この武将に萌えろ! 周瑜編

この武将に萌えろ! 周瑜編

三国志に数多居る登場人物の中でも屈指の人気を誇る武将、周瑜。そのあまりに出来すぎた完璧人間ぶりをご紹介します。


孫呉の忠臣、周瑜

孫呉の忠臣、周瑜

孫呉の忠臣、周瑜

個性的キャラクターの濃い人物が多いといわれている呉の国の武将たち。そんな呉国に仕えた武将の中でも特に女性からの人気が高い人物が周瑜です。

周瑜(175-210年、字は公瑾)は、少年時代を孫策と共に過ごしたいわゆる幼馴染で、孫策とは無二の親友とも言える人物です。

周瑜は、父親や従兄、祖父など、一家代々が役人を輩出してきた超がつくほどの名家の出身で、幼い頃から英才教育を施されていた周瑜は、叩き上げの荒くれ者たちが多かった初期の呉軍の中では、一風変わった珍しい経歴の持ち主だと言えるのではないでしょうか。

他に類を見ない才能を多数持っていた周瑜ですが、そのなかでも特に際立っていたのはその容貌の美しさ。その美しさから周瑜は周りの人々からは「美周朗」とも呼ばれていたそうです。

人物の容姿についての記述が余り多くない三国志正史においても、わざわざ美男子として記載されているほどなので、いかにその容姿が際立っていたかは想像に難くありません。

周瑜は前述の孫策の時代から呉に仕え続けた忠臣で、孫策の亡き後は孫権の元で、孫呉の発展のために尽力しつづけました。特に戦を指揮する才能は、小覇王と呼ばれた孫策とも並び称されるほど。かの有名な天下分け目の決戦、赤壁の戦いにおいては総司令官として全軍を指揮し、圧倒的不利な兵力差を覆して見事曹操軍を撃退しています。

The 才色兼備!?

The 才色兼備!?

The 才色兼備!?

そんな周瑜は、男性ですが正に才色兼備を体現したような人物。
周瑜は要所を見抜く戦の才能をもち、幼いころからの教育の賜物か大変聡明な人物だったといいます。さらに裕福な名家の出身という家柄だけでなく人柄もよく、寛大で仁義に篤いな性格から人心を掴むのが上手かったとも言われています。
さらに三国を代表するイケメンであり、音楽にも非凡な才能を発揮したという記録もあるほど。

フィクションの中にしか許されないような、絵に描いたような非の打ち所の無い完璧超人が周瑜なのです。

実際にその評判は他国にも届いていたそうで、人材コレクターとして有名な曹操は蒋幹を使者として派遣しヘッドハンティングを計ったり、劉備(玄徳)も虚言を流して孫権と周瑜の仲を引き裂こうと画策したという逸話も残っています。
といっても、もちろんその策略はどちらも失敗に終わっていますが。

周瑜と孫策のただならぬ関係……!?

周瑜と孫策のただならぬ関係……!?

周瑜と孫策のただならぬ関係……!?

周瑜が忠臣として呉に仕えつづけたのは、義に篤いその性格のおかげもあったでしょうが、それ以上に大きな要因となっているのが、孫策との間柄だったといわれています。

まだ少年だったころ、孫策と周瑜は、孫策の父である孫堅が挙兵したてのころに出会い、同い年だったということもありすぐに意気投合。一時は周瑜家に孫策たちを住まわせるなど、普通にはありえないほどの親交を結んでいました。

その結びつきの強さは、かの桃園三兄弟とも並び称されるほど。孫策と周瑜の関係は、金を断ち切るほどに強い結びつきという意味で「断金の交」とも言われています。孫策は周瑜に負けず劣らずの美男子だったといいますから、そんな二人が並んで談笑している様は、実に絵になったのではないでしょうか。
現代にもイケメン同士の交流を見て楽しむ文化がありますが、もし三国志の時代にも腐女子がいたら大歓喜だったかもしれませんね(笑)

また周瑜は、二代目の主君となった孫権とも孫策を通じて親交を深め、お互いの母親に挨拶を交わすほどの、まさに家族同然の付き合いをしていました。
実際、孫策や孫権の母親である呉夫人は、孫策が亡くなり孫権がその後を継いだ際には「周瑜のことを兄だと思って敬愛しなさい」と命じているほどです。

ちなみに、周瑜と孫策は、三国志の中でも特に美女として名高い大喬小喬姉妹をそれぞれ妻として娶っています(大喬が孫策、小喬が周瑜)。これによって二人は、ただの親友関係ではなく実際に義理の兄弟となっているのです。

周瑜列伝

周瑜列伝

周瑜列伝

周瑜は呉の発展に大きく寄与した重要人物なだけに、三国志の中にも様々なエピソードが残されています。その中でも特に性格や人物像に関する記述には素晴らしいものが多数記されています。

高潔で寛大な人柄で有名な周瑜ですが、もちろん初めから全ての人に気に入られていたわけではありません。
ある意味で新参ものだった周瑜は重鎮の武将たちと折り合いが悪く、特に程普からは常々若輩者だと馬鹿にされていました。
しかし周瑜はどれだけ悪く言われようとも、あくまで礼節を重んじて尊敬した態度をとりつづけたので、やがて程普も深く感服し、やがて周瑜を敬愛するようになったと言います。

また三国志演義では、周瑜が呉の老将たちによく思われていなかったというエピソードをさらに膨らませて、赤壁の戦いにおいてこうした人間関係を逆手にとって、黄蓋の火計を成功させる苦肉の計をしかけています。

そもそも赤壁の戦いが成立したことには周瑜の活躍があったということもあり、こうした赤壁の戦いにおける活躍はまさに周瑜の最大の見せ場とも言えるシーンです。
それは曹操の率いる大軍がまさに呉に攻め入ろうとしたときのこと、呉の国では抗戦するか降伏するかで国を二分する大激論が交わされていました。抗戦派の先頭に立った周瑜は、曹操軍の前に恐れをなして口々に降伏を主張する呉の重鎮たちを見事に説き伏せ、曹操に対抗することを決断させることに成功しています。
つまり周瑜が居なければそもそも赤壁の戦いも起こらず、呉という国はこの時点で魏に滅ぼされてしまっていたのです。

のちに呉皇帝になった孫権にも「周瑜がいなければ皇帝になれなかった」とまで言わしめた周瑜。
佳人薄命の言葉通り周瑜は非常に若くして亡くなってしまいましたが、もし周瑜がもうすこし長生きしていたら、中華の覇権をとっていたのは呉だったかもしれませんね。

まとめ

まとめ

まとめ

そんなわけで三国志屈指の人気キャラである周瑜についてご紹介してきました。

三国志演義では諸葛亮の引き立て役という感じの書かれ方をしてしまっている、非常に可愛そうな武将ではありますが、正史にある実際の周瑜は誰からも一目置かれる大人物です。

家柄、人柄から容姿まで、本当に非の打ち所の無い魅力的な人物ですので、気になった方はぜひ周瑜という人物自体を調べてみてください。周瑜に焦点をあてた漫画や映画などは多数ありますので、そちらに当たってみるということもおススメですよ。





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周瑜 孫策(そんさく)

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