800人VS10万人……その意図は?(前回までのおさらい)
■ 800人VS10万人……その意図は?(前回までのおさらい)
800人VS10万人……その意図は?(前回までのおさらい)
曹操から、対呉戦線の重要拠点・合肥(がっぴ)の守備を任された張遼。その合肥へ、ついに10万の孫権軍が攻め寄せてきたのです。その途方もない大軍に対し、張遼はなんと、800人の少数精鋭を率いて奇襲攻撃をかけました。
一見、無謀に見える作戦ですが、これは主君・曹操の意志に基づく、考え抜かれた軍事行動でした。
曹操は合肥を守備する張遼・楽進・李典の3将に、こんな命令を残していたのです。
「もし孫権が攻めてきたならば、張遼・李典は出撃して戦え。
楽進は城の守りを担当し、外に出て戦ってはならない」
張遼は指示と現状を照らし合わせたうえで、曹操の意図を以下のように読み解いたのです。
・ただ守っているだけでは、勢いづいた孫権の大軍に、城を落とされてしまう。
・かといって、少数の兵で相手を追い払うことはできない。
・よって、奇襲攻撃で敵に打撃を与え、その勢いをくじくことが必要だ。
・奇襲攻撃で戦果をあげることで、味方の兵を落ち着かせることもできる。
・ひとたび敵の勢いをくじいてしまえば、たとえ大軍相手でも、城は守りぬける。
まずは先手を取って奇襲をかけ、ダメージを与えてしまえば、敵軍の士気が下がり、攻撃の手も弱まる―――張遼は、曹操からの指示をこう読み解き、李典とともに奇襲攻撃に討って出たのです。
その戦果は前回ご紹介した通り。張遼率いる800人の決死隊は、10万の大軍を圧倒し、大混乱におとしいれたのです。
部下を救った、命がけの突撃!
■ 部下を救った、命がけの突撃!
部下を救った、命がけの突撃!
張遼の奇襲攻撃にあわてふためき、多数の犠牲を出した孫権軍ですが、そこは10万の大軍。徐々に体勢を立て直します。そして孫権は、張遼の部隊が案外少数であることにようやく気づき、八方から取り囲んできたのです。普通の武将であれば、あっけなく討ち取られてしまう状況ですが、そこは並外れた武勇の張遼。周囲の大軍をものともせずに突進し、包囲を打ち破りました。
しかし…ここで問題が起きます。張遼は超人的な強さで敵を突破しましたが、部下の将兵たちはそうもいかず、敵の包囲のなかに取り残されてしまったのです。絶体絶命の彼らは、張遼に向かって声の限りに叫びました。
「将軍! 我々をお見捨てになるのですか!?」
張遼はその叫びにこたえて再び引き返し、部下を救出したのです。孫権軍は張遼の勢いにすっかり圧倒されており、あえて戦いを挑む者はいなかったといいます。
張遼と800人の決死隊は、夜明けから日中まで戦いましたが、孫権軍はすっかり勢いをなくしてしまいます。こうして張遼は悠々と城に引き上げることができました。この大戦果によって、城の中の人々は安心し、将軍たちも張遼に心服したといいます。
「戦いの勝敗は、兵の数だけでは決まらない」といいますが、まさに張遼の戦いにこそ当てはまる言葉でしょう。孫権軍は10万の大軍でしたが、張遼の勢いに圧倒されたため、勢いが完全にそがれてしまったのです。
「奇襲攻撃で敵に打撃を与え、その勢いをくじく」
曹操の意図をくんだ張遼の作戦は、こうして見事に的中したのです。
逃げる孫権軍を追撃!
■ 逃げる孫権軍を追撃!
逃げる孫権軍を追撃!
こうして、すっかり気勢をそがれてしまった孫権軍。彼らはその後、合肥の城を10日あまり包囲しますが、あきらめて退却してしまいました。張遼の奇襲に圧倒されて以降、将兵の戦う意欲がなくなってしまったことがうかがえます。
しかし戦争において、無事に退却することほど難しい行為もありません。案の定、孫権が軍を退いたと知るや、張遼はただちに追撃すべく出陣しました(退却する敵は戦意を喪失していることが多いため、追撃するのは戦いの常道なのです)。
張遼が相手なのですから、孫権軍も追撃は警戒していたはずですが、それにしては退却の仕方がまずかった……。
彼らの退路には川が流れていて、橋を通って南岸に渡らなくてはなりませんでした。
このとき、孫権は自ら退却の指揮を取っていたため、多くの将兵を先に進ませ、自らは最後尾に残っていました。つまり孫権軍は、川をはさんで南北に分かれてしまったのです。しかも大半が南岸に渡ってしまったため、北岸には孫権をふくむ少数の部隊が残っているだけ……という状態でした。
この北岸に残った孫権たちに向かって、張遼が追撃してきたのです。孫権軍の将兵たちは、なんとしても孫権を守るべく戦いますが、張遼の勢いを止めることはできません。なにしろ孫権軍はすっかり士気が下がっているうえ、軍の大半が川を渡ってしまったため、北岸に残っているのは少数だったのです。
勇者・凌統の奮闘
■ 勇者・凌統の奮闘
勇者・凌統の奮闘
あわてた孫権は、南岸に渡った軍を呼び戻そうとしますが、彼らはすでに遠くへ進軍してしまっており、すぐには駆けつけられません。間近にせまった敵に対し、孫権は馬の上から弓矢を放って応戦しますが、張遼の軍の勢いにはとてもかないません。
このままでは孫権まで討ち取られてしまう……そんな絶体絶命の危機で奮戦したのが、凌統(りょうとう)という武将でした。彼は側近の兵300人を率いて、敵に包囲された孫権を救い、主人を守りつつ脱出したのです。
こうして、ようやく橋にたどり着いた孫権と凌統。しかしさすがというべきか、張遼はあらかじめ先回りして、橋を壊して渡れないようにしていました。
進退きわまった孫権は、馬に鞭を打って跳ばせ、壊れた橋を飛び越えました。そして凌統は、孫権を無事に逃がすため、その場にとどまって張遼軍と戦いました。大軍で攻め込んできたはずの孫権軍ですが、今度は状況一転、わずかな兵力で張遼と戦わねばならなくなったのです。
この絶望的な状況で、凌統はよく奮闘しました。側近の兵はすべて戦死し、自身も傷だらけになりながら、それでも数十人の敵を倒したといいます。そうして孫権が無事に退却したことを確認してから、甲冑(かっちゅう)を身に着けたまま川を泳ぎ渡り、奇跡的に戦死をまぬがれたのです。
その戦いぶりもさることながら……傷だらけの身体にヨロイをつけたまま、川を泳いで渡るというのは大変なことです。
張遼の強さばかりが目立つ合肥の戦いですが、孫権軍にもまた、勇者がいたのですね。
かくして、張遼は孫権軍を容赦なく追撃し、多大な被害を与えました。合肥の戦いは、張遼の圧勝に終わったのです。