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小説の三国志演義の影響が大きく、劉備(玄徳)の立ち上げから参戦していた関羽は、現在に至るまで民衆から絶大な人気を誇っています。関羽の凄いところは敵味方に関係なく評価されているところで、主役的扱いを受けています。もちろん、正史でも演義のような活躍が見られていますので、ここで紹介していきます。
三国志で最強の武将と言ったら呂布、最高の軍師と言ったら諸葛亮とあげる人は多いのではないでしょうか。しかし彼らは武なら武、文なら文という感じで呂布(奉先)は忠誠心や人望に欠け、諸葛(孔明)は、武はからっきしでした。ここでは総合力で一番優れた人物は誰かと言うところに注目していきたいと思います。
いつの時代も美人とは生きていく上で有利に働き、世の中の男を虜にします。三国志の歴史の中にも絶世の美女というの何人か存在しており、長くその存在が知らしめています。今回はそんな戦乱の世の中でも強く美しく生きていた美女たちを紹介します。
蜀の五虎大将の一人である馬超。煌びやかなその容姿から「錦馬超」とも呼ばれています。武勇、容姿ともに三国志最強の武将である呂布と共通点がありそうです。今回は馬超の謎についても触れていきます。
三国志の世界にはあまり表立って語られていないマイナーなエピソードがいくつも存在しています。その中には思わずクスッと笑ってしまいそうなものも隠されているはずということでネット上に落ちているマイナーエピソードや噂などをまとめてみます。
槍、戟、斬馬刀など三国志の戦闘シーンでは近接戦闘用の武器を用いて武将がバッサバッサと敵兵を薙ぎ払いながら蹴散らすイメージが強くあります。しかしながら、実際兵士を最も殺傷していた武器は弓矢です。弓術を得意として武将を列挙して、三国志最強のスナイパーは誰なのか、みなさん一緒に考えましょう。
漫画やゲームなど、様々な作品のモチーフとして使われることも多い三国志。しかし、そうした作品に触れてきたひとのなかにも、実際の三国志がどういうものかは良く知らないという方は意外と多いのではないでしょうか。そんなわけで今回は、三国志という物語そのものについてご紹介します。
三国志最強の武将「呂布」。しかし、三国志演義に登場する呂布の一騎打ちの結果はイマイチです。その対戦内容を見ていきましょう。
三国志・徐庶はなぜ強烈なインパクトを放ちながら、一瞬で退場していったのか
劉備(玄徳)に諸葛亮(孔明)を推薦して陣営を去っていった徐庶。一瞬の登場でしたが、そのインパクトはまさに衝撃的でした。なぜ徐庶はここまで強烈なインパクトを放ちながら、すぐに消えてしまったのでしょうか。
三国志では、魏・呉・蜀がしのぎを削って争いました。しかし、最終的に魏を乗っ取った晋が統一します。そこで注目したいのが、魏・呉・蜀のそれぞれの国が滅亡に追い込まれた戦犯です。もちろん、滅亡の理由は複合的なのですが、今回は中でも戦犯として挙げることができる武将・君主を紹介していきたいと思います。
三国志を彩る個性豊かな知将7選をご紹介!
三国志の時代は、後漢末期から晋朝が興る約100年間の期間です。この100年の間にも女性たちの髪型は現在よりなだらかに変化していきました。西暦でいうと180年~280年くらいの間ではありますが、この時からすでに女性たちはファッションに気を遣って過ごしていたようです。
三国志・馬謖が街亭を守り抜いていたら蜀の北伐は成功していたのか
馬謖の失策によって失敗したとされる第一次北伐。はたして馬謖だけの責任だったのでしょうか。その検証ともし馬謖が街亭を守り抜いていたらどうなっていたのか予想していきます。
三国志の中には、とても特徴的な武将たちが多いです。大きく分けて、蜀の武将、魏の武将、呉の武将、その他の武将に分けることができます。今回は蜀国の武将を紹介しようと思います!一体、田舎生まれの劉備(玄徳)がどんな武将や軍師を仲間にして、曹操や孫権と戦ったのでしょうか?それでは詳しく見ていきましょう。
三国志は今から約1800年前、昔の中国の史実です。(史実を元にした小説でもあります。)役人のわいろなどが横行し、治安の乱れた世を正そうと同じ志を持った若者3人が出合うところから三国志ははじまります。この出会いのシーンで最も有名なのが「桃園の誓い」なのです。
後漢王朝の最期の皇帝となった献帝は、戦乱の洛陽を逃れ、曹操を頼るようになります。聡明な曹操は一見救世主のように映りますが、側近らが心配していたように権力を握ってしまいます。曹操の庇護下に置かれてからの献帝の行く末をみていきましょう。
三国志演義では関羽(雲長)の愛刀の青龍偃月刀や張飛(翼徳)の蛇矛(じゃぼう)など、人々を魅了する武器が登場します。そこまで有名ではないものの、諸葛亮(孔明)が発明した当時は画期的な新兵器だった幻の連弩を紹介します。
三国志で呂布(奉先)は「陣中の呂布、馬中の赤兎」と噂され、一人で一国一城を陥落させることのできると恐れられた武将です。彼には 赤兎馬 と言われる名馬がありましたが、もうひとつ彼の活躍を助けたのは方天画戟という高機能兵器の存在です。
関羽を討ち取ったことで有名な呂蒙ですが、実績がなくまぐれで関羽に勝利したわけではありません。彼の成長と実績、そして、孫権にどれだけ重用されていたのかとが分かれば幸いです。呉になくてはならない存在だった呂蒙は魅力があり三国志を彩った豪商と言っても過言ではないでしょう。
非業の死を遂げ、後年の人々によって神格化された蜀漢の武将・関羽=関聖帝君(関帝)。中国で最も信仰されている神と言われており、絶大な人気を誇っていることをご存知の方は少なくないと思います。いつごろから、なぜ関羽が神格化されたのかを調べてみました。