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諸葛亮って実際どれくらいすごいの? 演義と正史に見る諸葛亮像
三国志においてもっとも有名な人物と言えば、やはり諸葛亮でしょう。主に三国志演義における第二の主人公として、ネット上でネタにされることも多い天才軍師ですが、正史と演義ではそのイメージが随分違っていることをご存知でしたか?今回は、そんな諸葛亮についてご紹介します。
前回に引き続き、あなたに三国志で劉備(玄徳)や曹操(孟徳)らが戦っている最中に日本でなにが起きていたのか…。それをぜひとも知ってほしいと願い、この記事を書かせていただきます。
三国志には有能なのに、なかなか世間的に評価されない武将が存在しています。時代背景もあって、裏切りや主君の出来によってはあまり活躍しても、関羽や張遼のような評価はされにくいことが結構あります。ここでは有能なのに評価されない代表的な武将「魏延」をご紹介していきます。
三国志は熱い熱い男たちの戦い。そして熱い男たちが居るところには、必ずイケメンが居るものなのです。今回は、三国志の中でも容姿が整った人物だった7名をご紹介したいと思います。イケメン好きな方は、是非ご覧になってみて下さいね。
群雄割拠の三国時代において、抜きんでた兵力を誇った魏の国。その礎となったのは、「人材コレクター」の異名を持つ曹操孟徳が集めた、優れた武将たちの働きでした。曹操は優秀な人材なら出自を問わず重用し後の蜀の皇帝・劉備(玄徳)の腹心である関羽まで手に入れようとしたほどです。そんな曹操のもとに集った腹心たちをご紹介します!
時代は違うがどっちが強い?最強 呂布と項羽 が 三国志にいたら
後漢末期の三国志最強の武将といえば、呂布(奉先)が真っ先に挙がることでしょう。史実や演義でも無類の武力を誇り、曹操(孟徳)や劉備(玄徳)といった他陣営から恐れられていました。一方、史記に登場する項羽も呂布と並んで最強武将として君臨しています。この両者、もし、項羽 三国志 にいたら、どちらが最強なのでしょうか。
赤壁の戦い後の混乱に乗じて荊州を占領してしまった劉備軍。呉はあの手この手を使ってこれを排除しようとしますがウマク行きません。兵を差し向けてもダメ。外交交渉をしてもダメ。業を煮やした周瑜(公瑾)は策を講じます。孫権(仲謀)の妹である孫尚香と劉備(玄徳)を結婚させるというモノです。
三国志には知略を用いて戦場で大勝利を収めたり、勢力を拡大する場面も数多く登場します。はたして最も知略に最も優れているのは誰なのでしょうか?
三国志という時代の流れを決定づける重要な戦いの1つが官渡の戦いです。この戦いで、曹操が袁紹に勝利したことで、曹操勢力の拡大につながっています。官渡の戦いでは、曹操軍は袁紹の大軍を相手に勝利を収めたわけですが、注目すべきはなぜ曹操が勝てたのかです。そこで今回は、官渡の戦いで大軍相手に曹操が勝利できた理由にスポットライトを当てていきます。
「三国志で最も嫌われている人物は?」と聞かれたら董卓(仲穎)が真っ先に上がるのではないでしょうか。高貴な位をいいことに暴政の限りを尽くし最終的には身内である呂布(奉先)に殺されました。もしかしたら曹操(孟徳)や呂布(奉先)を挙げる人もいるかもしれません。しかし彼らは嫌われるようなことをした反面カリスマ性があり「嫌いではない」と答える人も多いでしょう。ここでは嫌われていて且つ救いどころも少ない劉禅(公嗣)について紹介したいと思います。
五虎大将軍とは、劉備(玄徳)が諸葛亮の進言により蜀の猛将5人に与えられた称号です。「五虎大将軍とは」「五虎大将軍の真実」について、五虎大将軍5人のプロフィールとあわせてご紹介します。
三国志の時代で注目されるのは、男性ばかりです。武将や君主が男性ばかりだけに、それも致し方ありません。それでも、三国志の時代に活躍した女性もいるのです。そこで今回は、三国志の時代に実在し、活躍した女性を紹介していきます。
乱世の姦雄と呼ばれその名を中国全土にとどろかせた曹操(孟徳)は伝説に残る一対の剣を所有していました。その剣は「倚天剣(いてんけん)」と「青紅剣(せいこうけん)」。どちらも伝説に残る逸品中の逸品です。今回は「倚天剣(いてんけん)」と「青紅剣(せいこうけん)」について詳しく解説します。
世間的に三国志といえば「三国志演義」が愛されているといえます。一騎討ちや神業ともいえる智謀の数々、妖術など、人間離れした活躍を見せてくれます。もちろん、フィクションの世界ですが、ある意味正史よりも有名である三国志演義について、人気武将である劉備(玄徳)・曹操・呂布・趙雲らの見どころをここで解説していきます。
昨今のキングダムブームで中国の歴史に興味を持ったという人は多いと思います。そういった人は始皇帝の時代だけでなく三国時代にも目を向けてみませんか。ここでは手始めにキングダムの登場人物に似ている三国志の武将をピックアップして相関・類似としてまとめました。キングダム 登場人物 相関図の 参考に!
三国志の歴史において「魏・呉・蜀」の関係は欠かせません。この三国を擬人化することによって、その国が目指そうとしていた天下やその国がどのような国柄であったのかということが理解できると思います。
三国志には歴史書として書かれた正史三国志と、後の世に大衆受けを重視して創作された三国志演義の二種類があるのですが、実際にはこの二つはまったくの別物といっても良いほどに、見比べてみると、実はビックリするような違いがいくつもあります。今回はそんな意外な違いをご紹介します。
三国志で最も有名な武将として知られているのが関羽です。理由の一つとしては三国志の主役である劉備(玄徳)と義兄弟として最初からお供をしていたということがあります。しかし彼の強さが際立ち、数多くの敵将を討ったということが挙げられるでしょう。そんな関羽について紹介します。
「曹洪(子廉)将軍は蜀軍を恐れている」と大口を叩いて蜀軍に対峙した張郃(儁乂)が大敗して戻ります。曹洪(子廉)は激怒して張郃(儁乂)を打ち首にしようとしますが、他の将軍たちに諫められ、再び張郃(儁乂)にチャンスを与えます。しかし「日の出の勢い」の蜀。再び魏軍を打ち破ったのは老将軍でした。
蜀の2代目皇帝の劉禅と言えば、暗君として挙げられることが多いです。しかし、三国志好きの方でも、劉禅がどんな人物だったのかわかっていない方がいます。そこで今回は、劉禅とはどんな人物であり、本当に無能だったのかを検証していきたいと思います。