三国志・最も知略に優れているのは誰なのか?

三国志・最も知略に優れているのは誰なのか?

三国志には知略を用いて戦場で大勝利を収めたり、勢力を拡大する場面も数多く登場します。はたして最も知略に最も優れているのは誰なのでしょうか?


三国志の世界を彩る知将・軍師たち

三国志では個性的なキャラが続々登場してきて話を盛り上げます。仁徳あふれる英雄や野心の塊のような英雄、一騎当千の猛将たちから話術巧みな文官たちまで魅力的な人物に溢れています。そんな面々が広大な中国大陸を舞台にしながらも所狭しと激突するのです。これがまた三国志を読んでいて痛快であり、それでいて敗者の姿も描いており、哀愁にも満ちています。三国志が長きに渡って愛されている理由ではないでしょうか。

そんな三国志の世界の中では、志を遂げるために知略を尽くす「知将」「軍師」も活躍します。一手先を読んで逆転劇を演じる手腕は見事としかいいようがありません。魏・呉・蜀、三国それぞれに素晴らしい人物がいるわけですが、はたしてその中で最も優れているのは誰なのでしょうか。

候補に挙がる知将・軍師

それでは各国を代表するキレ者たちを確認してみましょう。
魏)曹操、荀彧、郭嘉、賈詡、司馬懿、荀攸、程昱、鄧艾、陳羣
呉)周瑜、陸遜、呂蒙、魯粛、陸抗、張昭、張紘、諸葛瑾、諸葛恪
蜀)諸葛亮、龐統、姜維、徐庶、法正、馬謖、馬良、蒋琬
他)田豊、沮授、張松、李儒、盧植、羊祜、杜預、陳宮、蒯越
ということで35人を選出してみました。もちろん他にも優れた人物は数多くいるのですが、今回はひとまずこの中から一番を選んでみましょう。
さて、皆さんでしたら誰を選ぶでしょうか。

10位~6位は?

第10位は呂布の軍師として曹操を追い詰めた「陳宮」です。曹操の親友である張邈を引き込み、兗州制圧を成し遂げる寸前まで事を運んだ戦略は見事です。徐州侵攻中であった曹操も滅びを覚悟したのではないでしょうか。武勇だけだった呂布を支えて群雄の一角に躍り出た手腕も評価しています。

第9位は蜀の劉備(玄徳)の軍師であった「法正」です。もともとは益州牧の劉璋の家臣ですが、密かに劉備(玄徳)に手を貸して、益州制圧を成功に導いています。漢中を巡る戦いでは、曹操配下の名将・夏侯淵を討ち取る策を練って見事に成果をあげました。曹操もその手際の良さに舌を巻いたといわれています。


第8位は董卓、李傕、張繍、曹操と仕える主君を渡り歩いてきた魏の「賈詡」です。董卓がクーデターによって殺され混乱する中で長安奪還の策を李傕に提案しています。さらに張繍に仕えてからは曹操を後一歩というところまで追い詰めています。後継者問題に悩む曹操に決断させるアドバイスした点も評価しました。

第7位は呉の孫権に仕えた「魯粛」です。孫権に皇帝への道筋を示した人物であり、「天下三分の計」を推し進めています。曹操に対抗するために荊州を劉備(玄徳)に貸し与えるという曹操を驚愕させる策を実行に移しています。周瑜の後継者というプレッシャーがある中で、孫権をしっかりと支えた点も見逃せません。

第6位は曹操に絶大の信頼を得ていた軍師「郭嘉」です。袁紹の器量を見切り、孫策の死期を予想しました。袁紹亡き後の袁家の勢力を削ぐために離間の策を提案し、見事に河北を平定に導いています。赤壁の戦いで孫権に敗れた曹操は、郭嘉が生きていればこうはならなかったと嘆いたといわれています。

5位・4位は?

第5位は呉の大黒柱として大活躍した「陸遜」です。圧倒的な兵力差を覆して劉備(玄徳)を火計で破った「夷陵の戦い」は見事でした。勝つために何が必要かを冷静に判断でき、そのために我慢をし、勝機と見たら躊躇せずに攻めることができるメリハリも素晴らしいですね。その後も魏との戦いで大勝しており、呉の黄金期を支えています。

第4位は魏の大黒柱として西に東に奔走した「司馬懿」です。その才は曹操に最も警戒されていました。諸葛亮の第一次北伐に対して迅速に対応して孟達の内応を潰しています。直接諸葛亮と対峙しても互角に渡り合い魏を守り抜きました。国内でも政敵も数多くいる中で慎重に行動して勢力を拡大した手腕は見事ですね。

3位・2位は?

第3位は蜀の大黒柱として劉備(玄徳)遺志を継いで、最期まで打倒・魏、漢朝の再興に命を捧げた人物、「諸葛亮」です。蜀の統治を安定させた政治力、南征を成功させて国力を復活させて北伐の準備を用意周到に行う手腕、そしてその深謀によって魏を恐れさせたという存在感、三国志最高軍師と呼ばれるのもうなずけますね。諸葛亮がいなければ蜀漢の建国はありえなかったでしょう。

第2位は呉の最高の英雄である「周瑜」です。孫策をサポートして江東制圧を成功させ、後継者である若い孫権を支え続けました。そして曹操との一大決戦である「赤壁の戦い」で知略を巡らし勝利します。地の利を最大限に活かした周瑜は驚異の大逆転を、曹操を相手にして演じることになるのです。映画「レッドクリフ」では主役に抜擢されていますね。「三国志演義」では諸葛亮の引き立て役に甘んじている周瑜ですが、「三国志正史」からは諸葛亮の活躍はまったく伝わってきません。曹操を相手にして真っ向からぶつりあって勝利したのは周瑜の功績によるものです。さらに荊州、益州を併呑し、「天下二分の計」を画策したあたりはまさに曹操の最大のライバルといえるのではないでしょうか。

まとめ・堂々の第1位は!?

もちろん私の独断で決めていますので、皆さんの予想とは異なるかもしれませんが、2位の周瑜や3位の諸葛亮を大きく引き離してダントツの一位になったのは、三国志の主役「曹操」です。もはや知将・軍師といった枠に収まりきらないのですが、漢朝に仕える中級役人という立場から乱世の風雲の乗って大きな勢力を築く手腕はさすがの一言に尽きます。

卓越した戦略、そして戦場での臨機応変な戦術、さらに常識にとらわれない自由な発想、敵であっても能力の高い人材であれば器用する懐の深さ。あらゆることに好奇心をもって接することができ、可能性を見い出せる曹操だからこそできる業ですね。

ヒール役になったり、否定されることもある曹操ですが、その功績を見れば、誰も異論はないのではないでしょうか。まさに曹操がいたことで三国志の個性はここまで引き出すことができたのです。意見が分かれるところではありますが、曹操が別格であったことは間違いないところだったのではないでしょうか。

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