三国志の大きな醍醐味のひとつといえば、智謀と智謀のぶつかり合い、計略合戦です。今回は三国志演義を中心に、まさに必殺! な計略たちをいくつかピックアップしてご紹介したいと思います。
三国志で最も有名な武将として知られているのが関羽です。理由の一つとしては三国志の主役である劉備(玄徳)と義兄弟として最初からお供をしていたということがあります。しかし彼の強さが際立ち、数多くの敵将を討ったということが挙げられるでしょう。そんな関羽について紹介します。
三国志一の暴れん坊・張飛の存在は誰にとって必要不可欠だったのか
三国志で最強ランクに位置する猛将・張飛。イメージは酒癖が悪く、暴力的ですが、実は意図してそうしていたのかもしれません。張飛の魅力に迫ります。
三国志と言ったら激しいバトルや貧しい生活常に生死と向き合っている過酷な時代背景というイメージがある。しかしその中にも「え~?!」とつぶやいてしまうシーンもある。ここでは吉川英治の三国志を基にそんなエピソードをまとめてみました。
三国志のお笑いネタとして、前回も下らないエピソードをご紹介しました。爆笑とまではいきませんが、クスっと笑えるネタを今回もお届けします。
魏・呉・蜀がそれぞれ滅亡してから約1000年後。「三国志」の娯楽化が進むことで、まさかの三国志を題材にした漫談や喜劇が生まれました。本記事では、三国志をテーマにしたお笑いネタをご紹介します。
三国志・大軍を率いた劉備を破った名将・陸遜(りくそん)の忍耐力
呉の英雄・陸遜。孫策や周瑜と並び人気があります。周瑜は曹操を破りましたが、陸遜は劉備(玄徳)を破っています。夷陵の戦いの際の陸遜の采配に注目してみました。
三国志の中では、【男が惚れる男】というのが定着化しています。しかし、そのような男性は女性でも惚れる要素が間違いないといった人物でもあります。義理堅く、主君や国の為に殉じた武将や家族を守るために戦った武将、己の野望を満たすだけに剣をふるった豪傑など、武将ごとに人を惹きつけるドラマがあります。
三国志演義最大の見せ場と言えば赤壁の戦い。演義では多少誇張されているとはいえ、とても大切な戦いであったことは言うまでもありません。そこで、赤壁の戦いが三国志の歴史に与えた意義を様々な角度から検証してみるとしましょう。
三国志って言っても登場人物が多いしどこから手を付けていいのか分からない。もしくは流れが全然わからないからとりあえず全体像を知りたい。そんな人は多いでしょう。ここでは流れに重視した超ハイライトをまとめたので特に三国志を知らない人は読んでみてください!
三国志というと劉備(玄徳)=いい奴、曹操=悪い奴というレッテルが張られがちですが、実際のところはどうでしょう。なぜそのように言われているのか、もしくはその考え方は正しいのか。劉備(玄徳)について検証してみましょう。
みなさんお待ちかねの良妻賢母シリーズ第2弾ですよーーー!!内容は前回よりもパワーアップ。「母は偉大なり」をおのずと感じてしまったエピソードを記事に盛り込みました。
「臥龍と鳳雛、どちらかを手に入れれば天下も手に入る」と言われていた時代にその双方を手に入れたものの、蜀一国の建国に留まった劉備(玄徳)。それだけでも素晴らしいのですが、なぜ天下統一出来なかったのか、いくつかの理由に迫りましょう。
日本でも多くのファンがおり、とても人気な三国志。三国志人気の聖地(遺跡)をご紹介します。
三国志の中には、とても特徴的な武将たちが多いです。大きく分けて、蜀の武将、魏の武将、呉の武将、その他の武将に分けることができます。今回は蜀国の武将を紹介しようと思います!一体、田舎生まれの劉備(玄徳)がどんな武将や軍師を仲間にして、曹操や孫権と戦ったのでしょうか?それでは詳しく見ていきましょう。
【良妻賢母シリーズ第1弾】諸葛亮 孔明 含む 英雄たちの母と妻のお話
英雄となる優れた皇帝や強い武将たちは母親に礼儀作法、人とはなるたるものかを学び、献身的な妻に支えられて偉業を成し遂げてきました。本記事では、是非世のママさんたちに読んでほしい!三国志で活躍する諸葛 亮 孔明 含む英雄の妻、母親たちに関する逸話・名言をご紹介します。
三国志を彩る個性豊かな知将7選をご紹介!
今回は三国志を彩る個性豊かな猛将10選をお送りします。三国志は群雄割拠の時代がメインです。群雄割拠の時代を生きた猛将を10人ご紹介します。
蜀の初代皇帝の劉備(玄徳)、関帝聖君として祀られ神様になった関羽、五虎将のひとりに数えられる張飛、漢の丞相となり魏国の基盤を作った曹操も呉を建国した孫権の父孫堅も、もともとは一端の商人や小役人だったのですが、小説やドラマではあまり触れられることがありません。英雄たちはどんな職業について生計を立てていたのでしょうか。
三国志のストーリーで重要な役割を果たす「天下三分の計」。多くは諸葛孔明が劉備(玄徳)に献策したものと理解しているが、史実を紐解いてみると面白い事実が分かる。天下を曹操・孫権・劉備(玄徳)の三勢力に分けるという「天下三分」の構想は、意外な人物にオリジナルがあったのだ。