行ってみたい!三国志オススメの聖地(遺跡)7選

行ってみたい!三国志オススメの聖地(遺跡)7選

日本でも多くのファンがおり、とても人気な三国志。三国志人気の聖地(遺跡)をご紹介します。


三国志は中国の三国時代を描いた物語です。日本でも多くのファンがおり、とても人気です。
最近では2008年に“赤壁の戦い”を描いた中国映画『レッドクリフ』が前編・後編に分か長編映画として公開、金城武が諸葛亮役をしており日本でも大ヒットをしました。
また、コーエーのゲームソフト「三國志シリーズ」は31年、「三国無双シリーズ」は15年続くロングヒット作品です。その他には、横山光輝の漫画『三国志』(1971年)、NHKの『人形劇三国志』(1982年)、李學仁・王欣太の『蒼天航路』(1994年)、中国大河ドラマ『三国演義』(2010年)、映画『関雲長』(2011年)、スマートフォンゲームなど、三国志に関連するものは数えきれないほどあります。
そこで今回は、三国志の聖地(遺跡)をご紹介します。

①三国志の歴史を変えた重要な地「赤壁古戦場」

①三国志の歴史を変えた重要な地「赤壁古戦場」

①三国志の歴史を変えた重要な地「赤壁古戦場」

中国映画『レッドクリフ』で描かれ一躍有名になった「赤壁の戦い」。
赤壁の戦いは曹操軍と孫権・劉備連合軍との大合戦になります。
数十万の兵を率いる曹操軍、数万の兵を率いる孫権・劉備連合軍。前評判では圧倒的に曹操軍の有利でした。水上戦に不慣れな曹操軍に対して孫権・劉備連合軍は火計をもちいて大勝利を上げます。
孫権・劉備連合軍の勝利により、曹操・劉備(玄徳)・孫権の三国による戦いが始まっていきます。

赤壁の戦いが行われた場所は、長江・漢水沿いに数ヶ所存在し諸説あります。
有力視されているのは、赤壁市西南の長江南岸に位置する赤壁古戦場です。
ここには水上の岩壁に赤壁と書かれた「赤壁磨崖石刻」、諸葛亮が祈祷をして風を起こした「拝風台」、龐統の住居跡「鳳雛庵」、「赤壁大戦陳列館」などがあります。
※すべて後世に造られたものです

ちなみに“赤壁”という言葉は、孫権・劉備連合軍が曹操の軍船を焼き払った時に燃えた炎が、長江の岸壁まで赤く染めたことに由来するといわれています。

②劉備(玄徳)と諸葛孔明との出会い「古隆中」

②劉備(玄徳)と諸葛孔明との出会い「古隆中」

②劉備(玄徳)と諸葛孔明との出会い「古隆中」

古隆中は諸葛亮が17歳から27歳まで住んでいた場所とされ、隆中風景区にあります。安住の地を求めて彷徨っている劉備に対して龐統が天才軍師諸葛亮を紹介しました。劉備(玄徳)が諸葛亮を蜀の軍師として迎えるために、3度も足を運び礼を尽くしたことから「三顧の礼」と言われ、「三顧の礼」の舞台になったのが、古隆中です。

古隆中は山頂にあり入り口から頂上までの山道には、「草廬亭」「武候祠」「三顧堂」「臥龍深処」「博物館」など、諸葛亮に関係の深い建物が点在しています。

③趙雲、張飛が大活躍した「長坂坡」

③趙雲、張飛が大活躍した「長坂坡」

③趙雲、張飛が大活躍した「長坂坡」

曹操軍と劉備(玄徳)軍が対戦した「長坂の戦い」。赤壁の戦いの引き金となった合戦です。
長坂の戦いでは、敗走する劉備(玄徳)軍の中、超雲が阿斗(後の劉禅(りゅうぜん))と甘皇后を救出しに曹操軍の大群に単騎で乗り込み救出するエピソードや張飛の長坂橋で曹操軍を単騎による大喝一声して足止させたことにより、劉備(玄徳)軍が撤退できたエピソードは有名です。

長坂の戦いを記念した作られた長坂坡公園があります。長坂坡公園の周辺には、趙雲像、劉備(玄徳)の妻と子どもが隠れていた太子橋、劉備(玄徳)の妻が身投げした娘娘井、張飛を祭った張翼徳横矛処があり、趙雲、張飛にまつわる遺跡が多数存在します。

④三国志の聖地「成都武侯祠」

④三国志の聖地「成都武侯祠」

④三国志の聖地「成都武侯祠」

成都武侯祠は中国最大の三国遺跡博物館で、諸葛亮を祭った社です。唐の時代から観光地として賑わっていたと言われています。
明代には隣接する主君・劉備(玄徳)の陵墓、漢昭烈廟と併合されました。
なぜ武侯祠と言われるかというと諸葛亮の贈り名である忠武侯にちなみ武侯祠と言われています。
戦火により建物は焼けてしまったため、今建てられている建物は、清代康熙の1672年に再建された建物になります。
3.7万平方メートルの広大な境内には、大門、二門、劉備(玄徳)、過庁、諸葛亮殿の五つ主体建築があります。劉備(玄徳)には金泥の劉備(玄徳)像、側棟には関羽、張飛等の像が祭られています。諸葛亮殿には、諸葛亮の像や諸葛亮自らが作ったとされる青銅製の巨大な諸葛鼓などの文物が収められていたりします。
その他、文化的価値の高い物も多いです。
また、周辺には土産物屋や四川名物が食べられる食堂街などもあり、観光スポットとしても楽しめます。

⑤蜀の英雄・張飛の神と崇める町「ロウ中」

⑤蜀の英雄・張飛の神と崇める町「ロウ中」

⑤蜀の英雄・張飛の神と崇める町「ロウ中」

ロウ中市は四川省の北東部、嘉陵江の中流地域にあります。
ロウ中古城は2300年以上の歴史があります。ロウ中古城は完璧な形で保存された唯一の古城で、古代巴国・蜀国の軍事的重要拠点でした。ロウ中は張飛の町として有名で、張飛が部下に殺害された地と言われています。張飛廟があり墓地に張飛が埋葬されているそうです。また、ロウ中市龍泉鎮には三国時代の名将厳顔を記念するために建てられた厳顔寺もあります。その他には、華光楼、貢院、民族会館など数多くの遺跡があります。
町には唐、宋、明、清の古い街並みが残っていて、時代劇のロケ現場としてよく利用されています。
ロウ中では、張飛は町の偶像でも神様として崇められています。この地では張飛は賢い人であったといわれており今でも尊敬されているそうです。

⑥諸葛亮と司馬懿激戦の地「五丈原古戦場」

⑥諸葛亮と司馬懿激戦の地「五丈原古戦場」

⑥諸葛亮と司馬懿激戦の地「五丈原古戦場」

五丈原は蜀の軍師・諸葛亮と魏の司馬懿が最後に戦った古戦場です。
諸葛亮は5度にわたる北伐を行いました。司馬懿率いる魏軍は圧倒的な国力を背景に持久戦法による戦いを行います。国力で劣る諸葛亮率いる蜀軍は司馬懿率いる魏軍に勝利することができませんでした。また、合戦中に諸葛孔明が病に倒れ帰らぬ人となった地でもあります。

諸葛廟(武侯祠とも呼ばれる)は五丈原で最も多くの人に知られている観光名所で、中には扁額、石碑、壁画、像などがあり。ほかには「豁落城」、「諸葛鍋」、「碁盤山」、「諸葛泉」、「諸葛田」、「盤盤道」、「魏延城」、「古葫盧峪」などの遺跡が数多く存在しています。

⑦諸葛氏の全てが分かる「諸葛宗祠」

⑦諸葛氏の全てが分かる「諸葛宗祠」

⑦諸葛氏の全てが分かる「諸葛宗祠」

諸葛宗祠は山東省にあり、諸葛亮生誕の地と言われています。
諸葛亮文化旅游区内にある諸葛宗祠は諸葛氏を祀る廟です。
総面積3600平方メートル。建物は、3つの主殿、2つの側殿に分かれています。
展示品としては12体の坐像、11点のレリーフ、刺繍の人物像18点があります。
諸葛亮のほかに祖先や子孫、諸葛氏出身の傑出した女性なども祀られています。
諸葛亮文化旅游区は諸葛一族のすべてがわかる場所なので諸葛亮好きはぜひ訪れたいところです。
その他には、諸葛亮文化旅游区に、諸葛亮銅像、十里漢街、諸葛草庵、八封迷宮などがあります。

まとめ

まとめ

まとめ

今回は、三国志の聖地(遺跡)をご紹介しました。
今回紹介した以外にも中国には三国志に関する聖地(遺跡)は多くあります。旅行会社でもツアーが組まれていたりするので、三国志遺跡巡りでリアルな体験をしてみてはいかがでしょうか。


この記事の三国志ライター

関連する投稿


三国志の英雄がイケメンに!?三国志をテーマにした女性向けゲームアプリ!

日本の戦国時代や幕末をテーマとした女性向け恋愛シミュレーションアプリがあるように、三国志をテーマにしたものも存在するんです! 素敵な英雄と恋を楽しんでみませんか?


三国志の人材コレクター!曹操が集めた魏の武将たち

群雄割拠の三国時代において、抜きんでた兵力を誇った魏の国。その礎となったのは、「人材コレクター」の異名を持つ曹操孟徳が集めた、優れた武将たちの働きでした。曹操は優秀な人材なら出自を問わず重用し後の蜀の皇帝・劉備(玄徳)の腹心である関羽まで手に入れようとしたほどです。そんな曹操のもとに集った腹心たちをご紹介します!


三国志の始まり~王朝の乱れより黄巾の乱の始まり~

「蒼天己死」~そうてんすでにしす~ 腐敗した漢王朝に代わる新しい世界を求めた者たちは、この言葉のもと各地で蜂起する。これが「黄巾の乱」である。この反乱が成功することがなかったが、三国志の英雄たちを歴史の表舞台に登場させることとなる。


董卓~三国志随一の暴君~

黄巾の乱後の政治的不安定な時期を狙い、小帝と何皇太后を殺害し、献帝を擁護し権力を掌握していく朝廷を支配していた絶対的存在。 政権を握った彼のあまりにもの暴虐非道さには人々は恐れ誰も逆らえなかった。 しかし、最後は信頼していた養子である呂布に裏切られるという壮絶な最後を遂げる。


魏軍武勇筆頭! 義にも厚かった猛将・張遼

曹操配下の将軍の中でもトップクラスの評価を受けるのが張遼だ。幾度か主君を変えた後に曹操に巡り合い、武名を大いに轟かせる。最後まで前線に立ち続けた武人の生涯をたどる。


最新の投稿


魏が滅んだ戦犯は曹丕!?魏の初代皇帝はどんな人物だった?

曹操の後を継ぎ、魏の初代皇帝となったのが曹丕です。実は、曹丕は魏滅亡の戦犯と言われることが多く人物となっています。そんな曹丕はどんな人物だったのでしょうか。そこで今回は、曹丕がどんな人物であり、なぜ戦犯とまで言われているのかについて紹介していきます。


諸葛亮(孔明)の用兵術と老将軍たちの武勇

「曹洪(子廉)将軍は蜀軍を恐れている」と大口を叩いて蜀軍に対峙した張郃(儁乂)が大敗して戻ります。曹洪(子廉)は激怒して張郃(儁乂)を打ち首にしようとしますが、他の将軍たちに諫められ、再び張郃(儁乂)にチャンスを与えます。しかし「日の出の勢い」の蜀。再び魏軍を打ち破ったのは老将軍でした。


三国志演義の見どころ 人気武将【劉備・曹操・呂布・趙雲】

世間的に三国志といえば「三国志演義」が愛されているといえます。一騎討ちや神業ともいえる智謀の数々、妖術など、人間離れした活躍を見せてくれます。もちろん、フィクションの世界ですが、ある意味正史よりも有名である三国志演義について、人気武将である劉備(玄徳)・曹操・呂布・趙雲らの見どころをここで解説していきます。


三国の愚者として扱われている劉禅(公嗣)について

「三国志で最も嫌われている人物は?」と聞かれたら董卓(仲穎)が真っ先に上がるのではないでしょうか。高貴な位をいいことに暴政の限りを尽くし最終的には身内である呂布(奉先)に殺されました。もしかしたら曹操(孟徳)や呂布(奉先)を挙げる人もいるかもしれません。しかし彼らは嫌われるようなことをした反面カリスマ性があり「嫌いではない」と答える人も多いでしょう。ここでは嫌われていて且つ救いどころも少ない劉禅(公嗣)について紹介したいと思います。


なぜ曹操は官渡の戦いで大軍相手に勝利することができたのか?

三国志という時代の流れを決定づける重要な戦いの1つが官渡の戦いです。この戦いで、曹操が袁紹に勝利したことで、曹操勢力の拡大につながっています。官渡の戦いでは、曹操軍は袁紹の大軍を相手に勝利を収めたわけですが、注目すべきはなぜ曹操が勝てたのかです。そこで今回は、官渡の戦いで大軍相手に曹操が勝利できた理由にスポットライトを当てていきます。