三国志演義の君主たちと関わりのある劉表一家。長坂の戦いに至るまで

三国志演義の君主たちと関わりのある劉表一家。長坂の戦いに至るまで

荊州の長官・劉表とその家族は、三国の君主たちとは関わりがあるといっても過言ではありません。長坂の戦いに至るまでの出来事をご紹介します。


三国の君主たち

劉表についてご紹介する前に、まずは曹操・孫家・劉備(玄徳)についてご紹介します。
この3人はいわゆる三国志の主人公であり、それぞれ「魏・呉・蜀」を築き上げました。しかし、劉表が活躍していた頃はまだ三国が生まれていません。

曹操
早い段階で独立勢力に。袁紹とは旧友の仲でしたが、のちの「官渡の戦い」で敵対関係になります。曹操はあくまで「魏の土台」を創り上げた人物であり、本来の初代皇帝は息子の曹丕にあたります。

孫家
ここでは、孫堅・孫策・孫権の3人を示します。当時の孫家は袁術の配下です。袁術は袁紹の弟でありながら兄と敵対関係にあります。

劉備(玄徳)
関羽・張飛という豪傑と共に、(勢力不足により)転々とします。

劉表とその家族

劉表は、後漢皇族の末裔です。さらに、荊州という地の長官を務めるほどの実力者でもあります。家族は数人ほどいますが、三国志で主に登場するのは蔡夫人・劉キ・劉ソウです。

蔡夫人
一夫多妻の時代だったため、劉表には2人の妻がいました。本来の正室は陳夫人でしたが、他界したことで蔡夫人が正室になります。次男の劉ソウに後を継がせようと、兄の蔡瑁(さいぼう)と結託します。

劉キ
長男で、心優しい性格の持ち主です。父から愛されたものの、生来の病弱を理由に蔡夫人から疎まれてしまいます。

劉ソウ
次男。蔡夫人と蔡瑁に気に入られています。

蔡夫人の兄 蔡瑁とは?

もともと劉表の配下でしたが、妹の結婚により信任を得ました。そして先述通り、妹と結託して劉ソウを後継者に仕立て上げます。さらに、とある理由から劉備(玄徳)の暗殺を企てたことも。

やがて曹操に降った蔡瑁。水上戦が得意だった彼は、水軍大都督に任命されたのです。この当時の大都督は、軍事の指揮だけでなく政治まで任されるほどの役割を持っていました。

悪巧みに熱心な蔡兄妹。彼らにどういう未来が待っているのでしょうか?

袁紹と同盟関係に

191年に起きた「襄陽(じょうよう)の戦い」では、劉表と孫堅が衝突します。このとき劉表は袁紹と同盟関係にありましたが、それは何故でしょうか?

きっかけは、その前の「陽人の戦い」にありました。この戦いは董卓とその連合軍によるものですが、連合軍の内部も私欲に満ちていました。そんななか、孫堅が玉璽を発見。この玉璽は、「所有者は皇帝になる」という言い伝えで有名でした。本来は孫家の秘密にするつもりでしたが、袁紹と同郷の人が密告したことで次に至ります。

嫉妬した袁紹は、孫堅を失脚するために劉表と結託しました。ちょうど孫堅が荊州を通過するため、劉表はその隙を突いて襲いかかったのです。

襄陽の戦いにて孫堅死す

「劉表なんぞに負けてたまるか!」
怒り心頭の孫堅は長沙で兵を立て直し、荊州へ向かいました。孫堅軍が襄陽城(荊州の城)を囲った矢先に、城から武将が抜け出します。孫堅が追った先には、劉表の配下である黄祖が待ち受けていたのです。黄祖は孫堅に矢を降らせた挙句、落石で(孫堅の)命を奪いました。

遺体が劉表の手元に渡るも、孫堅の配下が黄祖を生け捕りに。黄祖を引き換えに、孫堅の遺体は孫家の元に帰りました。

さて、孫堅は仕返すために兵を起こします。その際、劉表と組んだ袁紹は知らないフリして「劉表を倒してきて」と孫堅に指示をしたのです。袁術も同じことを言うわけですが、袁紹からは陰湿さが感じられますね。

後継者問題から長坂の戦いへ

200年代に入ると、劉表は同族のよしみで劉備(玄徳)を受け入れました。このころの劉備(玄徳)は袁紹の陣営にいましたが、関羽との再会を機に去ります。

ところが、208年に劉表が病に臥したことで後継者問題が浮き彫りになりました。「長男(劉キ)が後を継いでほしい」と考える劉表はその旨を劉備(玄徳)に伝えたあと、この世を去ります。劉表の思いに応えんとする劉備(玄徳)ですが、劉ソウの一派が悪事を働くようになるのです。

劉ソウらは曹操軍に降伏。曹操が劉備(玄徳)を狙っていたため、そこにつけこんで共に追いかけるようになりました。この「長坂の戦い」は壮絶なものでしたが、趙雲と張飛の活躍によって見事追い払っています。

劉備(玄徳)を救った馬 的盧

劉備(玄徳)には的盧(てきろ)という馬がいます。これを見た劉表は素晴らしいと褒めたので、劉備(玄徳)は的盧を譲ろうとしました。その時、カイ越(劉表の配下)が馬相により「これは不幸の馬だ」と進言したため、的盧を戻します。

ある時の宴で劉備(玄徳)は呼ばれますが、そこで蔡瑁に殺されかけます。劉備(玄徳)を乗せた的盧が川を飛び越えたことで、劉ソウ一派から逃れることに成功したのです。

愛馬を信じる思いが、劉備(玄徳)を救ったのでしょう。

息子たちのその後

蔡兄妹の嫌がらせに困っていた劉キは、諸葛亮の提案で別の地方に移ることとなります。しかし、劉表の見舞いで駆けつけても、扉が開くことはありませんでした。彼らの策略によって劉ソウが後を継ぎますが、劉キは劉備(玄徳)の配下として荊州を守るようになります。

一方で、後継者になった矢先に降伏した劉ソウ。劉表の死を受けた曹操が進軍していたからです。本来は独立を維持するつもりでいましたが、蔡瑁らから「曹操に勝てるわけない」と反対されました。

蔡兄妹の末路

そして、蔡夫人と蔡瑁はどうなったのでしょう?
蔡夫人と蔡瑁は劉ソウに後を継いでもらうよう、これまで策略を練っていきました。彼らは劉表の遺言状を偽造したことで、劉キに追い打ちをかけます。

やがて蔡夫人は、息子の劉ソウと共に曹操の配下に殺されました。新しい勤務地に向かう最中の出来事です。

蔡瑁は最初に書いたとおり水軍の大都督に任命されます。しかし、孫家の軍師・周瑜の計略によって「孫家と関わっているのでは」と嫌疑をかけられたため、処刑されました。

それぞれが見る劉表一家

劉表は各陣営から見たら印象が異なります。

孫家から見れば、「父(孫堅)の仇」。劉備(玄徳)なら「長男思いかつ自分を受け入れた人」。曹操からすれば「荊州を奪えるチャンス」。
ちなみに劉表本人にとって曹操は、(袁紹と与する人にとって)敵という認識です。もし劉表が袁紹からの言葉を拒否していたら、孫家に悲劇は起こらなかったでしょう。

そして蔡兄妹は劉ソウをあれほどそそのかしたのに、曹操が来ると途端に降伏を促します。そんな彼らの末路はまさに因果応報です。

長男の劉キは病弱ゆえに蔡夫人から疎まれますが、最終的には劉備(玄徳)に歓迎されます。短い寿命ではありましたが、後継者になることより幸せな出来事が待っていたのです。

このように、劉表一家は色んな形で三国の君主たちと交わりがあります。

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