星座に興味を持つロマンチストな少年期
■ 星座に興味を持つロマンチストな少年期
星座に興味を持つロマンチストな少年期
皆さんは幼少期にどんな子供だったでしょうか?天才占い師と言われた管輅は少年期には様々なことに興味を持つような好奇心旺盛な子供でした。小学校にあがるくらいの年齢の頃には星に対して興味を持っていました。星に思いを馳せるなんてロマンチストですよね。
ただ子供が夜遅くまで星を見て起きてるなんて両親としてはとても心配です。両親は管輅を早く寝かせるために星を見ることを禁止させようとしました。それでも好きなことはやめられません。子供ならこれは猶更のことです。頑固だった管輅は自分が星を好きだという気持ちを両親に伝えて全く聞く耳をもたなかったのです。
それからというもの管輅は毎晩、星を眺め続けます。今で言えば宇宙飛行士やパイロットになりそうなものですが、この当時ですから、星への興味があってもそんな職業にはつけません。しかし、この後、管輅の人生を大きく変えるきっかけとなる出会いが訪れます。父の仕事が変わり、徐州の瑯邪国に移り住むことになったのですが、この国には天文占いの達人である郭恩という人がおりました。
郭恩から天文占いの話を聞いた管輅は自分の知らない世界や星が人生を占うという神秘的なことに憧れを持ち、自分も学んでみたいと思いました。郭恩の弟子となることを決めた管輅は、郭恩と共に行動をするようになり、驚くべきスピードでそれを吸収していきます。
結果的に100日はかからずして、その分野のスペシャリストとなってしまうまでになります。そしていつしか的中率100パーセントの占い師となってしまいます。何を占わせてもずばりと当てられるようになってしまったので、もう占い師というより予言者との見方が強くなってしまいますよね。
成長した弟子の姿をたくましく思っていた郭恩ですが、あまりにも弟子が凄すぎるせいで師匠と弟子の立場が逆転したかのようになってしまいます。実際は逆転しているわけではありませんが管輅が聞くことはほとんどなくなり、逆に郭恩が天文について管輅にわからないことを訪ねるようになりました。
こうしてみると、興味を持っていたから吸収出来たというのもあるでしょうが、先に学んだ師匠より短い期間で吸収して出来てしまうということを考えれば、やはりセンスのある天才であったというのも頷けるでしょう。才能ってもしかすると幼少期に芽生えてるかもしれませんね。
自らの力を易で誕生日を当てることで立証しようとした
■ 自らの力を易で誕生日を当てることで立証しようとした
自らの力を易で誕生日を当てることで立証しようとした
管輅を語る上で外せないのは鍾毓のエピソードです。既に自分の力を信じていた管輅は思い切って魏の政治家であった鍾毓にいつ鍾毓が亡くなってしまうかを占います。と持ち掛けます。勿論、占いなど信じていなかった鍾毓ですが、それにしても亡くなる日を言われるのが怖かったのか、自らの誕生日を当ててみろと返します。
もちろん、鍾毓は誕生日などを周囲にいいふらしてまわっているわけではないので、天文占いなどを用いたとしても自分の誕生日を当てるのは不可能だと思い、試しにいってみたそうです。すると管輅はまるで何かを見透かしたように誕生日を言い当てます。
今まで占いなど信じてこなかった鍾毓はにわかには信じがたいその現実に驚きました。その上で管輅の力は本物だと確信したので自らの死については怖いので聞かないでおくことにしました。当たるか当たらないかわからないものなら仕方ありませんが、予言の域まで入ってしまうと自分の死ぬ日なんて実際聞くのは怖いですよね。
こうして名の知れた人たちを次々と占ってその力を示し続けた管輅の噂は次第に多くの人に広まりつつありました。それにしても天文占いで誕生日すら当てれてしまうなんて、怖いですけど少しだけ興味がわいてしまいますよね。占いって凄いです。
位の高い権力者にも媚びずに真実をハッキリと伝える精神力
■ 位の高い権力者にも媚びずに真実をハッキリと伝える精神力
位の高い権力者にも媚びずに真実をハッキリと伝える精神力
皆さんは上司や先輩など自分より立場のある人に物事をハッキリ言えるでしょうか?結論から言えば、管輅は真実を誰にでもハッキリ突き付けてしまう精神力を持ち合わせていました。相手にとって都合の良い事をいって気に入られるということには関心をよせず、人に媚びるようなことを言わず、ただありのままの真実を伝えるといった馬鹿正直な人間だったのです。
例えば、そういったエピソードの一例として曹爽の側近の何晏という人との話があります。当時、魏の国に曹爽という政治家がいました。良く名前が似ているので曹操と間違われますが、全くの別人です。この曹爽には易学に詳しい側近の何晏という人が仕えていました。
占い師としては名の知れていた管輅はちょっとした有名人だったので、何晏は管輅と話してみたくなり、自分の元へと招きました。すると殊の外話は盛り上がり、二人は易について気が済むまで語り合ったのでした。その時間は両者にとってとても有意義なものであったと思います。
既に管輅が占い師として本物だと考えていた何晏は管輅に聞けば悩みが解消されるかもしれないと思い相談を持ち掛けることにしました。もっと出世したいという思いを抱いていた何晏はその野望を打ち明けると共に、最近見る奇妙な夢についてなぜそのような夢をみるのかを管輅に尋ねました。
夢の内容は自分の鼻先にハエのとまる夢をよく見るといったありがちな話ですが、こうした夢をみるのには何かしらの理由があるのではないかと思い管輅ならその答えを知っているのではないかと考えます。
夢占いというのは現代でもありますが、この頃からこうしたものがあったんて驚きですよね。結局、夢って何かしらの心理状態がそこに反映されていることもあるので、実際問題馬鹿にしたもんじゃないんですが、夢が現実や未来を暗示するだなんて考えてみたら科学的には立証出来なさそうなことなのでにわかには信じがたいですが、管輅のような天才がいうことならば、信じても良いかもしれませんね。
そして結果的に管輅は夢について語りだします。しかし、夢が暗示する内容はあまり良いものとは言えませんでした。それでも管輅は物怖じすることなく何晏にハッキリと現実を叩きつけます。
先ずは位も権威も高いとはいっても人望が殊の外無いということや、仮に出世したとしても今の何晏ではたちまち崩壊してしまうことは必然であるということを伝えます。もちろん占いの結果としてそう出ているのであって悪気があっていってるのではありませんが、今で言えば自分より目上の人、つまりは会社で言えば上司に対して部下がハッキリいっているようなものなので、管輅は立場などは考えず思ったことはハッキリいう並外れた精神力をしていたのではないでしょうか?
普通ならば、ここまで言われたのですから悪気は無いとしても何晏が気分を悪くしてしまってもおかしくはないところですが、管輅は悪気があってそんなことをいうような人物では無いと思ったのか、言われたことを受け止めて、感謝の言葉を述べたそうです。
実際は気分を害していることも人間ですのであり得るのでしょうが、もしかするとこうした
厳しいことをハッキリいってもらえて清々しい気持ちであったのかもしれませんね。
自らの死期を自らの人相をみて悟ってしまう最期
■ 自らの死期を自らの人相をみて悟ってしまう最期
自らの死期を自らの人相をみて悟ってしまう最期
管輅を語る上で外せないのが自らの死期を自らの人相をみて悟ってしまうというエピソードです。ある日、管輅を訪ねて弟がやってきたときのことです。当時、占い師として名声を得ていた管輅に対して弟は、司馬昭が兄上のことを褒めていたこととそれに伴って出世できるのではないかと尋ねます。
勿論、勘の良い管輅ですので、自らの力がたくさんの人に認められ、必要とされており出世できる可能性が能力で見ればあるのだということはわかっていました。しかし、現実的にそれは無いことだということも管輅はわかっていました。
先を見通すことのできるようになった管輅には誰にも打ち明けられなかった悩みがありました。本当は一人でそれを抱え込むつもりでしたが、抱え込めなかったのか弟にそれを打ち明けることにしました。その悩みとは自分の死期が既に迫っているということでした。
とはいえ、病気になっているわけでもないので普通に考えれば死ぬなんていう確証はないはずですが、自らの力を疑わなかった管輅からすればそれは避けることのできない事実でした。弟に自分の顔に死相が出ていること、来年自分は死んでしまうことを伝えました。
結局、予言通り管輅は翌年亡くなってしまいました。当たるも八卦当たらぬも八卦というのが占いですが、的中率100パーセントの占い師になってしまうと分からなくても良いことまで分かってしまいます。自分の死ぬ日なんてわかってしまったらこんな力ないほうが良かったなんて後悔してしまいそうです。きっと管輅の中にもそんな想いがどこかにあったのかもしれません。
まとめ
■ まとめ
まとめ
三国志の時代に易学を学び占いのスペシャリストといわれた天才がいたという事実には驚きました。管輅は幼少のころから星座に興味があったので天に与えられた才能だったのかもしれませんし、好きなことを学んで得た知識であったからこそ一人前の占い師になれたのかもしれません。
それでも、占いとはいえ先の未来が見透かすようにわかってしまえば自分の死期などもわかってしまうので怖いですよね。占いを極めるのも怖いと感じました。それでも怖いもの見たさに勉強しようという方は勉強してみてはいかがでしょうか?