三国志に登場する「人物・武将」についての記事
三国志の中でも魏と蜀という強敵相手に対等に戦った武将というのは数少ないものです。その中でも呂蒙は孫策や孫権、周瑜のもとで功績を挙げていき、ついには大都督にまで登りつめました。そんな呂蒙の軌跡をみていきましょう。
劉備(玄徳)の師で三代に渡り天下に名が響いた盧植と子孫たち②
後漢王朝で高名な学者・政治家となった盧植は、子孫たちも優秀な人材となっています。子の盧毓や孫の盧欽も政治の中枢を担い、魏の皇帝たちからも信頼を得ていました。そんな盧植の子孫、盧毓・盧欽を紹介していきましょう。
劉備(玄徳)の師で三代に渡り天下に名が響いた盧植と子孫たち①
劉備(玄徳)の学問の師匠といえば、儒学に精通した盧植の名が挙がります。盧植は後漢王朝に仕えながら、常に世の中の平和を考え、悪徳宦官や董卓など暴挙を行う勢力に対し、毅然とした態度を取り続けました。盧植はその子孫たちも歴史に名を残す活躍をしていますが、まずは盧植の人物像をここで紹介していきます。
三国志・荀彧はなぜ曹操に仕えたのか?荀一族は意図的に分かれた
「吾の子房なり」と曹操に認められた「荀彧」。名門の出自で、同族は董卓や袁紹などに仕えています。荀彧はなぜ、小勢力である曹操に仕えたのでしょうか?
よく戦は「将軍のもの」とされることが多い。そのため将軍が倒れれば部下は一気に士気は下がり、戦に負けてしまう。逆に兵が少なくても将軍の器が大きければ相手を圧倒することができる。では将軍の力が圧倒的に強かった蜀が天下を取れなかったのはなぜか。もしくは将軍の力は魏が一番強かったのか。様々な角度から検証してみよう。
周瑜公瑾、赤壁の戦いで大都督として孫権軍、劉備軍を率いた周瑜(公瑾)とはどういう男だったのだろうか。周瑜公瑾の能力、周りの人物、エピソードなどから周瑜公瑾の生涯についてみていきたいと思います。周瑜(公瑾)を知ると諸葛亮(孔明)に引けを取らない人物だったと思うかもしれません。
諸葛亮(孔明)の甥にして諸葛瑾(子喩)の長男である諸葛恪(元遜)は、呉の第3世代をけん引する秀才でした。 本記事では、諸葛恪(元遜)の人物伝とその後を紹介します。
三国志には、忠義を尽くすカッコイイ武将が多いです。その反面、奸臣と呼ばれる人物も多く登場します。奸臣によって国難に陥ることもあったのです。そこで今回は、三国志に登場する有名な奸臣について紹介していきたいと思います。
董卓の後継者として朝廷を牛耳った李傕、郭汜ら董卓の残党。彼らの評価はとてつもなく低いですが、果たして本当に雑魚武将だったのでしょうか。
三国志演義に描かれた周瑜(公瑾) 諸葛亮(孔明)に惜しまれたその才能
呉の水軍大都督であった周瑜(公瑾)。赤壁の戦いでは劉備軍と連合して曹操(孟徳)の巨大水軍を壊滅させるなど、その実力は随一。駆け引きにおいても常に曹操(孟徳)より上手を行く知力の持ち主でした。華々しい活躍を見せた英雄でしたが36歳でこの世を去ってしまいます。
初心者でも早分かり! 三国志人物伝【曹操と敵対にあった雄】( 魏②)
三国志で広大な領土を築いた魏の曹操ですが、人材の宝庫といわれ、文官・武官ともに有能な武将たちが勢ぞろいしていました。そんな魏の人材でも、当初は曹操に敵対勢力として所属していた武将も多くいます。そんな曹操を苦しめて、後に魏の発展に貢献した人物を見ていきましょう。
三国志・ビジネスマンは、孫策の江東制圧戦から学べることが多い
凄まじい勢いで、江東を制圧していった「孫策」。しかし、相手も備えは充分です。もちろんそんな簡単にはいきませんでした。奪った拠点を奪還されたりもしているのです。
三国志の魅力は何と言っても登場人物の多さです。なかでも勇猛果敢に活躍する三国志の武将には魅力を感じるものです。そこで今回は、勇猛果敢に戦った三国志の武将をピックアップして紹介していきたいと思います。
三国志演義は劉備(玄徳)や諸葛亮(孔明)といった蜀の武将、官吏を贔屓した描写が多いです。実際その場ではなにもしていないのにさも獅子奮迅の活躍をしていたことになっていたり、神様のように描かれることもしばしばあります。それでは三国志演義にある蜀将にまるわるフィクションをお届けしましょう。
荊州を支配した劉表は、三国志演義では優柔不断で頼りない印象を受け、劉備や孫策の引き立て役になっていました。しかし、三国時代には激戦区となる荊州を、存命中に実効支配していたのは劉表の影響力が強かったからといえます。そんな劉表の凄さをみていきましょう。
赤壁の戦い後の混乱に乗じて荊州を占領してしまった劉備軍。呉はあの手この手を使ってこれを排除しようとしますがウマク行きません。兵を差し向けてもダメ。外交交渉をしてもダメ。業を煮やした周瑜(公瑾)は策を講じます。孫権(仲謀)の妹である孫尚香と劉備(玄徳)を結婚させるというモノです。
今回は、三国志に登場する英雄たちから選抜して、ワールドカップでも活躍できそうなチームを編成していきたいと思います。
劉璋が治めていた頃から益州の名臣と言われていた「法正」と「黄権」。彼らはやがて劉備(玄徳)に仕え、その才能をフルに発揮します。演義では語られることの少ない二人ですが、どのような功績を残したのかを記載していきます
三国志・曹操の従弟である曹仁は、武将としてどのランクに位置するのか?
三国志演義ではあまり注目されることのない「曹仁」ですが、最強ランクの名将だったという説もあります。その背景を考察していきましょう。
中国人は世界中どこの国にも移住して、独自のコミュニティを築いています。いわゆる「華僑」と呼ばれる人たちのことですが、実はこういった外国に住む中国人のルーツとなっているのは、三国時代にあったという話もあるのです。