羊コと陸抗の禁じられた友情

羊コと陸抗の禁じられた友情

三国志の最大の魅力といえば人間的に魅力溢れるキャラクターたちです。 今回はそんな三国志の登場人物の中でも、戦争状態の敵対国同士でありながら国家を越えて友情を育んだ、まるでロミオとジュリエットのような二人、羊コと陸抗をご紹介します。


戦場で育まれる絆

三国志の時代は戦乱の時代。国同士、各勢力同士がお互いに敵対し、日々戦争を続けていました。激しい戦国時代にあっては、自国以外は基本的に全て敵。憎むべき相手であり、殺し合いをする関係でした。

しかしそんな時代であっても、時には敵同士でありながらお互いの力を認め合い、良き友、あるいは良きライバルとして友情を育んだというケースも残っています。
まるで北斗の拳の、強敵と書いて”とも”と呼ぶような、そんな人間味溢れるドラマを体現したかのような武将が、羊コと陸抗の二人です。

仁愛の将、羊コ

まずは二人のうちの一方、羊コです。羊コは三国志後期~西晋の時代に活躍した人物。所属は晋(魏)です。泰山郡の名門の出身であり、夏侯淵の息子である夏侯覇の娘を妻に娶ったり、自身の姉が司馬懿の長男である司馬師に嫁いだりと、名家との繋がりも深いエリート的な出生の人物です。

また、羊コは幼いころから知略、武略に優れていると評判で、後に中華を統一した武帝(司馬炎)にも重用されていたそうです。

歴史において羊コの最大の活躍は、対呉戦線の指揮を執り続けたこと。都督荊州諸軍事に任命された羊コは襄陽に赴任して、呉国の国境戦を統括する立場になりました。
そして同様に呉国側で国境警備に当たっていた陸抗と長きに渡って対峙することになったのです。

さて、そんな羊コの人柄を一言で表すなら「徳と仁義」。
民に優しく、決して奢らず。法規を遵守した徳治政治によって内政にも力を入れていたため、赴任先では瞬く間に人心をつかむことに成功しています。

戦場においてもその人柄は変わらず。対呉戦線においては、呉からの降伏者や難民も冷遇せず手厚く扱ったため、滅び行く呉から脱出して晋へと帰順しようとするひとも多かったと言われています。
また呉国とのの戦で戦死した呉将については丁重に遺体を呉に送り返したり、国境付近で呉軍の馬が逃げ出して晋軍側に行ってしまった際も、陣内を捜索し呉に返還したりといった仁義溢れる対応を取り続けました。
羊コのこうした人柄は呉からも敬愛され、呉の間でも「羊公」と呼ばれて親しまれていたといいます。

そんな羊コですが、徳に深い人柄を逆に妬まれたのか、慎重論を唱える晋国上層部の信頼を上手く得ることが出来ず、大規模に軍を動かすことが出来なかったため、呉国の制圧を目前にして無念の病死を遂げます。
羊コが亡くなった日は雪が降る酷寒のこと。晋・呉両国からは嘆き悲しむ人々の涙が凍ってチラチラと氷が降り注いだといわれています。

ちなみに羊コの後任に指名されたのは杜預。杜預はその任を全うし、後に破竹の勢いによって見事呉を制圧し、中華の統一を達成させた立役者です。

呉軍最後の要、陸抗

他方の陸抗は、羊コと対峙し呉国を守り抜いた名将です。
呉後期の重鎮として軍部、内政両面において大いに国を支えた陸遜の次男で、陸遜の死後はその後を継いで呉に尽くしました。

陸抗は晋(魏)との国境である江陵南岸に赴任し、羊コと対峙することになります。
羊コが様々な策をめぐらせて呉国侵攻を計ろうとするも、ことごとく機先を制してそれらを看破。魏国の侵攻を寄せ付けず、死ぬまで呉を守り続けました。

ところで当時の呉は、孫権の後継者争いによって国内が大混乱の真っ只中、後を継いだ孫皓も暴虐の限りを尽くす暴君だったため国力は疲弊しきっていました。
呉の未来を憂いた有力者たちはの中には呉を脱出し晋に逃亡するものも多く、また晋との国境では一瞬の油断も許されない切迫した状況が続いていました。

そんな板ばさみの状況において見事に国を守りきった陸抗は、親である陸遜に負けず劣らず非常に実務に優れた人物でした。
歩闡が呉を裏切って晋へと寝返った際も、即座に反乱を鎮圧し、これを機に呉への侵攻を企てていた羊コの狙いを見事に挫いてみせました。

もちろん陸抗は、実務だけでなくその人柄も傑出したものとして知られています。
国境戦に限らず様々な功をあげていたにも関わらず決して奢らず謙虚に振舞ったため、周囲の人間からよく信頼されたと言います。よきライバルとして戦った羊コと並んで称される仁義の人です。

羊陸之交<ようりくのこう>

こうして長らく国境において対峙することになった羊コと陸抗は、敵国同士という関係でありながら、国を越えた友情を育んだ二人として知られています。

ある日、日々の激務に陸抗が病に倒れた際のこと。それを知った羊コは使者を通じ自分用に調合させていた薬をすぐさま陸抗へと送りました。
それを受け取った陸抗は、「敵から送られたの薬など、毒薬かも知れないので飲むべきではない」と諫める部下の言葉を意に介さず即座に飲んでみせ、病を治したのだそうです。

また、後日薬を貰ったことの返礼として、今度は陸抗が羊コへと酒を送ったのですが、羊コも陸抗と同様に疑わずそれを飲んだといわれています。

こうしたやりとりは立場を超えた信頼関係が二人の間にはあったという証拠であり、羊コと陸抗二人の親交は「羊陸之交」という故事成語にもなっています。
これはそのものずばり、立場や所属に関係なく相手を信頼し敬うという意味の言葉です。

三国時代のロミオとジュリエット?

羊コと陸抗の二人が、こうした「羊陸之交」を結ぶことが出来たのは、お互いの境遇に共通している部分が多いから、ということもあるかもしれません。

羊コは有力者との縁故も深い名家、陸抗は重鎮陸遜の実子というように、二人はお互いに名家の出身。幼い頃から知略・武勇ともに優れており将来を期待された人物でした。またお互いの国境に赴任し、指揮に当たるというところも共通です。

さらにその性格も似通っていて、徳に篤く民衆から深く愛される二人だったが、その一方で国の上層部からはあまりよく思わておらず、国の未来を負う重圧との孤独な戦いを強いられていたことも、二人をつなぐ絆です。

真逆同士の立場から、同じ想いで国や民衆のために行動を続けた二人は、あるいは敵同士だからこそ、もっとも正確にお互いを理解することができたのかもしれません。

まとめ

三国志の最大の魅力は、活き活きとした人間ドラマだと思います。そんな人間ドラマを体現するかのような羊コと陸抗の二人は、まさに三国志を象徴するような二人だといえるのではないでしょうか。

歴史にifはありませんが、もし二人の生まれた時代や国が違っていたのなら、孫策と周瑜のように共に手を取り合い無二の親友として国を治める、なんて歴史もあったのかもしれませんね。
そんな妄想がはかどる羊コと陸抗のことをもっと詳しく知りたい! と思ってもらえたなら幸いです。

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