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本記事は三国志と日本古代史でおきた主なできごとを同時進行でご紹介しています。「三国志で○○の戦いがあったとき、日本では○○があった」の形式でお送りするので、ぜひご一緒に両国の歴史をおさらいしましょう。
呉において、一番戦闘力が高い武将といえば、甘寧を挙げる三国志ファンも多いでしょう。ゲームなどでは実際に武力が高く、呉を攻めるとラスボスのように立ちふさがります。甘寧は魏の張遼や蜀の関羽並みに評価されており、史実でも呉の窮地を救った英雄となっています。そんな甘寧をここで紹介していきましょう。
陰湿な権力闘争が繰り広げられる「後宮」。ここはまさに女性たちの戦場です。今回は呉の後宮の様子についてお伝えしていきます。そこにはまさかの「あの英雄」の娘も登場します。
三国志でも最強の一人と謳われた太史慈子義は特に弓の名手として名を馳せていました。彼の武勇伝や生きざまは見事としか言いようがなく、三国志ファンの中で一番好きという人も少なくありません。そんな太史慈子義の魅力について紹介します。
前回に引き続き、あなたに三国志で劉備(玄徳)や曹操(孟徳)らが戦っている最中に日本でなにが起きていたのか…。それをぜひとも知ってほしいと願い、この記事を書かせていただきます。
一発逆転の鄧艾の戦略と日本陸軍のインパール作戦に相違点はあるのか
不可能を可能にし、形勢を一気に変える険峻な山岳地帯を踏破しての侵攻。三国志では鄧艾の蜀侵攻が有名ですし、日本陸軍ではインパール作戦が有名です。相違点について見ていきましょう。
日本では一夫一妻が常識とされていますが、時代によっては変わるもの。跡取りを必要として多くの側室を抱えたという日本の戦国時代にも一途な武将は沢山いました。これは三国志でも同様なのでしょうか?そこで今回は一途に女性を愛し続けたという三国志の武将を紹介します。
三国志最強の「呂布」の独立に手を貸した陳留郡太守「張邈」と呂布を最後まで支え続けた軍師「陳宮」。この3人の関係はどのようなものだったのでしょうか。宿敵「曹操」を交えてお伝えしていきます。
三国志のストーリーはお隣中国が天下大乱を迎えたところから始まり、約1世紀をかけて司馬炎が興した晋に統一され絶筆します。実は我が国でも同時期は大小の国や跡目争いが起きていた乱世で、のほほんと弥生土器を作っていた訳ではありませんでした。
三国志の時代には学問を教えたり、思想を語り合うなどして、門下生を取っている人材もいました。人物鑑定家として名を残している司馬徽もその一人です。司馬徽はホウ統の才能を見抜き、徐庶や韓嵩、向朗、尹黙ら諸国で貢献した政治家を門下生として扱っています。そんな司馬徽やその門下生の活躍を見ていきましょう。
後漢末期に新しい時代を担う期待の星として、大将軍の何進と司徒の袁隗から招聘を受けた人物たちがいます。曹操を絡めた運命の交わり方は実にドラマチックです。
元々は呂布奉先の持ち物で、関羽雲長が魏に理由あって下ったときに曹操孟徳から贈られたものがいくつかありますが、その中で関羽雲長が最も喜んだのが 赤兎馬 でした。しかし、赤兎馬 って普通の馬とどう違うのでしょうか?気になったのでそのあたりについて迫ってみました。
李牧・張良・陳平に負けない天性の知略を持って生まれた【郭嘉】
智謀を持って君主に献策し、幕僚にいるだけでその存在を恐れられるのが軍略家(軍師)たちです。戦国時代を描いた現在人気の漫画キングダムでは李牧、秦から前漢の時代に活躍した張良や陳平などに匹敵する知略の持ち主として、三国志には郭嘉が存在しています。曹操(孟徳)に最も評価された軍師の郭嘉を紹介していきます。
三国志と日本の戦国時代には似ている英雄が存在します。誰と誰が似ているのか、どんな点が似ているのかご紹介いたします。
三国志演義で活躍した人物の中には、忠義を尽くしたにも関わらず理不尽な目に遭った者もいます。三国志の有名人はもはや英雄という位置づけですが、そんな彼らにどんなことをされたのでしょうか?
小説の三国志演義の影響が大きく、劉備(玄徳)の立ち上げから参戦していた関羽は、現在に至るまで民衆から絶大な人気を誇っています。関羽の凄いところは敵味方に関係なく評価されているところで、主役的扱いを受けています。もちろん、正史でも演義のような活躍が見られていますので、ここで紹介していきます。
三国志のアクションゲーム『真・三國無双』とは?オススメBEST5も!
「三国志のゲームでストレス発散したい!」そんな方には、『真・三國無双』シリーズがおすすめです。数多くの作品の中で、BEST5に選ばれたのは?このシリーズとその派生作品についてもご紹介します。
三国時代を終焉させた晋は司馬氏の台頭によって建国しましたが、最後まで抵抗した呉を滅ぼしたのは、羊祜の存在が大きく貢献していました。人材の豊富な晋で、智略・武略において傑出しており、その人望は敵味方関係なく高いものでした。そこで、三国志晩年の名将といわれた羊祜について紹介していきます。
三国志で最強の武将と言ったら呂布、最高の軍師と言ったら諸葛亮とあげる人は多いのではないでしょうか。しかし彼らは武なら武、文なら文という感じで呂布(奉先)は忠誠心や人望に欠け、諸葛(孔明)は、武はからっきしでした。ここでは総合力で一番優れた人物は誰かと言うところに注目していきたいと思います。
三国志の天才軍師と言ったら大多数の人が諸葛亮(孔明)を推します。三国志をあまり知らない人でも彼の名前を聞いたことがると思います。しかし諸葛亮に匹敵する、もしくは諸葛亮以上に多大な功績を残し、国を支えたという軍師は実は沢山存在します。そんな天才軍師たちをご紹介します。