【良妻賢母シリーズ第2弾】母が与える愛のムチ

【良妻賢母シリーズ第2弾】母が与える愛のムチ

みなさんお待ちかねの良妻賢母シリーズ第2弾ですよーーー!!内容は前回よりもパワーアップ。「母は偉大なり」をおのずと感じてしまったエピソードを記事に盛り込みました。


孝行息子を一喝する劉備(玄徳)の母

お子さんが母の日や父の日におこづかいをはたいてプレゼントを買ってくれたらどう思いますか?とっても嬉しいですよね?
とある有名人の母親は、息子が必死に働いて得たお金で買った贈物を川に投げ捨ててしまいます。
これだけ聞くと「ひっでー親だな…」と思いますが、この行動は息子の胸にあることを刻み込むためにとった行動でした。さて、誰のお母さんのお話でしょうか?

マザコンの親孝行

劉備(玄徳)の母は「死ぬ前に一度お茶を飲んでみたい…」と常々つぶやいていました。「えっ…そんなもんでいいの!?」と思うかもしれませんが、当時お茶は高価で庶民となってむしろを編んで暮らしていた彼らには、とてもじゃないが庶民が手を出せるような代物ではありませんでした。

「ふふっ…お茶を買ったらかーちゃんに褒めてもらえるぞっ」そう思った劉備(玄徳)は、売り物にしていたむしろの大量生産に励み必死で安い売上金をコツコツと貯めてようやく量り売りで買えるほどのお金を作りました。劉備(玄徳)は母親が常々欲しがっていたお茶を入手して家路についていたとき、不運にも盗賊の襲撃に遭遇してしまうのでした。いかにも貧乏な青年の劉備(玄徳)ですが、このとき家宝の剣を佩いていたのに目をつけられてしまったわけです。

盗賊の頭 「オイ、そこの野郎。いいもん腰にぶら下げてんじゃーん。その剣置いてさっさと失せろ っ!!」
劉備   「こっ…これは父祖伝来の剣。我が父の形見でもある。そなたたちに渡すわけにはゆかぬ」
盗賊の頭 「そんなに強気なら痛い目にあわせてやる!!お前らやっちまえ」

劉備(玄徳)、丈夫の雄に救われる

そんなこんなで、彼は盗賊に囲まれてしまい暴行を受ける羽目になってしまいます。そんなとき、けたたましい足音とともに劉備の頭上を何者かが跳び越えました。

謎の男 「うらぁー」
盗賊  「ア――――ッ」

先ほど劉備(玄徳)の頭上を跳び越えたのは、どうやら人のようでした。その男は常人にはない怪力であっという間に盗賊たちをコテンパンに倒してしまいました。この男の容貌は「ドングリまなこに豹の頭、燕の顎に虎の髭」そうです、後々義理の弟になる張飛でした。

かくして、絶体絶命のピンチから救われた青年・劉備(玄徳)は張飛にぜひお礼をしたいと申し入れます。
しかし、この時劉備(玄徳)の所持金は0。持っていたのは、母親のために購入したお茶と父祖伝来の剣のみ。お茶と剣を天秤にかけ、己がもっていても仕方のない剣ではあるが、武勇の誉れ高い張飛であればきっと役に立ててくれるに違いないと思い、盗賊から身を守ってくれた張飛に感謝の意を伝えるとともに家宝の剣をお礼の品として渡すのでした。

劉備(玄徳)の母、お茶を川に捨てる

劉備は帰宅するといの一番に母のもとへ行き、お茶を贈りました。

劉備  「母上、お茶を買って参りました」
母 「あら、うれしい。阿備(備ちゃん)ありがとうね」
劉備  「(へへ…やったぜ)」

彼の母はたしかに喜びはしましたが、すぐに異変に気づいて顔色を一変させます。

母 「おや?阿備、お父様の剣はどうしたんだい?」
劉備  「あーそのことですか…実は帰り道盗賊に襲われてしまったところ張飛という者に助けて
     もらったので、お礼にその者に剣を差し上げたのです…」

すると、劉備の母は「この愚か者!!」と一喝するやいなや、家の側を流れていた川に劉備が苦労して入手したお茶を川に投げ捨てました。

母  「阿備、お前がこの母を喜ばせようと苦労してここに持ってきたお茶を捨てた母の心が
    わかりますか?」
劉備  「申し訳ありません。玄徳は愚息ゆえ母上のお心がわかりませぬ。どこが悪くてなにが
     気にくわぬのか叱ってください。」
母  「いいえ」
劉備 「それではお教えください。」
母  「勘違いをするでない。母は自分の気ままゆえにあなたを叱っているのではありません。
   家宝の剣を人の手に渡すような男に育ててきてしまったことを劉家のご先祖様、
   ひいては亡くなったあなたのお父様にもすまなく思ったからです。」

どんな時でも漢室の末裔であることを忘れない

劉備(玄徳)の母はおそらく優しさだけでなく漢室の末裔であるプライドも持ちなさいということを教えるべく、孝行息子が苦労して手に入れたお茶を投げ捨てたのだと思います。この数年後、義勇軍に参加して劉備(玄徳)は母親の元から巣立ちます。まさにこの時、「漢室再興」が劉備の心に刻み込まれたことでしょう。

息子の将来のために曹操にたてつく

このエピソードは、徐庶と徐庶の母のおはなしです。
諸葛亮が劉備のもとに来る以前の話。劉備・関羽・張飛を筆頭にした蜀軍はいろいろな名士に身を寄せては離れていく傭兵集団のような軍隊でした。その期間なんと10年間。ようやく腰を据えられるようになった場所は、荊州の新野城でした。
蜀軍には、「1人で1万の兵に匹敵する」と言われた関羽と張飛がいましたが劉備たちは3人とも戦略には疎かったので、軍師を招きいれるべきだと決断します。
そんなときに各地で雄弁をふるって就職活動をしていた徐庶(当時は単福)がこれを聞きつけ、いちばん乗りしました。

徐庶 八門金鎖の陣を破る

劉備が新野城に腰を落ち着けたのもつかの間、曹仁率いる曹操軍に侵攻されてしまいます。
徐庶を得た劉備は、さっそく軍師に徐庶を任命して曹操軍の撃退に当たらせます。
曹仁は八門金鎖の陣を敷くと「俺の陣を破れるかなー?」とドヤ顔で挑発してきました。その陣形は実によく整頓されていて一度入ったら終り…のような不思議な形をしていたそうです。
劉備はどう指示を出したらよいのかわからず、あたふたしていると徐庶が木の上にするすると登って陣形を観察し、スススーと降りて来て陣形の解説と対策を提案します。

徐庶 「わが君、あれは八門金鎖の陣といって云々…ですが、この陣は完全なものではありません。
    東南と西北の鬼門に弱点があるので、東南から陣へ突入し、西北に抜ければこの陣は敗れる
    でしょう」

劉備(玄徳)は徐庶の言うとおりに趙雲に司令を出すと趙雲は兵馬を引き連れて八門金鎖の陣に東南方向から突入。それから切り上げるようにして西北方向へ陣の中を移動しました。慌てて曹仁と李典が防御姿勢をとろうとして兵をスライドさせると、一度陣を抜けた趙雲がとっさに馬首を切り替えし、西北方向から陣に突撃しました。兵をスライドさせたことによって陣形は崩れてしまい、瞬く間に曹操軍は散り散りに敗走しました。

曹操 徐庶に興味をもつ

天晴な策を提案し、八門金鎖の陣を破った徐庶を曹操は見逃しませんでした。
これまで戦略がダメダメだった劉備軍がこれまでとは180度変わったような戦をしたことで、曹操は徐庶に興味を持ちました。
曹操は度量があり、自分を殺めようとした者であっても能力が優れていれば過去のことを水に流して有能な人材を発掘してきた人材採用のスペシャリストです。
曹操はどうしても徐庶を自分に心服させたいと思い、徐庶が義理人情に厚く孝行者だと聞きつけるとただちに徐庶の母親を迎え入れて劉備を蔑みながらあることないことを徐庶の母親に話して説得します。母親が直々に説得すれば孝行息子の徐庶は必ず降ってくるだろうと考えたからです。曹操が話したないようはこんな感じです。

①「奥さん、あなたの息子さんは逆賊の味方をしていますよー」
②「あいつはただの田舎者で私利私欲のために王都に侵略しにきてるんですよ」
③「私は実際に陛下をお助けして、漢をお支えするために尽力しているんです。あいつとは違いま
  すよ」

これに対する徐庶の母の返答は、
①「劉備というお人は庶民から百姓にいたるまで慕われているよくできた人です。そんな人に仕え
  られるなら私の息子は幸せものです。」
②「私利私欲を尽くしているのはあなたでしょう。」
③「お助けするのではなく、利用しているのではないのですか?陛下をないがしろにし、朝廷簒奪
  を謀っているのはあなたです。」

さすがに曹操も我慢の限界を超えてしまい徐庶の母を殺害しようとしますが、部下たちから
「殺してはいけません。これは、彼女の計略ですぞ。彼女は死を覚悟した上でかように振る舞っておるのです。彼女を殺せば徐庶は絶対にこちらへ来ることはないでしょう。」と諭されたため、やむなく徐庶の母を厚遇しながら、次の手立てを考えます。

曹操 手紙を偽造する

ある日曹操のもとに1通の手紙が届きます。それは徐庶の母からの手紙で、日頃厚遇してくれていることへの感謝を表す手紙でした。
「これだっ!!」。曹操はひらめきました。この手紙の筆跡を真似して徐庶を騙そうと考えるわけです。

曹操から送られた偽の手紙を受け取った徐庶は「母が曹操に人質にされているので、お暇願いたい」と劉備に申し出ます。劉備もマザコンなだけに「それならば、仕方ない」とあっさり承諾し、徐庶を送りだします。
徐庶が一目散になって母親の元へ駆けつけます。息子から事情を聴き蜀陣営を抜けたことを知った徐庶の母は自分の手紙が原因で朝敵に息子が仕えることになってしまったことを後悔して、自害しました。

格別な扱いをされている徐庶の母

徐庶の母親はおそらく申し訳ないという気持ち以外にも劉備のもとへ息子を戻そうと自分が足でまといにならないように自害したのではないでしょうか。
残念ながら、徐庶はこの後劉備のもとへ戻ることはなく生涯魏に仕えて70代まで生きたそうです。しかし、曹操には戦略の提案をすることなく、赤壁大戦では蜀軍の偽装工作を見逃すなどして鳴かず飛ばずの生涯を送りました。
徐庶の母親は、自害したあとにも格別な待遇を受けています。「徐庶母墓」という墳墓に埋葬され、墓碑まで建てられています。一介の家臣の母親としては実に珍しいことです。皇后でさえ、皇帝と同じ墳墓に埋葬されるくらいです。
徐庶の母親は中国人にとっても母親の鏡とされている女性なので、徐庶の故郷にも住民らの手によって「徐庶母墓」は築かれており、1982年に許昌の重点文物保護単位に認定されています。

母への愛と母の愛

劉備(玄徳)と母親、徐庶と母親。どちらのエピソードも息子からの母への愛情と母からの息子からの愛情が交錯しています。
劉備の母は息子にプライドを持たせるためにわざと孝行をないがしろにしました。たいする徐庶の母は救出に来ようとする息子をわざと来させないようにしました。
二人の母親は断腸の想いで以上の行動をとったと思われます。可愛い息子の気持ちは重々承知だが、「やるべきことやりなさい」と行動に示すのはなかなか真似できないと思います。
二人の母親が劉備(玄徳)、徐庶のその後の人生を大きく左右したと言っても過言ではないはずです。

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劉備(玄徳) 徐庶

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