中国四大美人の一人 三国志 貂蝉(ちょうせん)はどうなった?

中国四大美人の一人 三国志 貂蝉(ちょうせん)はどうなった?

三国志の最高の美女貂蝉は王允の策略により董卓と呂布の仲違いをさせることに成功させます。これにより反董卓連合すら叶わなかった董卓討伐を可能にした訳ですが、その後の様子は未知とされています。ここではそんな貂蝉(ちょうせん)の最後についての仮説を展開していきたいと思います。


仮説1 関羽に殺された

仮説1 関羽に殺された

仮説1 関羽に殺された

一緒に企んでいた王允はすでに殺されてしまったため王允と一緒になっているという線はまずないのですが呂布と一緒にいたと言う説はあります。そして呂布が張飛に捉えられた際関羽は張飛を賞賛しました。その際 貂蝉(ちょうせん)は自分が助かるために関羽、張飛に対し命乞いをし、夫である呂布をボロクソ言います。

それに対し関羽は「夫を愚弄するとは何事か」と言い貂蝉を斬ってしまいました。この説は明の戯曲選集『風月錦囊(ふうげつきんのう)』に収められています。

もしこの説が正しいとすれば私の中では関羽の株が大暴落し、ひいては蜀の見方も変わってきます(中国四大美人は殺しちゃいかんという思いが強いのもあります)

そもそも貂蝉と王允の策がなければ董卓を討つことはできず、袁紹、曹操などは飲み込まれていた可能性すらあります。それを考えたら英雄扱いにしてもいいでしょう。少なくとも無能な袁紹よりは董卓相手に頑張った人物といえます。

仮説2 王允が討たれた際に自害した

仮説2 王允が討たれた際に自害した

仮説2 王允が討たれた際に自害した

この時代の女性がどこまで主に対して従順だったかは定かではありませんが、もし王允に「今日は董卓の妾になれ」、「今日は呂布の妾になれ」と言われたとしても今の時代なら「嫌です」と言ってしまいますよね。

そうしなかったくらい王允に対して忠誠心(恋心)を抱いていたとしましょう。そこまでの気持ちがあるのであれば王允が討たれた時に自害したと言う仮説を持ってきても何ら不思議ではありません。その記述がない原因として貂蝉の顔はあまり知られておらず、死んだら血色が悪くなり、それが三国志一の美女貂蝉だとは誰も気付かなかったなんていう線があるのではないでしょうか。

王允の隣で倒れていたならともかく、一人でいたら、そしてきらびやかな衣装をまとっていなかったらありえる話です。

仮説3 呂布が討たれた際に自害した

仮説3 呂布が討たれた際に自害した

仮説3 呂布が討たれた際に自害した

王允と手を組んで呂布と董卓が仲違いをした訳ですが、その際本当に呂布のことが好きになり妻となったと言う専門家考えられます。呂布は裏切りに裏切りを重ねるどうしようもない人物ですが、その力は折り紙付きで三国志 一の武力の持ち主とされています。

そんな人物に惚れる女性は少なくないでしょう。連れ添って一緒に天下を目指すが夫呂布が討たれそうになった時についに観念して自害することを決意します。その最後が公にならなかった理由として実は呂布はその後も生き延びたが、貂蝉(ちょうせん)が早とちりして自害してしまい、「呂布と一緒じゃないから貂蝉(ちょうせん)じゃないんじゃない?」と言う結論に至ってしまう。

一般的には考えづらいですが、呂布ならありえるかもしれませんよ。

仮説4 実は誰かの妾になっている

仮説4 実は誰かの妾になっている

仮説4 実は誰かの妾になっている

誰かの妾となっているという考えは最もありそうな展開です。中国四大美人と言われるほどの美女だった訳ですから、貂蝉(ちょうせん)を宮中に入れたいと思う人間は少なくないでしょう。

問題はそれが誰かということです。レッドクリフでなんとなくエロオヤジっぽい雰囲気を醸し出していた曹操は最もありえそうですよね。実は関羽となんて言ったら驚きでここでもまた関羽の株は下がってしまいます。

司馬炎がこの時代の皇帝なら100%自分の妾にすることでしょう。いずれにせよ表立って出てきてないということはひっそりと誰かの妾になっていたと言うパターンで決まりです。とすればやはり妾を多く抱えていた大物が怪しいところです。

仮説5 李傕と郭汜に殺された

仮説5 李傕と郭汜に殺された

仮説5 李傕と郭汜に殺された

これも結構考えられるパターンです。残虐性の高かった董卓軍において悪名を轟かせていたのが李傕と郭汜です。その二人がトップになったものだから董卓が殺される原因となった貂蝉(ちょうせん)は生かしておけないというのが一般論でしょう。

王允は死に呂布は逃げ切りましたが、貂蝉(ちょうせん)まで逃げ切るのはなかなか至難の技ですね。色仕掛けが聞く相手ならいいのですが彼らは有無を言わさず殺してしまう可能性は大です。そしてただ殺されるのであればまだいいかもしれませんが残虐的な殺され方をされていたらと思うと胸が痛くなってしまいます。

三国志 史上最も残虐だとの呼び声高い董卓。それ以上に残虐なのではないかといわれた二人相手となると悪い予感しかしません。

仮説6 李傕と郭汜の争いにも一役買っていた

仮説6 李傕と郭汜の争いにも一役買っていた

仮説6 李傕と郭汜の争いにも一役買っていた

5に続き、董卓軍の残党兵をまとめる李傕と郭汜が関わるパターンです。といっても5の二人に殺されるという仮説ではなく、なんとこの二人の仲違いも貂蝉(ちょうせん)によって起こされたという仮説です。

王允を殺した二人は仲が良くこれから二人で董卓軍をまとめあげようとしていました。そんな矢先貂蝉がまたも完璧なハニートラップをかける。王允の策なしに一人で二人を手玉に取り二人の仲違いを引き起こしました。どちらが貂蝉を自分のものにするかということで争いが起こり、董卓軍がバラバラになりました。

実際仲が良かった二人が争った理由が貂蝉(ちょうせん)であれば董卓・呂布の二の舞になって面白いですよね。

貂蝉の美貌があればこの説は全くないとは言い切れず、私が立てる仮説の中で一番面白い展開です。そして董卓軍を崩壊させた後はあまり目立たない武将の妻となり幸せに暮らす。そんな人生が残されていてもいいのではないでしょうか。

仮説7 関羽に使われた

仮説7 関羽に使われた

仮説7 関羽に使われた

呂布が早々に討たれた後、貂蝉は関羽に身を預けられることになりました。仮説1のように関羽に殺されているのではなく、重宝されているという線も考えられます。

そのまま関羽の妾になるということも考えられますし、ハニートラップ用に使われたかもしれません。

蜀の武将はまっすぐで強い武将が多い記述が多いのですが、この時代に力だけで渡り歩くことは出来ないので実はこういう行為もされていたのではないかというのが私の考えです。

仮説8 張飛に使われた

仮説8 張飛に使われた

仮説8 張飛に使われた

仮説7の様に重用されるのですが、関羽ではなく張飛がそのまま重用するという考えです。貂蝉(ちょうせん)を捉えた張飛はその美貌にやられ自分の妾にしてしまうという考えです。

関羽の場合より考えられますが7、8は期待薄として仮説を立ててみました。

まとめ

まとめ

まとめ

結局のところ貂蝉の最後を知る術は今の所ないのですが、上記の様に殺された仮説が2つ、自害したと言う仮説が2つ、そのまま生き続けたと言う仮説が4つできました。

中国四大美女の一人貂蝉ですが、その最後について考えるのは楽しいので皆さんも自分なりの仮説を立ててみてはいかがでしょうか。





この記事の三国志ライター

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