諸葛亮(孔明)の用兵術と老将軍たちの武勇

諸葛亮(孔明)の用兵術と老将軍たちの武勇

「曹洪(子廉)将軍は蜀軍を恐れている」と大口を叩いて蜀軍に対峙した張郃(儁乂)が大敗して戻ります。曹洪(子廉)は激怒して張郃(儁乂)を打ち首にしようとしますが、他の将軍たちに諫められ、再び張郃(儁乂)にチャンスを与えます。しかし「日の出の勢い」の蜀。再び魏軍を打ち破ったのは老将軍でした。


あなたには無理 見下して大功に誘導する諸葛亮(孔明)の用兵術

夏侯尚(伯仁)、張郃(儁乂)率いる魏軍は強く、迎え撃った蜀の孟達軍は後退を余儀なくされます。蜀では援軍の派遣を検討しますが、諸葛亮(孔明)は何故か瓦口関攻略で戦ったばかりの張飛(翼徳)を推します。

さらに張飛(翼徳)は、瓦口関の守備固めで手一杯…わざわざ呼び戻すのは何だか不自然です。これに異を唱えたのは黄忠(漢升)でした。

「軍師(孔明)、黙って聞いていれば蜀には張飛(翼徳)しか将がいないように聞こえますが…」

これに諸葛亮(孔明)が答えます。

「夏侯尚(伯仁)、張郃(儁乂)は魏の名将。老将軍(黄忠)では荷が重く、張飛(翼徳)でなければ太刀打ちできますまい。」

これを聞いた黄忠(漢升)は怒って言います。

「年老いた身であっても命懸けで戦う所存でございます。」

こんな問答の末、出陣は黄忠(漢升)と厳顔に決まります。

黄忠(漢升)は関羽(雲長)と互角に闘う武力を持つ将。夏侯尚(伯仁)、張郃(儁乂)が相手ならば十分に戦える筈ですが、諸葛亮(孔明)は年老いてもなお強大な武力を持つ黄忠(漢升)は、その年齢と武力が故に相手を見下して油断してしまう癖を見出しており、わざと黄忠(漢升)を怒らせ、油断しないよう「釘を打って」から出陣させたのでした。

葭萌関の攻防 一方的な展開で追い込まれる老将軍

意気揚々と葭萌関へ向かった黄忠(漢升)と厳顔。早速、夏侯尚(伯仁)、張郃(儁乂)と対峙します。しかし、魏軍は強く、案外勝てません。黄忠(漢升)は劣勢を強いられ、敗走を重ねます。そして、5つの陣を次々と失い、遂には葭萌関に逃げ込みます。魏軍は葭萌関正面に陣を張り蜀軍を威嚇。迎撃どころか葭萌関陥落の危機です。

魏軍総大将の夏侯尚(伯仁)。連戦連勝で得意の絶頂でした。張郃(儁乂)は蜀軍のあまりの脆さに疑問を感じ、自重することを進言しますが夏侯尚(伯仁)は聞き入れません。むしろ…

「お前(張郃)はそんなことばかり考えているから戦に負けるのだ。」

と言い放ちます。

先の戦いで瓦口関を失った張郃(儁乂)に発言力はありません。魏軍内部において張郃(儁乂)は厳しい立場でした。「抑え」の利かない夏侯尚(伯仁)…。しかし、「連勝の勢い」はやがて「驕り」に…。

黄忠(漢升)、自らの驕りを抑え、敵を驕らせて大勝 驕兵の計


蜀軍の反撃はあり得ない。

そう思い込んでいる夏侯尚(伯仁)。鋭気を養うためにと夜はしっかり眠ります。戦うために身体を休めることは大切。しかし、戦いの最中、優勢といえども敵に対する警戒を怠ってはいけませんが…夏侯尚(伯仁)は警戒を怠り深い眠りに就きます。

そんな生活が数日続いたある日、夏侯尚(伯仁)は真夜中に襲撃のドラで目を覚まします。蜀軍の夜襲です。「あり得ない」と思い込んでいた事が起こった時、人間はパニックに陥ります。油断していた夏侯尚(伯仁)は「何が起こっているのか」ということすら理解できない状況です。

ただ逃げ惑う…。武器も、衣服も、足袋すらも見つからない…一軍の総大将が裸足で敗走する醜態。結局、夏侯尚(伯仁)は逃げ延びたものの、占拠した5つの陣をすべて奪い返され、さらには5つの陣にせっせと運び込んだ魏軍の大量の兵糧を失います。

敵に連勝させ、驕らせて油断を誘い、虚を突いて一斉攻撃をかける。

黄忠(漢升)の「驕兵の計」。大成功でした。

兵糧貯蔵施設の場所は最高軍事機密 天蕩山攻防

大敗を喫した夏侯尚(伯仁)は天蕩山に逃げ込みます。天蕩山は夏侯徳率いる一軍が陣を構えていたためです。そして、黄忠(漢升)の一軍も迷わず天蕩山に向かいます。蜀軍は分捕った大量の兵糧を葭萌関へ運び込む必要がありました。そのため、僅か5千の兵を従えて黄忠(漢升)は天蕩山に向かったのです。

ここで、ひとつの疑問が生じます。

この時、天蕩山の魏軍は10万の兵力と言われていました。少数の兵で追手をかけるほど夏侯尚(伯仁)は重要な将ではありません。「逃げたのなら放っておけばいい」レベルです。
実は、追手をかける理由は夏侯尚(伯仁)を討ち取る事ではなく、天蕩山そのものを奪い取ることが目的でした。天蕩山は魏軍の兵糧貯蔵施設だったからです。

「腹が減っては戦ができぬ」

この言葉は三国志の歴史の中でも作戦の肝になる場面が度々ありました。

曹操(孟徳)が袁紹(本初)を倒した「官渡の戦い」では曹操軍が烏巣という地に袁紹軍の兵糧貯蔵施設があることを突き止め、ここを奇襲して「袁紹軍絶対有利」と言われていた戦局を逆転させ、袁紹軍を壊滅させます。

また、後年、諸葛亮(孔明)が行った「北伐」でも、諸葛亮(孔明)を常に悩ませた問題のひとつが兵糧でした。彼は隴西地方で兵士に田を作らせたり、木牛流馬(もくぎゅうりゅうば)と呼ばれる一輪の輸送車を開発したり、「魏を攻撃する」という本来の作戦を実行するにあたり、少なからず負担になっていた事は否定できません。

そのため、兵糧貯蔵施設の場所は最高軍事機密になるのですが…天蕩山が魏軍の兵糧貯蔵施設であることは、蜀に長く仕える厳顔が知っていました。黄忠(漢升)は、このことを厳顔から聞いていたのでした。

天蕩山陥落 漢中魏軍の息の根を止めた二人の老将軍

しかし、葭萌関、天蕩山の攻防において、厳顔の活躍がほとんどありません。葭萌関の攻防においては、その姿すら見かけません。天蕩山に向かったのも黄忠(漢升)の一軍のみです。魏軍10万に対して黄忠軍5千。兵力の上では話になりません。

さらに攻め手の黄忠(漢升)軍は当然、山の麓からの攻撃となり、高地を攻めなければなりません。「地の利はゼロ」という絶対不利の状況。魏軍は兵力と地の利に任せて力ずくで黄忠軍に襲いかかります。防戦一方の黄忠軍。しかし、戦いが半ばに指しかかった頃、魏軍の天蕩山陣内に何故か火の手が上がります。また、「起こる筈のない出来事」が起こるのです。

なぜ後ろから火の手が?

裏切りか?

混乱する魏軍陣内。そこに現れたのが厳顔でした。蜀・漢中の地形に詳しい厳顔は間道を通って陣の背後に駐屯して身を隠していたのでした。夏侯尚(伯仁)が葭萌関を攻撃していた頃から…。

厳顔は天蕩山総大将の夏侯徳を討ち取ります。圧倒的多数の魏軍でしたが、指揮官を失い、陣内に放火された混乱から四散。天蕩山はあっけなく陥落となりました。
「驕兵の計」と「兵糧貯蔵施設の奪取」…黄忠(漢升)の武力と厳顔の知識が合わさって、漢中から魏軍を撤退させるほどの大打撃を与えた老将軍ふたりの大手柄でした。

まとめ

事実、天蕩山奪取の戦果をきっかけに劉備(玄徳)は漢中の完全攻略を決断します。最終的な攻撃目標は「定軍山」。劉備(玄徳)は定軍山攻防においても勝利し曹操軍を漢中から完全撤退させます。

この戦いにおいては諸葛亮(孔明)が直接指揮を執り、黄忠(漢升)、魏延(文長)のみならず、張飛(翼徳)、趙雲(子龍)、馬超(孟起)をも参戦させ「蜀軍オールスター戦」とも言える大本命の戦いでした。劉備(玄徳)、諸葛亮(孔明)を本気にさせたのは、紛れもなく黄忠(漢升)、厳顔の老将軍たちだったのです。

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