諸葛亮って実際どれくらいすごいの? 演義と正史に見る諸葛亮像

諸葛亮って実際どれくらいすごいの? 演義と正史に見る諸葛亮像

三国志においてもっとも有名な人物と言えば、やはり諸葛亮でしょう。主に三国志演義における第二の主人公として、ネット上でネタにされることも多い天才軍師ですが、正史と演義ではそのイメージが随分違っていることをご存知でしたか?今回は、そんな諸葛亮についてご紹介します。


■諸葛亮ってどんな人?

諸葛亮(字は孔明、181年-234年)は蜀に仕えた軍師として有名ですよね。荊州にいた際に「三顧の礼」によって劉備の配下になった逸話は皆さんご存知だと思います。
その後は蜀と呉の連合の仲介人として活躍し両国を赤壁の開戦へと導いたり、天下三分の計を考案して劉備(玄徳)の入蜀を後押ししたことで、三国が並び立つ下地を作り上げた超重要人物です。

劉備(玄徳)が蜀校庭になると丞相となり、劉備(玄徳)の亡き後は後主劉禅を助けて国内当地の実務を取り仕切る立場になりました。その後も南西部の南蛮族を征したのち、魏国との全面戦である北伐に乗り出し数度にわたって司馬懿との激闘を繰り広げましたが、結局大きな戦果を上げられることなく、五丈原にて志半ばで病死しました。

■演義における諸葛亮

三国志演義は、正史三国志を下敷きとして明代のころに書かれたといわれる歴史小説です。物語の大きな流れは実際の三国志と殆ど同じなのですが、登場人物の逸話や活躍といった描写が、正史よりもダイナミックに描かれているため、非常に人気が高いでよね。

さて、そんな三国志演義における諸葛亮はどんな描かれ方をしているかと言えば、まさしくスーパースター!
神算鬼謀を操り敵の計略をことごとく看破し、逆にこちらは予想も付かない計略を企てて次々と難敵を撃破していきます。
天下分け目の赤壁の大戦では、周瑜に押し付けられた「10万本の矢を明日までに用意せよ!」という無理難題を、これまた知略によっていとも簡単に成し遂げてしまいます。しかもそれだけでなく、肝心の火攻めにおいては最も重要といわれたな「東南の風」を祈祷によって吹かせてしまうといった神通力をも持ち合わせていました。
占星術や道術にも通じ未来予知めいた予言も的中させるなど、諸葛亮はまさに人知を越えた力で蜀軍を導いた天才軍師なのです。

とはいえ、これはあくまでフィクションでの話。その全てが真実というわけではありません。
演義は元々、大衆小説として民衆に語り継がれていた物語をまとめたものであり、歴史書ではないのです。
大衆人気を重視し、勧善懲悪的な性質をもつ劉備(玄徳)を主人公としたことで、その腹心であり後期の蜀を導いた諸葛亮も、同じく主人公の一人として、劇的な描かれ方をしたのだ、というのが一般的な見方となっています。

■陳寿曰く……

それでは、一方、正当な歴史書とされている正史三国志においてはどんな描かれ方をしているかを見てみましょう。

正史三国志の作者である陳寿は三国志の登場人物たちに対して、様々な評価を文中に記しています。
それによれば、陳寿の諸葛亮に対する評価は以下のとおり。

「評曰。諸葛亮之爲相國也、撫百姓、示儀軌、約官職、從權制、開誠心、布公道。盡忠益時者、雖讎必賞。犯法怠慢者、雖親必罰。服罪輸情者、雖重必釋。游辭巧飾者、雖輕必戮。善、無微而不賞。惡、無纖而不貶。庶事精練、物理其本、循名責實、?偽不齒。終、於邦域之?、咸畏而愛之。刑政雖峻而無怨者、以其用心平而勸戒明也。可謂識治之良才、管蕭之亞匹矣。然、連年動衆、未能成功、蓋應變將略、非其所長歟。」

これを訳するなら、
「諸葛亮は民衆を上手く統治し、無駄な官職を減らし誠心誠意政治を行った。信賞必罰を貫き、正しくルールを設定した。厳格な統治だが恨みを買うことが無かったのは、常に公明正大を徹底していたからだろう。その統治の才は、古代の名宰相管仲や蕭何に匹敵するほどである。」
これ以上無いほどのべた褒めですね。しかし一方で、軍務に関しては以下のようにも言っています。

「たびたび軍を動かすも大きな成功を上げられなかったのは、臨機応変に軍を指揮する将略はそれほど得意分野ではなかったのかもしれない」

つまり陳寿は諸葛亮のことを「政治は抜群に上手いが、軍務には向かない人物」であると考えているということです。これは先にあげた演義の活躍や、世間一般の大軍師諸葛亮のイメージとは随分違っていますよね。

というのも、実際の諸葛亮は「軍師」というよりは「行政官」として劉備陣営に加わったといわれています。内政を整え、後方支援や補給活動といった活動がメインの役割です。
そのため劉備は、自身が生きているうちは諸葛亮を単独で行軍に参加することはせず、趙雲や張飛について従軍させているだけです。実際に前線で軍を指揮する「軍師」として、当時の蜀を担っていたのは法正だったのです。

ところが、劉備が死亡しその後を継ぐと、どんどん人材が不足していったため、やむなく諸葛亮が前線の指揮も取らなくてはいけなくなった、というのが本当のところのようです。

ちなみに、人々に人気な諸葛亮に批判的なことを書いたせいで、陳寿は諸葛亮がキライで、だから悪い評価を書いたのでは? という批判もあるようですが、実際のところがどうだったかは、もはや分かりようがありませんね。

■現代風に例えて考えてみる

蜀漢建設株式会社に勤める諸葛亮氏は、優れた内務能力を買われ入社数年で、法務や人事といった社内業務を一手に引き受ける立場にまで抜擢され、日々活躍していました。
しかし、やがて社長が退陣し、その後を追うように社内の有力者が次々と会社を辞めていってしまうと、後を任せられる人材も無く、仕方なく現場の指揮も見なくてはいけなくなりました。
元々不慣れな現場の荒くれ職人達の管理。しかもそれまで行っていた社内業務に関しても、諸葛亮以上に働けるものは居ないため、これまでと変わらず管理していなければいけません。
これでは諸葛亮がどれほど有能な人物であったとしても、余りにも手一杯になってしまいますよね。

長年蜀漢建設で勤め上げた経験があるため、それでも人並み以上の仕事はできましたが、やはり大きな成果をあげることはできず、失意のうちに諸葛亮は働きすぎと重圧による心労で倒れてしまったのです。

■まとめ

そんなわけで、三国志の第二の主人公であり特に人気の高い人物である諸葛亮についてご紹介してみました。
これまでもっていた諸葛亮のイメージとはちょっと違う姿を知ることができたのではないでしょうか?

とはいえ、北伐において大きな戦果を上げられなかったと言っても、諸葛亮が優れた政治家であったということは決して疑いようがありません。
劉備(玄徳)亡き後の蜀をとてつもない早さでまとめ上げ、安定させた功績は誰もが知るところですし、木牛や連弩の発明といった前線を支える実績もあります。

魏蜀間の圧倒的な兵力差を覆せるほどの軍略家でなかったというだけであって、むしろ圧倒的小国である蜀をある程度保たせることが出来たというだけでも十分に評価に値するのでは? というのが筆者の立場です。
これを読んだ諸葛亮ファンの方も、どうか気を落とさないように、お願いしますね(笑)

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