てる
管輅(公明)の占い 死者の怨念を言い当てる
ある日、管輅(公明)が友人の家に招かれた時のこと、家の主人が頭痛で、奥方が胸の痛みに悩まされているという相談を受けました。医者に診てもらっても回復することなく、その悩みは深刻なものでした。
これを管輅(公明)が占ったところ「屋敷の西の隅に兵士が埋葬された二つの棺が埋められている。一方の棺に納められている兵士は槍を持ち、もう一方の兵士は弓を持っている。槍は頭を狙う武器であり、弓矢は胸や腹を狙う武器であるので、当家の夫婦に起こった痛みの原因となっているのであろう」との結果が出ました。
早速、屋敷の西側を掘ってみると、西角の柵の内側から二つの棺が見つかりました。それぞれの棺には白骨化した遺体が埋葬されていましたが、管輅(公明)の言う通り、一方の遺体は槍を持ち、もう一方の遺体は弓を持っていました。
夫婦は、すぐにこの遺体を屋敷から数里離れたところに移動して、丁寧に弔いました。すると、夫婦を悩ませていた頭痛と胸の痛みが治ってしまったのです。
管輅(公明)の占い 身に起こる災いを未然に防ぐ
■ 管輅(公明)の占い 身に起こる災いを未然に防ぐ
管輅(公明)の占い 身に起こる災いを未然に防ぐ
趙顔という19歳の青年にまつわるお話です。ある時、畑仕事に精を出す趙顔を管輅(公明)が見かけます。そこで人相を見るや否やいきなり「あんた(趙顔)はあと数日で死ぬよ」と言い出します!相手が有名な管輅(公明)であった事を知っていた趙顔は「どうか命だけは」と泣く泣く管輅(公明)に命乞いをします。しかし管輅(公明)は「これは、天意ゆえにどうにもならない」と困惑しますがどうにもなりません。
趙顔は仕方なく家に帰りますが、その話を聞いた趙顔の父親が仰天!今度は父親が管輅(公明)の家に押しかけます。「一人息子を失っては、これからどう生きて行けばいいのか分かりません。どうかご慈悲を!」親子の必死の懇願(そりゃそうです!)に管輅(公明)は「解決策」を明かします。
~明日、数切れの鹿肉と酒を持って南山に上りなさい。大きな木の下で碁を打っている二人がいるので、黙って肉と酒を差し出しなさい。そして肉と酒がなくなったら大きな声で「寿命を延ばしてください」と頼みなさい。~
次の日、趙顔は早速南山に上りました。
死を司る北斗の神、生を司る南斗の神
■ 死を司る北斗の神、生を司る南斗の神
死を司る北斗の神、生を司る南斗の神
管輅(公明)が言った通り、大きな木の下で碁を打っている二人がいました。周囲に見向きもせず碁に没頭しています。趙顔が何も言わず用意した鹿肉と酒を差し出すと、二人は何も気付かず肉を食べ、酒を飲みだします。碁に没頭するあまり、他のことには気が回っていないようです。
そして、肉と酒が無くなった頃、趙顔が大声で訴えます…。
「寿命を延ばしてください!」
はっとした二人は、その時はじめて趙顔がそばにいる事に気付きます。そして一人の男が呟きます「これは管輅(公明)が教えたな…」
その「呟き」の意味は趙顔には分かりません。とにかく趙顔は「寿命を延ばしてください」と懇願します。すると、もう一人の男が懐から紙を出し「お前(趙顔)は19(十九)歳で死ぬはずじゃが…」と言いかけますが、趙顔の必死の懇願に押され、「じゃあここに九を加えてやろう」と言って「十九」を「九十九」に変えてくれたのです。これで趙顔の寿命は99(九十九)歳になりました。
碁を打っていた二人の男…一人は死を司る北斗の神。もう一人は生を司る南斗の神でした。南斗の神が趙顔に伝言します。「二度と天意を人に伝えてはならぬ。さもなければ自ら(管輅)に災いが起こる」そう言って二人は姿を消してしまいました。
趙顔が「伝言」を管輅(公明)に伝えたところ、管輅(公明)は青ざめ、以後、占いを慎むようになってしまいました。
管輅(公明)、呉と蜀を占い、見事に的中
■ 管輅(公明)、呉と蜀を占い、見事に的中
管輅(公明)、呉と蜀を占い、見事に的中
曹操(孟徳)は趙顔の話に大変興味を持ちました。未来を予見しそれに備えることができるような占い…これに曹操(孟徳)は関心を示したのです。曹操(孟徳)らしい発想です。早速、管輅(公明)は魏王宮に招かれ、曹操(孟徳)の命で呉と蜀を占うことになりました。
~呉はひとりの大将を失い、蜀は兵気盛ん、近日他の境を侵すこと必然~
これが管輅(公明)の占いでした。しかし、呉は魏との大戦乱を終えたばかり、蜀は劉備(玄徳)の新体制になったばかり…いずれも管輅(公明)の言葉は信じ難いものでした。
ところが…
数日後、曹操(孟徳)の所に急使が相次いで訪れ、「呉の勇将、魯粛(子敬)が病死」「蜀の張飛(益徳)、馬超(孟起)が漢中へ侵攻」の報が相次いで報告されました。管輅(公明)の二つの占いは両方とも的中したのです。
管輅(公明)、魏国内の反乱を予見、曹操(孟徳)自身の災いを未然に防ぐ
■ 管輅(公明)、魏国内の反乱を予見、曹操(孟徳)自身の災いを未然に防ぐ
管輅(公明)、魏国内の反乱を予見、曹操(孟徳)自身の災いを未然に防ぐ
曹操(孟徳)は蜀軍の漢中侵攻の報を受け、直ちに遠征を検討しますが、管輅(公明)がこれを諌めます。
~近いうちに都(許昌)で「火の災い」が起こる気配、大王(曹操)の遠征は避けるべき~
呉と蜀の占いが的中した事で、管輅(公明)を完全に信じていた曹操(孟徳)、漢中への遠征を見合わせ、曹洪(子廉)の一軍を漢中へ派遣し「守備第一」に固めさせます。次に、都(許昌)には夏侯惇(元譲)の一軍を城外に駐屯させ、不慮の事態に備えさせます。
そして、この「備え」も見事に的中します。
この頃、許昌の都では「反乱計画」が密かに進んでいました。新年の宴の最中を狙い、城内の家臣たちが酒に酔っているところを襲撃。近衛兵を味方に付け、帝から「曹操(孟徳)を討て」と声明を賜り、城内に立てこもって外から劉備(玄徳)率いる蜀軍に許昌を占領させる…という計画でした。
反乱は計画通り実行されたものの、城外に駐屯していた夏侯惇(元譲)が異変に気付き、城内に乱入して大混戦となります。こうなると近衛兵は反乱軍に協力する事を躊躇し、帝も「声明」を出すことを控えてしまいました。反乱はあっけなく鎮圧。反乱に加担した者はことごとく打ち首となったのです。
まとめ
■ まとめ
まとめ
反乱を「あっけなく」鎮圧できたのは、管輅(公明)の占いによって曹操(孟徳)が夏侯惇(元譲)を都の城外に駐屯させていたからでした。「災いを未然に防ぐ」方策が功を奏したのです。曹操(孟徳)はこの成功を大いに喜び、管輅(公明)に褒美を取らせようとしますが、管輅(公明)は「私(管輅)には火を消すことも水を止めることもできません。大王(曹操)が私をお召しになったのも恐らく天意。私が褒美をいただく理由はありません。」と言って褒美を受け取らずに魏王宮を去って行きます。
ともあれ、曹操(孟徳)は「占い」によって自身に直接危険が及ぶ「反乱」というリスクから身を守る事ができたのでした。