【良妻賢母シリーズ第1弾】諸葛亮 孔明 含む 英雄たちの母と妻のお話

【良妻賢母シリーズ第1弾】諸葛亮 孔明 含む 英雄たちの母と妻のお話

英雄となる優れた皇帝や強い武将たちは母親に礼儀作法、人とはなるたるものかを学び、献身的な妻に支えられて偉業を成し遂げてきました。本記事では、是非世のママさんたちに読んでほしい!三国志で活躍する諸葛 亮 孔明 含む英雄の妻、母親たちに関する逸話・名言をご紹介します。


賢をもって選ばれた黄夫人~諸葛亮 孔明の嫁選び~

賢をもって選ばれた黄夫人~諸葛亮 孔明の嫁選び~

賢をもって選ばれた黄夫人~諸葛亮 孔明の嫁選び~

黄夫人の評判

黄夫人の評判

黄夫人の評判

黄夫人は蜀の天才軍師・諸葛 亮 孔明の正妻です。彼女の名前は月英(げつえい)とも婉貞(えんてい)とも言われておりますので、記事中ではあえて黄夫人と記述します。黄夫人は河南郡の名士・黄承彦(こうしょうげん)を父に、荊州刺史劉表の後妻蔡夫人の姉を母にもつ名家の出身です。

諸葛 亮 孔明は寝食を忘れて勉学に励み、教養と徳を身に着け高い名声を得ていましたが、女っ気のほうはからっきしであったようです。そんな諸葛亮に目をつけたのが、河南郡名士の黄承彦、黄夫人の父親でした。
黄承彦は諸葛亮(孔明)に一人娘の黄夫人との縁談を持ちかけますが、諸葛亮(孔明)は逃げ腰でした。なぜなら、黄夫人は赤毛・色黒・あばた面の醜女(しこめ:ブス)という評判があったからです。
あばた面とは、ニキビやできものの痕が残って、ちいさくデコボコした皮膚の顔のことを言います。当時は、色白で艶のある黒髪をした女性が美女だとされていたので、黄夫人の評判は美人の正反対でした。三国志の民間伝承には、黄夫人の評判の悪さ表すこんな歌があります。
「孔明、婦(つま)を択(えら)ぶを作(な)すことなかれ。まさに阿承が醜女を得ん。」
(口語訳:孔明の嫁選びを真似るでないぞ、黄黄承彦のブスをつかまされる)

縁談の申し入れ

縁談の申し入れ

縁談の申し入れ

黄承彦に縁談を持ち込まれたものの、なかなか気が進まない諸葛亮(孔明)。黄承彦はよっぽど諸葛亮(孔明)を気に入ったのでしょう。「ならば、うちに古い絵を見に来ないか?」と笑顔で誘い、諸葛亮(孔明)はそれをむげにも断れず、黄家を訪ねることにしました。
黄家の門の中に入ると、突然牙をむいた猛犬が襲ってきました。「わっ」と声を上げて、無様にしりもちをつくと今度は虎に襲われました。
諸葛亮(孔明)「ひぇーお助けをー」悲鳴を上げて反射的に目を閉じました。しばらくして、「あれ…?、なんともない」と気付いた諸葛亮(孔明)が目を開けると襲ってきた虎は猛犬を抑えにかかり、黄承彦は笑っていました。犬と虎をよく見ると、からくり仕掛けの人形でした。

家の中に通されると、お茶を運んできたのはからくり人形でした。
諸葛亮(孔明)は目を丸くして「いやぁ~、先生の才知はとても人間業とは思えません」と感嘆を表明すると、黄承彦はその世辞を笑い飛ばし「孔明 殿、褒める相手を間違えています。からくりはすべて私の娘が作ったものです。見た目が見苦しいので、今まで嫁のもらい手がいなかったのです。」と恥かしそうに言いました。
女性でこんなに精巧なからくりを作れる者は二人といない、諸葛亮(孔明)は周りの風評に流されて本質を見ようとしなかった自分を恥じ、愚かさを悟ってかしこまり、地に額を擦りつけて諸葛亮から黄夫人との縁談を申し入れました。

諸葛亮(孔明)と黄夫人の初対面

諸葛亮(孔明)と黄夫人の初対面

諸葛亮(孔明)と黄夫人の初対面

婚礼日、寝室で花嫁の被り物を取った諸葛亮(孔明)は、はっと息を飲みました。花嫁は噂で聞いたものとはまるで異なる輝くばかりの美女でした。
黄夫人は開いた口がふさがらない諸葛亮(孔明)に「みてくればかりを気にする愚かな男を遠ざけるため、わざと醜女だという評判を流しました。私を理解してくださる方をお待ちしていた甲斐がありました。」と微笑みかけました。
外見より中身を重視した諸葛亮(孔明)は、結果的に才色兼備な女性を伴侶に迎えることができました。

魏国の良妻賢母の象徴 卞皇后

魏国の良妻賢母の象徴 卞皇后

魏国の良妻賢母の象徴 卞皇后

倹約家曹操の妻

倹約家曹操の妻

倹約家曹操の妻

卞皇后は、曹操の3番目の正妻です。劉夫人が他界し、丁夫人が曹操と離縁したため、正妻になることができました。
芸妓の出身で卑しい身分でしたが、曹丕・曹彰・曹植・曹熊を産み、息子たちの異母兄弟も養育しました。芸妓だったのに華美を好まず、倹約家で慎み深く、節度を重んじる女性でした。
その様子は正史の中にも記録されていて「倹約家で華美を好まず、刺繍入りの衣服や珠玉は身につけなかった。食器類もすべて黒の漆器だった。」とあります。
曹操が最も愛した女性で、曹操は離れがたいあまり出征の折も卞皇后を連れて行ったほどだと言われています。

中等の品を選んだ卞皇后

中等の品を選んだ卞皇后

中等の品を選んだ卞皇后

曹操が何組か素敵な耳飾りを入手して、妻妾たちにプレゼントしたことがありました。
曹操が「どれでも好きなものをもってけー」と机に耳飾りを並べさせると、最初に選ぶのは正妻である卞夫人です。卞夫人が並べられた耳飾りの中から選んだのは、中等な品でした。
これには、曹操も驚いたのでしょう。中等な品を選んだ理由を卞皇后に尋ねると、彼女はこう答えました。
「その上なるものを取らば貪(たん)となさん、その下なるものを取らば偽(ぎ)となさん、故にその中なるものを取れり」(口語訳:上等な品を選べば、欲深いと思われます。かといって下等な品を選べば、わざと節約していると思われるでしょう。だから、中等な品を選んだのです。)

卞皇后の口癖

卞皇后の口癖

卞皇后の口癖

ドケチな曹操の妻、卞皇后も相当な倹約家です。彼女の口癖は、「お上の恩恵をあてにし、贅沢をしてはなりません。」というものでした。
曹操が召し抱えた多くの妻妾の中で、特に気に入られた理由はこの倹約っぷりを曹操に買われたからだと思います。

泣かずに一人息子を送り出す 劉備(玄徳)の母

泣かずに一人息子を送り出す 劉備(玄徳)の母

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幼少期から女手ひとつで劉備を育てた母親

幼少期から女手ひとつで劉備を育てた母親

幼少期から女手ひとつで劉備を育てた母親

劉備(玄徳)の母は、生没年も名前も不明です。陳寿が記した「正史」の中では、「劉備(玄徳)は幼くして父を亡くし、母とともにむしろを編んでは、それを売って暮らしていた」、「劉備(玄徳)が15歳の時、母が櫨植のもとへ遊学させた」としか記述されていません。三国志演義では、「桃園結義」に登場しますが、それ以降登場しません。

義勇軍志願に戸惑う劉備(玄徳)

義勇軍志願に戸惑う劉備(玄徳)

義勇軍志願に戸惑う劉備(玄徳)

劉備(玄徳)が仁義慈愛溢れる名君というのは、みなさんご存知かと思います。劉備(玄徳)は中山靖王の末裔ということを聞かされた時から、荒みきった漢王朝を復興させることを夢みていました。しかし、当時は庶民の身分になり、むしろ編みで生計を立てていた劉備(玄徳)は、官軍の兵士どころか地方の小役人にさえならない身分でした。そんな彼にとって千載一遇のチャンスが義勇軍への志願でした。

義勇軍はたいてい、土地や財産が相続されない次男、三男がメインで志願します。戦争で武功を立てれば、土地や財産が手に入るからです。長男であれば志願する必要もなく、むしろ従軍したいと言えば親に全力で制止されるほどでした。
劉備(玄徳)はこのとき少なくとも25歳、当時女性が結婚できると認めらるのが15歳なので、劉備(玄徳)の母親は少なくとも40歳です。当時の平均寿命は30歳なので、いつ死んでもおかしくない年齢でした。
それ故、仁義に厚い劉備(玄徳)は志願するかしないか迷っていたのです。

立つべき時に立ちなさい

立つべき時に立ちなさい

立つべき時に立ちなさい

「義勇軍に志願する」と言って意気投合した劉備(玄徳)、張飛、関羽の3人はよく酒を酌み交わしながら語り合っていたそうです。しかし、まだ劉備(玄徳)が母親に志願することを告げていないと打ち明けると、張飛と関羽は驚き、必死になって劉備(玄徳)を説得しました。その晩、劉備(玄徳)は母親に志願兵になることを打ち明けました。すると、母親は「男は立つべき時に立つものです」とひとことだけ話し、志願することを承諾しました。

かくして劉備(玄徳)は、関羽・張飛と呼びかけに集まった義勇軍志願兵を500名を引き連れて、黄巾の乱鎮圧に向かいます。その一行を息子を兵役に出した母親たちが泣きながら見送っていましたが、劉備(玄徳)の母親だけは泣いていませんでした。一行が見えなくなり、劉備(玄徳)の家では母親がひとりですすり泣く音がしていたそうです。
「優しい息子の前で泣いてしまえば、母親想いの息子が戻って来てしまうかもしれない。それでは、息子の巣立つを機会を邪魔することになる。」彼女はそう考えて必死に涙をこらえていたのです。
その後、劉備(玄徳)の母親がどうなったのかはわかっていません。

まとめ

まとめ

まとめ

三国志はただ汗臭い男たちの戦記ではありません。英雄たちの奥さん、お母さんのことを調べてみて、私は悟りました。この時代は女性も必死に戦っていたことを。
これからも漫画やゲームには出てくることのない、三国志の偉人を支える奥さんやその人物を育てたお母さんの名言、美談を調べて情報発信していきます。次回の良妻賢母シリーズをお楽しみに。


この記事の三国志ライター

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