検証1 劉備(玄徳)という人物
■ 検証1 劉備(玄徳)という人物
検証1 劉備(玄徳)という人物
三国志のスタートの場面に桃園の誓いというものがあります。これは劉備(玄徳)、関羽、張飛の三人が宴会で義兄弟の契りを結ぶ場面です。身分の違う二人を義兄弟として迎えいれ浸食を共にした。このように身分が違っても横柄な態度をとることをしない劉備(玄徳)はまさに「いいやつ」と捉えられたでしょう。また、人にへりくだる様は大衆受けが良く、劉備(玄徳)のことを「先生」と呼ぶものは多かった。その一方で読書は嫌いで、音楽や美しい衣服を好むという坊ちゃん気質もしっかりありました。そこら辺の坊ちゃんと違い喜怒哀楽を表に出さいのは受けが良かったことでしょう。さらには関羽、張飛と言ったガキ大将とは義兄弟。ついていく人は多いでしょうね。
検証2 劉備(玄徳)の能力について
■ 検証2 劉備(玄徳)の能力について
検証2 劉備(玄徳)の能力について
読書が好きでないという劉備(玄徳)はもちろん兵法書などもきっとさほど読まなかったのでしょう。曹操には「劉備(玄徳)は戦争というものを理解していない」と言われていました。そんな曹操の予言を忠実に実行するかのように劉備(玄徳)にははっきり言って軍才はありません。自ら兵を率いても大敗を喫したり、士気を下げさせてしまったりということが多々ありました。では劉備(玄徳)は無能な王様だったのかというとそうではありません。自分はダメだが自分の周りのものがしっかりしていました。孔明はもちろんのこと、関羽に関して言えば曹操が喉から手が出るほど欲しがった武将でした。いってみれば求心力がものすごくあった!という所でしょう。
検証3 劉備(玄徳)の大切なもの
■ 検証3 劉備(玄徳)の大切なもの
検証3 劉備(玄徳)の大切なもの
劉備(玄徳)の大切なものと言ったらやはり義兄弟と言えるでしょう。劉備(玄徳)が残した言葉に「兄弟は手足のごとし。妻子は衣服のごとし」という言葉があります。「なんとなく聞いたことはあるな」程度だと思いますが、この言葉実は超問題発言です。妻子は取り換えることができるが、兄弟は一度失ったら元に戻らない。という例えです。これは張飛が自害しようとした際に言った言葉ですが要約すると「妻子よりお前の方が大事だ」というセリフです。「義兄弟を超えた関係なのではないか?(程度については想像にお任せします)」とも取れてしまう発言にもはや「部下想いのいい奴」という感情より、「こいつやばいんじゃないのか?」と思うのは私だけでしょうか。
検証4 人を引き付ける力は一級品
■ 検証4 人を引き付ける力は一級品
検証4 人を引き付ける力は一級品
仕事の場面で「一貫性がない」と注意されたことはありませんか?臨機応変を重視した場合一貫性が無くなり会社に不利益を被ってしまうということはよくあることです。しかし劉備(玄徳)は一貫性が無い人物だったにも関わらず人を引き付ける力は一級品でした。聖人君子とされる劉備(玄徳)ですが約束を破って土地を返さなかったり、信義を語っている割には裏切ったりします。硬すぎず臨機応変に物事を進めることは時に矛盾を産んでしまうけど、そういった行動の方が人間味にあふれ人から好かれるのかもしれませんね。逆に最初に決めた物事から脱線せずひたすらそれだけを守るという人は正しいのかもしれませんが面白みがなく、人はついてかないのかもしれません。
検証5 愚直に突き進む劉備(玄徳)
■ 検証5 愚直に突き進む劉備(玄徳)
検証5 愚直に突き進む劉備(玄徳)
検証4で臨機応変さについて記載しましたが、逆に愚直に突き進む面も持ち合わせているのが劉備(玄徳)という人物です。三国志で有名な孔明を味方につけるシーンである三顧の礼ではここまでかというほどへりくだり孔明に対峙しました。関羽も張飛も「そこまでする必要があるのか」と劉備(玄徳)に対して言ったが、そんな二人を説き伏せるほどでした。「こいつは絶対味方にする」と思ったら実行するなんてまるで麦わら帽子をかぶった超有名漫画の主人公チックなところがありますが、まさに人望の厚い大将という部分はぴったり一致してしまいますね!曹操には天が、孫権には地が、劉備(玄徳)には人が味方していると説いた孔明もまさに確信をついていると思いました。
検証6 民を味方につける力
■ 検証6 民を味方につける力
検証6 民を味方につける力
人望があるとされている劉備(玄徳)は孔明、関羽、張飛、趙雲などの三国志きっての軍師、武将を次々と仲間にしていきました。しかし劉備(玄徳)の求心力というのは何も軍師や武将だけに限ったことではありません。民衆に対してもこの力が発動されたのです。長坂坡(ちょうはんは)の戦いでは曹操の大群から迫られた際10万もの民衆が劉備(玄徳)に慕ってきました。さらにその民衆がいたのでは逃げようにも逃げられないから置いていこう。と言った家臣に対し「民衆は国の礎だ」と説き民を見捨てることはありませんでした。こういったところが劉備(玄徳)の人徳なのだと言えるでしょう。ちなみにこの際趙雲、張飛の大活躍で曹操軍から逃げ切ることができました。
検証7 意地っ張りだが策には弱い
■ 検証7 意地っ張りだが策には弱い
検証7 意地っ張りだが策には弱い
検証8 人を見る目は孔明以上
■ 検証8 人を見る目は孔明以上
検証8 人を見る目は孔明以上
孔明から帝位につくように諭される劉備(玄徳)でしたがそうしたら逆賊になってしまうということで断固拒否していました。何度要請しても折れようとしない劉備(玄徳)に対し孔明は逆に自宅に閉じこもりました。「劉備(玄徳)が帝位につかないと配下一同が散り散りになってしまうのが心配で居ても立っても居られないから死んでしまう」というと困り果てた劉備はあっけなく帝位につくことにしました。結果的に孔明の策通り劉備(玄徳)は帝位についたわけですが、配下に呉の討伐を命じました。趙雲や孔明がまずは「魏を討つべし」としたのも聞かず、関羽の敵である呉の討伐を命じてしまいました。
三国志では何かと孔明が、神がかっている存在で孔明=すべて正しい。という図式が当てはまっていました。しかし劉備(玄徳)が臨終の床で孔明に馬謖について「言葉が人物を超えてしまっている」(いってみれば口が達者な奴だから重用するな)と言っています。馬謖を買っていた孔明は劉備(玄徳)の遺言に背いていたが孔明は軍令に背いた馬謖のせいで大敗を喫してしまいました。これが有名な「泣いて馬謖を斬る」につながったわけですが、「孔明が間違っていた」という数少ないエピソードにつながります。自分の能力はそこまで高くない劉備(玄徳)ですがやはり人を見る目はずば抜けていたのでしょう。
まとめ
■ まとめ
まとめ
検証1~8で劉備(玄徳)について少しでも分かっていただけたら嬉しいです。もちろん私情も混ざっていますので諸説様々ある中から自分のハッとされたものを抜粋していて「そうじゃない」という意見もあるかとは思います。なので、必ずしもこういう人物だったという見方ではなく、なんとなくこういう人なのかもしれないと思ってくれたらありがたいです。
調べれば調べるほど劉備(玄徳)についていった者たちの凄さが分かり、彼の求心力には脱帽させられます。