三国それぞれ。君主の残念な息子たち!

三国それぞれ。君主の残念な息子たち!

2代目は残念な奴が多い。それは日本に限らず遠い昔の中国でも同じことが言えました。そんな君主の残念な息子たち(息子も君主となるわけですが)についてみていきましょう。


息子1 かなりビビりの劉琮(りゅうそう)

まだ魏(ぎ)・呉(ご)・蜀(しょく)による三つ巴の覇権争いが始まる前のことである。中華中部で後代の土地を統治していたのは劉表でした。劉表(りゅうひょう)は病気がちで他の君主たちとは違いあまりせめて出ると言ったタイプの君主ではありませんでした(日本で言う毛利元就と言ったところでしょうか。)劉表(りゅうひょう)の跡取りとなったのは次男である劉琮でした。本来であれば長男である劉琦(りゅうき)が跡継ぎとなるところでしたが周りの陰謀により劉琮が即位することとなりました。そんな劉琮ですが、劉表亡き後蔡瑁(さいぼう)の傀儡となり、曹操に攻められるとすぐに降伏してしまいました。

息子2 いいものは持っていた孫策(そんさく)だが

「君主の息子がろくでなしだった」というパターンはよくありますが孫堅(そんけん)の息子たちである孫策と孫権(そんけん)(日本読みだと「そんけん」と同じ読み方になってしまいますので混同しないでください)そして孫堅の後を継いだのは孫権と思っている人も多いですが、その前に孫策が後を継いでいます。さて、この孫策ですが、「小覇王」と呼ばれるほど武に優れていましたが毒矢で射られた後からちょっとおかしくなりました。孫策の元に訪れた仙人である于吉(うきつ)を妖術使いだと怪しんで殺してしまいます。その後于吉の幻に悩まされ25歳で亡くなってしまいました。結局早死にという残念な結果になってしまいました。

息子3 性格は残念だった曹丕(そうひ)

曹操(そうそう)の息子で文武に優れていた曹丕はわずか11歳という若さで曹操の軍中に従軍しました。曹丕は曹操と庶子の間で生まれた実質的には三男だったわけですが、めきめきと頭角を現して地位を上げていきます。早々から寵愛を受けるも、同じく曹操の息子である曹植も曹操の寵愛が深くなるということを知ると二人の権力争いは激化し、曹操が亡くなると曹丕は曹植の側近者を次々と殺していき、曹植を始めとして兄弟を僻地に遠ざけるという策を取りました。それが逆に皇族の力を抑える結果となってしまい、司馬氏の権力が強くなってしまいました(魏に代わって晋を建国した要因となったとも言えるでしょう)

息子4 関羽が死んだ原因は劉封?

劉備の養子である劉封(りゅうほう)は直接ではないものの関羽が亡くなった原因とされている人物です。関羽が孫権の軍に責め立てられた際、麦城(ばくじょう)に入って救援要請をしました。離脱兵が多く士気が上がらない、籠城するにも兵糧が足りないと言った状況だった関羽に対し劉封はなんと援軍を送りませんでした。理由は劉封が劉備の養子になろうとしていた際に関羽が反対していたことを根に持っていたからです。結局そこで関羽は呉軍の兵士に斬首されたわけですが、それにブチ切れた劉備は自らの手で劉封を斬っています。いくら養子と言えど自分の息子を斬るくらい劉備を怒らせた劉封はかなり残念な息子といえるでしょう。

息子5 最後はおろおろする劉禅(りゅうぜん)

劉禅は幼いころ曹操軍に攻め入られた際に一度母と一緒に行方不明になってしまいます。しかし劉備(玄徳)の懐刀ともいえる五虎将軍の一人である趙雲に無事救出されることとなった。そんな英雄趙雲を見た劉禅だったが得たものはなかったのでしょう。劉備(玄徳)亡きあと蜀の君主となったものの、諸葛瞻(しょかつせん)=孔明の息子が討たれると曹操軍を前にどうしていいか分からずおろおろしてしまいました。結局何もできない劉禅は降伏をし、降伏状と玉璽を渡すこととなってしまいました。劉備(玄徳)が建国してわずか42年で蜀が滅亡してしまいました。もっとしっかりした君主がいたらとは思いますが君主の息子は基本こんなものでしょう。

息子6 ぐちゃぐちゃになった呉の跡継ぎ

三国志の前半では主に他国との戦争で盛り上がった感がありましたが、後半になると跡継ぎ問題で内部のごたごたの方がメインとなってしまいました。そのため「結局何をやっているの?」という感じになってしまうのですが、それが最もひどかったのが呉と言えるかもしれません。魏は曹一族を司馬一族が抑え込むと言った一族同士の連携があったが、呉に限って言えば孫一族の間で争いがおき、殺し合いにまで発展してしまいました。結局即位の順序も孫権以降は孫亮(そんりょう)、孫休(そんきゅう)、孫皓(そんこう)と次々と君主が変わり内政は傾くこととなりました。こうなってくると前半のような戦国好きもそっぽ向いてしまいますよね。

息子7 司馬衷(しばちゅう)

三国志はそれまでしのぎを削っていた魏、呉、蜀が天下を統一したわけでなく、魏の中で新たに台頭した晋が統一し、三国志の終焉を迎えることとなりました。その晋の皇帝が司馬炎です。司馬炎は司馬懿(「死せる孔明生ける仲達を走らす」の仲達は司馬懿のことです)の孫にあたります。そんな司馬炎は学問、礼節を重視し、国家の基礎を作り上げました。が、後継者選びは間違っていたとされています。賢弟と言われていた司馬攸ではなく司馬衷を選びました。結局それがたたり、晋はわずか31年で終了。三国志100年の歴史に幕を閉じすぐにまたその幕が挙げられるという形になってしまいました。

ちょっとひと休み 司馬炎(しばえん)

今回は息子シリーズですが、最終的な三国志の覇者司馬炎について紹介したいと思います。司馬懿の孫にして天下を統一した司馬炎の言うことは結構立派でした。国をどうすれば豊かにできるかということも知っていて、まさに指導者として申し分のないように思えた。しかし、自分がやったように、違う一族のクーデターに関しては憂いていました。一族を諸王として各地に配属させ皇族の力を強化し、逆賊が現れないよう細心の注意を払いました。と、真面目に語っていますが、何より特筆すべきは女好きなところです。なんと後宮に宮女を5000人囲っていたのに加え、呉の孫皓からも5000人の宮女を奪ったとされています。「は?」としか言いようがないですよね。

まとめ

今回の愚息シリーズはいかがでしたでしょうか。創業者は凄く、二代目で傾かせ、三代目で持ち直すというパターンが多い日本企業。何も日本の考え方が間違っているからそういう結果となるわけではいのかもしれません。三国志の愚息達(もちろん実際は優れた人物だったということがある可能性もありますが)を見てため息が出てしまうことでしょう。人間のエゴの深いところまで垣間見ることができる感じなのでやはり三国志は面白いですよね。

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