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初心者でも早分かり! 三国志人物伝【蜀を支えた功臣】(蜀②)

蜀を支えたのは諸葛亮や関羽・張飛だけではありません。多くの将軍や文官たちが劉備(玄徳)や劉禅を支えていきました。そこで、傑物たちには劣るものの、三国志の蜀で活躍した功臣たちをみていきましょう。


劉備(玄徳)の仁愛がたくさん発揮される荊州での出来事

劉備(玄徳)にとって荊州は後に蜀を建国する上での足場固めとなる土地ですが、そのような(蜀の攻略を思案する)状況に辿り着くまでには実に紆余曲折がありました。様々な出来事において劉備(玄徳)の仁愛がクローズアップされ、多くの人材が劉備(玄徳)のもとに集まります。


天下を取れなかった男、董卓(仲穎)と袁紹(本初)の話

魏・呉・蜀の三国が確立される前、天下統一に手をかけていた男が二人いました。董卓(仲穎)と袁紹(本初)です。「二人はどんな人物だったのか」、「なぜ天下を取れなかったのか」という点をまとめました。


三国志・どこまでが架空なのか? 7人の「幻のような女性たち」

三国志には個性豊かなキャラが多数登場します。今回はその中から「幻のような女性たち」を7人ご紹介いたします。陸遜 妻、呂布 娘、関羽 娘 などご存じでしたか?


戦国時代においては家柄も立派な武器!?血統の良い武将ランキング

劉備(玄徳)が自分の正当性を主張する時に漢王室の血を引いているということを挙げていたのは演義でも正史でも出てきます。ですが、漢帝国には百人以上子供がいる皇帝もいます。では、血統にはなんの意味もないのでしょうか?そんなことありません。実際に血統が素晴らしい(本当なのかどうかはともかく)武将を見てみましょう。


小覇王孫策の生涯 短命に終わってしまった理由は何か

三国志において呉の国は「三代に渡って…」という表現がよく用いられます。初代は孫堅(文台)、二代目は孫策(伯符)、そして後に「呉の大黒柱」と言われ、呉皇帝を名乗る孫権(仲謀)は「三代目」となります。三人の中でも特に浮沈の激しかった二代目、孫策(伯符)の生涯を見て行きます。


固定観念を取っ払って三国で好きな国を作ろう

三国志は劉備(玄徳)率いる蜀が正義で曹操(孟徳)率いる魏が悪者と多くの方に捉えられています。しかしそれは「三国志」という正史ではなく、三国志演義の歴史小説のイメージが強いからです。今回は一国から二名の代表人物を出しそのエピソードを紹介しますので好きな国を作ってみてください。


三国志・曹操の評価はなぜ好きと嫌いに大きく分かれるのか?

三国志では悪役のイメージの強い曹操ですが、評価は大きく分かれます。曹操はヒーローなのでしょうか?それともヒール役なのか?


初心者でも早分かり! 三国志人物伝【蜀の傑物たち】(蜀①)

三国志で一番人気があるのが蜀です。仁徳者の劉備(玄徳)を始め、関羽や張飛に趙雲、諸葛亮といった演義でも人気のある武将たちが勢ぞろいしています。そんな蜀に貢献した人物伝を簡単にここで紹介していきます。まずは蜀を支えた傑物たちをみていきましょう。


曹操(孟徳)の嘘つきエピソード~3選~

曹操(孟徳)は嘘をつき、しらをきり通しまくって天下を取った男です。必要とあらば味方にも嘘をついて欺き、責任をなすりつけたり兵士の士気を鼓舞してピンチをチャンスに変えてきました。本記事では曹操(孟徳)が嘘をついてピンチをチャンスに変えた数々のエピソードを3つご紹介します。


劉備(玄徳)は巻き込まれたのか? 劉表(景升)一族のお家騒動

曹操(孟徳)に追われ、一時は関羽(雲長)、張飛(翼徳)とも離散してしまった劉備(玄徳)でしたが、苦難の末に「義兄弟」は再集結。劉備(玄徳)は同族のよしみを頼って荊州太守であった劉表(景升)のもとに身を寄せます。


初心者でも早分かり! 三国志人物伝【孫呉の英雄】(呉①)

三国の中でも地味な印象をなっている呉ですが、実は有能な人材が多く、その力は魏にも匹敵していました。孫堅・孫策・孫権ら魅力的な主君のもと、黄蓋・程普・周瑜ら優秀な武将たちが勢ぞろいしています。ここでは三国志人物伝として孫呉の英雄たちを軽く紹介していきます。


中国四大奇書「三国志演義」と「水滸伝」の登場人物の繋がり

中国四大奇書として名高い「三国志演義(正式名は三国演義)」と水滸伝。水滸伝は三国志演義よりも1000年近く後の中国が舞台ですが、そこには明らかに三国志演義の登場人物を意識した人物が登場します。


戦って勝ったら仲間になってくれそうな武将・軍師

中国の三国時代や日本の戦国時代の武将は戦で負けたら自害をするというようなイメージがつきものです。しかし、彼らも投降したり、敵国の君主の僕となったりもしていました。今回は「もしも勝ったら部下になってくれそうな武将たち」をピックアップしてみました。


三国武将の姓(名字)の由来

三国志では姓(名字)を重要視しています。姓(名字)はその人の出自を表すとともに、評価基準のひとつとしても考えられていました。中国の姓(名字)には祖先が住んでいた地名や職業を表す文字が当てられ、戦争時の恩賞としても与えられることがありました。日本の姓(名字)に関する概念は、中国のこれらを真似したものとなっています。


君主を間違えてしまった天才的軍師【沮授】(三国志 そじゅ)

三国志の智謀に優れた軍師的存在として郭嘉や諸葛亮、周瑜といった名将たちが揃いますが、袁紹の陣営にいた沮授もその例外ではない。もしも袁紹が曹操や劉備(玄徳)のように聞き分け良く、配下の進言を取り入れるような名君だったなら、実は天下を支配していたのかも?その筆頭軍師だった沮授(三国志 そじゅ)をみていきます。


三国志時代 皇帝の結婚

結婚は、男女共通で人生の大きなターニングポイントです。三国志でもストーリー上で武将や皇帝の結婚に関する記述がちらほらと見られ、大国の君主たる皇帝の結婚はそれはそれは盛大に執り行われました。本記事では、皇帝の結婚にまつわるお話をさせていただきます。


三国志・毒舌家として有名な禰衡(でいこう)が高評価した二人とは?

三国志の登場人物の中でもっとも「口の悪い」ことで有名な「禰衡(でいこう)」と、その禰衡に高評価されていた二人についてお伝えします。


【自虐ネタ】三国志を好きすぎて恥をかいた体験談

筆者は幼少期から歴史が好きで、特に三国志や日本の戦国時代には人並み以上に傾倒しました。好きだからこそ今もこうして三国志に関する記事を執筆させていただいているのですが、三国志が好きだからこその失敗や恥をかいた経験もあります。本記事ではそれを体験談という形式で発信したいと思います。


三国志・曹操の恋愛事情は?三国志でもっとも良妻である卞夫人

曹操の妻として曹丕や曹植を産んだ「卞夫人」。彼女と、彼女以外で曹操の正室となった女性を紹介していきます。