兄弟って仲良いの?三国志の時代に実在した兄弟とは

兄弟って仲良いの?三国志の時代に実在した兄弟とは

兄弟の契りなんて言葉もありますが、実の兄弟ですと日本の戦国時代でも兄弟仲の良くない兄弟も沢山います。実際、中国は近年まで一人っ子政策が用いられてますが、当時は兄弟も多かったのではないでしょうか。そこで今回は三国志の時代に存在していた兄弟について紹介します。


曹操の後継者候補であった曹丕と曹植

兄が跡を継いで弟が付いてゆく構図は三国志の時代と言えど通用しませんでした。曹丕と曹植の兄弟は年齢は5つほど違いますが、母は共に曹操が最も信頼したと言われる卞夫人との子なので、完全なる血のつながりをもった兄弟にあたります。その兄弟が父である曹操が後継者を決めなかったがために周囲に引き離されて行くのです。

元々は母である卞夫人は正室ではなかったので、皇位からは程遠い仲の良かった二人ですが、兄である曹昴の死によって運命が変わっていきます。曹昴は当時正室であった丁夫人の子でしたが、死んでしまったがために丁夫人と曹操は疎遠になってしまいました。そうすると曹操は卞夫人を正室としたのです。

そしていつしか皇位をめぐって二人の周りには派閥が出来ました。そして曹操がなくなると結局は兄である曹丕が跡を継ぐことになりました。曹植がそれを素直に祝福できれば何の問題もなかったのですが、そうもいかず兄を怒らせるようなことをしてしまったのです。

いつしか曹丕は弟を殺してしまおうと思うほどになっていました。母が泣きついたために難は逃れましたが、弟も弟の息子たちも更迭されることになったのです。権力は人を変えてしまうものかもしれません。立場などない普通の兄弟でいられたならこの二人も仲良く過ごせたのかもしれませんね。

出来の良い弟を立てた優しい兄だった司馬朗

曹操を支えた名軍師に司馬懿がいますが、その司馬懿には兄である司馬朗がいました。もちろん兄も有能で決して司馬懿に劣っているというわけではありませんでした。洛陽に出仕していたときも洛陽が董卓の手におちると危険を察知して父の命によって去ろうと決めました。司馬朗は行政官としてはとても有能な人だったのです。

しかし、弟が曹操のもとで出世すると同僚で仲が良かった崔琰が司馬懿と比較して司馬朗は弟に及ばないということを言ってきました。普通なら怒るとこですが、司馬朗は弟が褒められていることを素直に喜び崔琰に感謝したそうです。このエピソードだけでも人格者と言えますね。

その後、夏侯惇に仕えて呉に討伐に向かった際に風邪が流行したのですが、優先的に兵士に薬を分け与えて自分は飲まなかったがために命を落としたと言われています。弟である司馬懿も人柄では兄には叶わないと思っていたようです。本当に人として優れた人だったのです。出来の良い弟でも嫉妬することなく仲良くいられる器の大きい兄ってなんだか素敵ですよね。

兄弟で性格の全く違った諸葛恪と諸葛融

諸葛亮孔明の兄として知られる諸葛瑾には二人の息子がいたのですが、兄は諸葛恪、弟は諸葛融という名前でした。この二人の兄弟は全くといっていいほど性格が似ていませんでした。兄はイライラするとすぐにカッとなるタイプですが幼いころから才能に恵まれて優秀でした。そのため典型的なオラオラ系であったと言われています。

一方、弟の諸葛融はマイペースで温厚な性格をしていました。諸葛融は遊びの達人で国境の守備などをしていた時代もあるのですが、その際にはゲーム大会を催し、国境が穏やかな空気に包まれたといいます。

兄の諸葛恪は孫峻によって誅殺されてしまうのですが、弟の諸葛融はその事実を知った際に回避する術を知らずに毒を飲んで死んでしまったようです。兄弟として性格も違えば死ぬ間際もどこか違う二人の兄弟でもこんなに違うとはびっくりですよね。

三国志で最も仲が悪い兄弟は袁術と袁紹

三国志に登場する兄弟の中で最も仲が悪いのは袁術と袁紹ですよね。関係性としては母親の違う異母兄弟なわけですが、袁術よりも袁紹が才能も人望もあったことに袁術が嫉妬してしまったことが二人の兄弟仲を悪くする原因になっていました。

元々は嫉妬した袁術が嫉妬のあまり袁紹の母の身分が卑しいなどと吹聴してまわったがために、袁紹も袁術を恨むほかなく、兄弟の溝はどんどん広がっていきました。袁術は呉や呂布などと手を結び、袁紹は魏や蜀などを従えて勢力争いを繰り広げました。

結局は袁術も最期は没落し、プライドを捨てて袁紹を頼ることになるのですが、袁紹にたどり着くまでに阻まれて餓死してしまったそうです。もし、たどり着けていたら兄弟仲は修復されたでしょうか?真相は闇の中ですね。

権力争いをする事無く生涯を終えた孫策と孫権

三国志で一番ポピュラーな兄弟と言えば孫策と孫権の兄弟です。孫策は江東の小覇王と呼ばれていた人物で、孫権はその孫策から受け継いだ領土を拡大した人物です。呉という国を語るには恐らくこの二人無くして語れません。

この二人の父はおなじみの孫堅ですが、まだ孫策が17歳、孫権が10歳のときに戦死してしまったので、まだ幼かった孫権にとっては孫策は父代わりの人物でした。必然的に孫策は残された弟や家臣を守るほかなく年も離れていた為に兄弟喧嘩とは無縁の日々が続きました。

結果的に孫権が18歳になると同時期に孫策が亡くなってしまうために、権力争いとは無縁の一生を終えました。もしも、孫策が亡くなってしまわなければ兄弟仲がこじれた可能性もありますが、そうならなくてすんだことがこの二人にとって幸せだったと言えるのではないでしょうか?

まとめ

三国志の時代の兄弟について今回は紹介しましたがいかがでしたでしょうか?兄弟の形はいつの時代も人それぞれですが、特にこうした戦国時代と呼ばれるような時代では生まれた家によっては兄弟仲が悪くなってしまうケースも多かったようです。

肉親だからこそ愛せるし、肉親だからこそ憎いなどあるのかもしれません。それにしても嫉妬という感情は人間関係をいとも簡単に壊してしまうということがわかりました。袁術と袁紹のように争うよりも、̪司馬懿を司馬朗が立てたように仲良くできることが望ましいと改めて感じました。

皆さんも兄弟、姉妹などいらっしゃる方もいるかとは思いますが、血をわけた兄弟とは争うことなく仲良くしていただきたいと思います。それが自分たちからしても周囲からしても本当に幸せなことであることをわかることができるとずっと仲良くしていられるでしょう。兄弟とはいつの時代も素晴らしいのでした。

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