おさえておきたい三国志イケメン武将7人

おさえておきたい三国志イケメン武将7人

三国志は熱い熱い男たちの戦い。そして熱い男たちが居るところには、必ずイケメンが居るものなのです。今回は、三国志の中でも容姿が整った人物だった7名をご紹介したいと思います。イケメン好きな方は、是非ご覧になってみて下さいね。


三国志っておじさんばかりでしょ?そんなことはないのです!

「三国志」とは、中国の三国時代に起きた歴史を元にした歴史娯楽小説です。…と書くと、なんだかいかついおじさんがたくさん出てきて戦うんでしょう?と思う方もいるのではないでしょうか。難しそうだし、古代の中国のことなんてよくわからない…という方もいらっしゃるでしょう。
ですが、私達の社会に何人ものイケメンがいるように、三国志にもたくさんのイケメンが登場するのです。イケメンと言うだけで、がぜん興味が沸いてくるのがわたしたち女性のサガです。三国志の中でもこの人を抑えておきたい、という7人のイケメンをピックアップしてみました。ただ具体的な顔立ちは伝わっていませんので、頭のなかで想像してみて下さいね。

魏の武将編

荀イク

(じゅん いく、字は文若、163−212年)
荀イクは三国志でも非常に有名な人物である曹操の家臣です。涼し気な顔立ちのイケメンであったようで、同僚にからかわれるほどであったそうです。同時に決して見逃せないのが、その知謀の深さ。後に曹操の重臣となる人物を何人も推薦し、曹操に何度も策を授けた荀イクは、イケメンと知謀という、「天が二物を与えた」人物であったようです。ただし、晩年は主君である曹操と対立し、やや不遇であったことが伝えられています。そんな不運な荀イクですが、呉編で紹介する周瑜にも匹敵するような美男子だったそうです。

曹叡

(そう えい、字は元仲、206?−239年)
曹叡は曹操の孫にあたる人物です。三国時代中期に中国は3つの勢力に別れましたが、曹叡はそのうちのひとつ「魏」の2代目の皇帝になりました。抜きん出たイケメンであり、たいへん威厳のある人物だったそうです。ただし皇帝としての評価は賛否両論で、また短命であったことから三国志の中ではあまり注目されない人物だったりします。それにしても、国の最上の地位にある人物の容姿が良いというのも、なんだかすごい話ですね。

呉の武将編

周瑜

(しゅう ゆ、字は公瑾、175−210年)
周瑜は友人である孫策とともに、3つの国のうちのひとつ、呉の前身を作った人物です。たいへんな美男子として有名で、あだ名が「美周郎」(イケメンの周、とでもいいましょうか)だったといいますから驚きです。また音楽の才能もあったと伝わります。孫策の死後、三国志の中で最も有名であろう戦い「赤壁の戦い」の立役者となった周瑜ですが、若くして病死してしまいました。ちなみに奥さんである小喬(しょうきょう)も美人として有名で、その美しさの前では「花も羞じらう」とまで言われたそうです。美男美女はやはりくっつく運命にあるのでしょうか…?

陸遜

(りく そん、字は伯言、183−245年)
陸遜は孫権(孫策の弟で、兄の後を継いで呉の皇帝となった人物)に仕えた武将の一人で、その功績と人柄から孫権に信頼され、呉の重鎮となった人物です。歴史小説・三国志演義によると「美玉の如し」とありますから、相当なイケメンであったことがうかがえます。ただし正式な歴史書にはイケメンかどうかは書かれておらず、本当のところは不明です。しかし、後世の人に「きっと美男子だったのだろう」と思わせるほど活躍した人物であることは間違いありません。中国の伝統芸能である京劇でも、陸遜役はイケメン俳優さんが務めるのが定例となっているそうです。

蜀の武将編

趙雲

(ちょう うん、字は子龍、?−229年)
趙雲の名前は三国志に詳しくない方でも聞いたことがあるという方が多いと思います。三国志でも極めて人気の高い武将の一人で、コーエーテクモゲームスから出ているゲーム『三國無双シリーズ』では主役格です。堂々たる容姿を持った趙雲は劉備に仕え、208年に起きた「長坂の戦い」では、敵に囲まれた際に、まだ赤ちゃんだった劉備(玄徳)の子・阿斗を自分の身に抱いて守ったと言う武勲の持ち主でもあります。イケメンで同時に仕事もでき、主君への忠義も篤い。理想的とも言える人物で、人気が高いのもうなずけますね。

馬超

(ば ちょう、字は孟起、176−222年)
馬超は、正式な歴史書では特に容姿への言及は無いようですが、歴史小説・三国志演義の中では、その見事な武者振りから「錦馬超(きんばちょう)」と呼ばれています。敵である曹操に一族を皆殺しにされてしまう不憫さも、馬超の人気が高い理由の一つなのかもしれません。ちなみに彼は漢族と少数民族である羌族(きょうぞく)の混血であったことが伝わっています。ひょっとしたらエキゾチックな顔立ちのイケメンだったのかもしれませんが、皆さんはどう想像されますか?

三国以外の勢力編

公孫サン

(こうそん さん、字は伯圭、?−199年)
公孫サンは、三国時代に大陸が3つの国に別れる前、群雄割拠の時代に現れた人物です。容姿が優れていただけではなく、物言いもさわやかだったそうです。ですが残念ながらひとつの勢力を作るにとどまり、国を樹立するには至りませんでした。しかし30万の大軍を2万の味方軍で撃破するなど武勇にも優れていたようで、三国時代前期を彩るイケメンであることは確かです。

まとめ

三国志に登場する7人のイケメンをご紹介しました。三国時代は約1800年前の事ですが、これだけの時を超えてイケメンの活躍が伝わってくるのは、なんだかすごいことですね。普通、歴史書には容姿のことはよほどの特徴がない限り書きませんので、現代に伝わっているということは、彼らがいかに優れた容姿だったかを証明することになると思います。現代の私達とはイケメンの基準が違うのかもしれませんが、それでも古代中国にも、イケメンでしかも頼りになる英傑がたくさん居たかと考えると、楽しくなってきますね。

ちなみに、三国志にはイケメンだけではなく、いわゆる「異相」(変わった顔立ち)や、残念ながら容姿があまり優れていなかった人物も登場します。イケメンだけではなく、そう言った顔立ちの人々のことを調べてみるのも楽しいかもしれません。さまざまな容姿の人物とその武勇、才能と知謀が交錯する三国志。この記事を読んで、三国志に興味を持っていただけたのなら幸いです。

関連するキーワード


三国志

関連する投稿


三国志が日本に伝えられたのはいつ?どのようにして入ったのだろうか?

三国志が日本に伝えられたのはいつ?どのようにして入ったのだろうか?

三国志の舞台である中国と日本は古くから交流がありましたが、三国志がいつ、どのようにして日本に伝えられたのかは日本史、世界史の授業では誰も教えてくれません。それでは三国志がいつ、どのようにして日本に伝らたのかを解説していきます。


千差万別な三国志の楽しみ方の実例

千差万別な三国志の楽しみ方の実例

三国志は私たちに楽しさを与えてくれます。三国志の楽しみ方は人それぞれ、それこそ千差万別の楽しみ方がありますので、三国志ファンの方々がどのようにして三国志を楽しんでいるのかその実例を本記事のテーマとします。


張松(永年) 劉備(玄徳)を蜀へ招こうとした人物

張松(永年) 劉備(玄徳)を蜀へ招こうとした人物

赤壁の戦い後、天下三分の計実現のために益州(蜀)攻略を模索していた劉備(玄徳)、諸葛亮(孔明)でしたが、逆に蜀からも漢中の張魯(公祺)に狙われていることを察知した人物たちが、外部から強い指導者を招き入れ、蜀防衛を図ろうと画策していました。その筆頭となって行動したのが張松(永年)でした。


今さら聞けない三国志の疑問「どんな時代の話?なぜこんなにも面白い?」

今さら聞けない三国志の疑問「どんな時代の話?なぜこんなにも面白い?」

三国志の小説やドラマなどをひと通り見てきたけれど、話の内容はだいたい理解できているが時代背景や物語の進み方が蜀目線で進められていることに疑問がある方はどれくらいいるでしょう? 本記事ではそのような今さら聞けない三国志の疑問についてご説明いたします。


結局、呉の"孫堅"ってなにした人なの?

結局、呉の"孫堅"ってなにした人なの?

呉の主要人物である孫堅ですが、孫権に隠れてしまっているということもあり、あまり有名ではありません。なおかつエピソードもあまり聞きません。今回はそんな孫堅について紹介します。


最新の投稿


魏が滅んだ戦犯は曹丕!?魏の初代皇帝はどんな人物だった?

魏が滅んだ戦犯は曹丕!?魏の初代皇帝はどんな人物だった?

曹操の後を継ぎ、魏の初代皇帝となったのが曹丕です。実は、曹丕は魏滅亡の戦犯と言われることが多く人物となっています。そんな曹丕はどんな人物だったのでしょうか。そこで今回は、曹丕がどんな人物であり、なぜ戦犯とまで言われているのかについて紹介していきます。


諸葛亮(孔明)の用兵術と老将軍たちの武勇

諸葛亮(孔明)の用兵術と老将軍たちの武勇

「曹洪(子廉)将軍は蜀軍を恐れている」と大口を叩いて蜀軍に対峙した張郃(儁乂)が大敗して戻ります。曹洪(子廉)は激怒して張郃(儁乂)を打ち首にしようとしますが、他の将軍たちに諫められ、再び張郃(儁乂)にチャンスを与えます。しかし「日の出の勢い」の蜀。再び魏軍を打ち破ったのは老将軍でした。


三国志演義の見どころ 人気武将【劉備・曹操・呂布・趙雲】

三国志演義の見どころ 人気武将【劉備・曹操・呂布・趙雲】

世間的に三国志といえば「三国志演義」が愛されているといえます。一騎討ちや神業ともいえる智謀の数々、妖術など、人間離れした活躍を見せてくれます。もちろん、フィクションの世界ですが、ある意味正史よりも有名である三国志演義について、人気武将である劉備(玄徳)・曹操・呂布・趙雲らの見どころをここで解説していきます。


三国の愚者として扱われている劉禅(公嗣)について

三国の愚者として扱われている劉禅(公嗣)について

「三国志で最も嫌われている人物は?」と聞かれたら董卓(仲穎)が真っ先に上がるのではないでしょうか。高貴な位をいいことに暴政の限りを尽くし最終的には身内である呂布(奉先)に殺されました。もしかしたら曹操(孟徳)や呂布(奉先)を挙げる人もいるかもしれません。しかし彼らは嫌われるようなことをした反面カリスマ性があり「嫌いではない」と答える人も多いでしょう。ここでは嫌われていて且つ救いどころも少ない劉禅(公嗣)について紹介したいと思います。


なぜ曹操は官渡の戦いで大軍相手に勝利することができたのか?

なぜ曹操は官渡の戦いで大軍相手に勝利することができたのか?

三国志という時代の流れを決定づける重要な戦いの1つが官渡の戦いです。この戦いで、曹操が袁紹に勝利したことで、曹操勢力の拡大につながっています。官渡の戦いでは、曹操軍は袁紹の大軍を相手に勝利を収めたわけですが、注目すべきはなぜ曹操が勝てたのかです。そこで今回は、官渡の戦いで大軍相手に曹操が勝利できた理由にスポットライトを当てていきます。