三国志に登場する「人物・武将」についての記事
赤壁大戦では自軍の約25倍の曹操軍を退け、呉の軍事に外交に内政にと尽力し、夢なかばに散った稀代の智将:周瑜公瑾。「美周郎」の異名を持つ周瑜の出自と人生を大きく左右する出会いに迫ります。
中国四大美人の一人 三国志 貂蝉(ちょうせん)はどうなった?
三国志の最高の美女貂蝉は王允の策略により董卓と呂布の仲違いをさせることに成功させます。これにより反董卓連合すら叶わなかった董卓討伐を可能にした訳ですが、その後の様子は未知とされています。ここではそんな貂蝉(ちょうせん)の最後についての仮説を展開していきたいと思います。
三国志は、結局、魏に取って代わった晋が天下を統一して終わります。曹一族の力がなくなった際に司馬一族が台頭し権力者を味方につけたのです。その後、司馬炎が、呉を滅ぼしたわけですが、今回はこの司馬一族について着目してみましょう。
呉には、正史にあだ名を残している武将と三国志演義で創作されたあだ名をつけられている武将がいます。それらについて調べてみました。
三国志の武将について知りたいんだけど、実際のところ誰が強くて誰が賢いの?そう思ったことはありませんか?ここではあくまで独断と偏見で三国志に出てくる武将の通信簿を付けたいと思います。もちろん独断と偏見と言っても「呂布の力が1」とかそういった贔屓目はしていないので参考程度にしてもらえたらと思います。
若いころには名君として魏・蜀に対して季然と立ち向かい、見事呉を守り抜いた孫権。しかしその栄光もいつかは衰えるものなのか、晩年の孫権には「国を滅ぼした」とも言われる最大の汚点があったようです……
三国志には非常に多くの将軍や軍師が存在します。そして自分だったら誰を部下にしたいかと想像することで天下統一をシミュレーションすることができます。例えば魏の君主曹操は関羽を招き入れたかった。そんな風に自分なりのオールスターを結成してみてはいかがでしょうか。
三国志の最大の魅力といえば人間的に魅力溢れるキャラクターたちです。 今回はそんな三国志の登場人物の中でも、戦争状態の敵対国同士でありながら国家を越えて友情を育んだ、まるでロミオとジュリエットのような二人、羊コと陸抗をご紹介します。
三国志には主君や領地を守るために自分を犠牲にした男前の武将がいます。その中でも三国を代表する魏・呉・蜀から3人の武将をみていきましょう。
三国志が中国の話であることは説明する必要もありませんがが、異国の歴史でありつつなぜ日本でここまで高い人気を誇るのか。その謎に迫ってみるとしましょう。
三国志演義最大の見せ場と言えば赤壁の戦い。演義では多少誇張されているとはいえ、とても大切な戦いであったことは言うまでもありません。そこで、赤壁の戦いが三国志の歴史に与えた意義を様々な角度から検証してみるとしましょう。
三国志に数多居る登場人物の中でも屈指の人気を誇る武将、周瑜。そのあまりに出来すぎた完璧人間ぶりをご紹介します。
三国志には数多くの武将が登場しますが、その中で女性武将と言うのは殆ど存在していません。今回は、唯一正史の中に戦闘記録が残っている女武将、王異の壮絶な范成をご紹介します!
2代目は残念な奴が多い。それは日本に限らず遠い昔の中国でも同じことが言えました。そんな君主の残念な息子たち(息子も君主となるわけですが)についてみていきましょう。
10万の孫権軍を返り討ちにし、天下にその武名をとどろかせた張遼。その後の彼はどうなったのか、「合肥後」の彼を見ていきましょう。
「泣く子もだまる」最強の武将 張遼(11) なぜ李典が出撃し、楽進が城を守ったのか?
10万の孫権軍を返り討ちにし、合肥の防衛に見事成功した、張遼・楽進・李典。しかしちょっと気になることがあります。それは、曹操が彼らに命じた役割分担のことです。
「泣く子もだまる」最強の武将 張遼(10) 張遼の宿敵・彼はどんな男だったか?
張遼は合肥(がっぴ)の戦いで、攻め寄せてきた孫権軍を見事返り討ちにしました。手痛い敗戦を喰らった孫権。張遼の宿敵だった彼は、どんな人物だったのか…ちょっと寄り道して見ていきましょう。
合肥(がっぴ)の攻防戦において、わずか800の兵で10万の孫権軍を圧倒した張遼。さらには引き上げる孫権軍を猛烈に追撃し、多大な被害を与えたのです。
「泣く子もだまる」最強の武将 張遼(8) 逃げる孫権軍を追撃!
孫権率いる10万の軍勢に対し、わずか800人の精鋭部隊を率いて突撃した張遼。この壮挙によって、一躍三国志の英雄となった彼は、さらに驚くべき英雄的行動を見せます。張遼の獅子奮迅の戦いを、引き続き見ていきましょう。
三国志のお話は蜀が魏に滅ぼされたところで終わります。その際、最後に戦っていたのが姜維です。諸葛亮の跡を継いで北伐を敢行したものの、思うような結果が得られず、更には国力の衰退を招いた…とも言われている彼ですが、一体何を求めていたのでしょうか?