三国志一の暴れん坊・張飛の存在は誰にとって必要不可欠だったのか

三国志一の暴れん坊・張飛の存在は誰にとって必要不可欠だったのか

三国志で最強ランクに位置する猛将・張飛。イメージは酒癖が悪く、暴力的ですが、実は意図してそうしていたのかもしれません。張飛の魅力に迫ります。


三国志演義に描かれる張飛の異相

三国志には面相に特徴のある人物がたくさん登場します。蜀の劉備は「手を伸ばせば膝より長く、両耳は自分で振り返ってみることができるほど大きかった」そうです。呉の孫権は「角ばった面相で口が大きく、碧眼で紫髯」だったようです。
そんな中でも有名で人気があるのが張飛の面構えでしょう。三国志の「正史」にはその特徴が記されていませんが、「三国志演義」には詳細に表現されています。「豹のような頭に大きなドングリ眼、エラが張った顎に虎髭。さらに声は雷のようで、その勢いは暴れ馬のよう」だったそうです。張飛の虎髭はトレードマークとして後世にも広く伝わることになり、民衆に親しまれてきました。唐の時代の詩人が張飛の虎髭について作品を遺したりもしています。
三国志一の暴れん坊の張飛のイメージといえば虎髭なのです。見た目からして凄まじく強そうですね。

張飛の大活躍場面「長坂の戦い」

張飛の一番の見せ場といえば、荊州に曹操が攻め寄せてきたときでしょう。
主君の劉備(玄徳)は荊州牧・劉表の客将的な存在でした。その劉表が病没し、直後に曹操が侵攻してきます。多勢に無勢、劉備軍はひたすら南へと逃亡するのですが、曹操軍の追撃は激しく、劉備(玄徳)の妻子が戦場で行方不明になったりと大混乱しました。
このとき、張飛は二十騎を従えて殿を務めていました。南郡当陽県の長坂で曹操軍の騎馬隊に追いつかれた劉備(玄徳)でしたが、妻子を置いて真っ先に逃亡します。その妻子を救ったのが趙雲です。張飛は趙雲が戻ったことを確認した後、長坂の橋を切り落としました。
そして大音声で「張益徳ここにあり、死にたい奴は前に出て勝負せよ!」と叫びます。曹操の将兵は張飛に委縮し、追撃を諦めたのです。
このシーンは現代の京劇の中でも人気のある名場面となっています。

酒で失敗する張飛

張飛といえばやはり「酒癖の悪さ」も有名です。イメージどおりの酒好きで、さらに酒に酔って失敗をすることも度々ありました。しかも致命的な大失態です。
例えば、徐州の留守を劉備(玄徳)から任されたところ、禁酒の誓いを破って酒を飲み、さらに地元の豪族である曹豹に暴力を振るって恨みを買います。曹豹はそのまま呂布に内通し、あっさりと城を奪われるのです。城には劉備(玄徳)の妻子が置き去りの状態です。
日本の武士であれば完全に切腹ものですね。張飛も事の次第を劉備(玄徳)に説明すると自害しようとします。劉備(玄徳)は泣きながら止めて、「兄弟は手足の如く、家族は衣服の如し」と張飛を許します。劉備(玄徳)の器の大きさ、仁義の厚さを物語るエピソードでもあります。

暴力的な一面

張飛といえば三国志でも最強レベルに属する武勇の持ち主です。義兄の関羽が曹操に対して、自分よりも張飛のほうが強いと言って驚かせます。
実際に張飛は一騎打ちにおいて無類の強さを誇っています。蛇矛を振るって数々の猛者を討ち取りました。魏の夏候惇と互角の腕前だった曹豹を倒していますし、関羽と互角に戦った経験を持つ袁術配下の紀霊も倒しました。魏ではトップクラスの強さで有名な許褚も退けています。倒せなかった相手は呂布と馬超くらいでしょうか。
しかし張飛は鬼のような武者ぶりを発揮するだけでなく、明らかな弱者に暴力をふるうこともありました。賄賂を要求する督郵(官位)を暴行したり、命令を守れなかった部下を鞭で打ったりしているのです。
ちなみに張飛が死んだ原因は、この痛めつけた部下に、酒に酔って眠っているところ寝首を搔かれたことになっています。

張飛の武勇の価値

三国志に登場する英雄たちの中で、ここまで短所が明らかなのは張飛くらいなものでしょう。「酒癖が悪く、暴力的」というのは現代では絶対に受け入れられない人物像です。
それでも劉備軍において張飛の役割はとてつもなく大きいものがありました。
もちろんその武勇は貴重です。曹操の配下の者たちも張飛の強さには敬意を払っています。例えば軍師のひとりである程昱は「張飛は一万の兵に匹敵する」と評価していますし、同じく劉曄も「その武勇は全軍で群を抜く」と賞賛しました。
孫権配下の名将のひとりである周瑜もまた「関羽と張飛を従えれば大事業も成せる」と語っています。
呂布亡き後、最強の武将は張飛だったかもしれません。そのおかげで劉備は敗戦を繰り返しても生き残ります。

張飛の存在価値

しかし、その武勇以上に貴重なのが張飛の暴力性なのです。
兵はもちろん張飛を恐れます。訓練にも死ぬ気で臨んだことでしょう。手を抜けば張飛に打ち殺されるからです。劉備軍は少数ながら精鋭となりました。
様々な群雄のもとを転々とする劉備(玄徳)にとってこの張飛の存在は重要です。客将など、譜代の家臣からすれば邪魔な存在ですが、張飛の蛮勇を恐れて劉備(玄徳)を押さえられないのです。客将ながら劉備(玄徳)の発言権は増します。劉備(玄徳)に危害を加えようと企む者も多かったでしょうが、張飛の存在がその抑制作用を生んでいます。
そして何より、そんな張飛をコントロールできる劉備に対して周囲は一目置くことになります。劉備(玄徳)がいれば張飛に暴力をふるわれないので、兵たちも自然と劉備(玄徳)を慕うようになります。劉備(玄徳)のカリスマ性がどんどん高まるのです。
張飛の暴勇を諫めることで劉備(玄徳)は理想の君主としてイメージを確立していきます。

まとめ・張飛はやはり英雄

自分の価値を張飛は自覚していたかもしれません。そして敢えて汚れ役を引き受けることで義兄であり、主君でもある劉備(玄徳)の高潔さを際立たせたわけです。
あの張飛がそこまで考えていたわけないでしょ、と一蹴される方もいるかもしれませんが、張飛は武勇だけでなく知略にも優れていたことは示されています。益州の劉璋攻めのときには策によって敵将の厳顔を捕らえました。さらに定軍山の戦いでは地形なども巧みに利用して張郃も破っています。
張飛は他人からどう見られるのかをわかっていて、敢えて暴力的に振る舞ったのかもしれないのです。
そう考えると、劉備(玄徳)の志を遂げるために必要不可欠だったのが張飛なのではないでしょうか。
シュミレーションゲームなどで張飛の知力がとてつもなく低く設定されているのは誤っているのかもしれませんね。
そんな張飛の姿を見たい方はぜひ北方謙三先生の「三国志」を読んでみてください。あなたの固定観念をぶち壊すくらいカッコいい張飛を堪能できますよ。

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