三国志に登場する「人物・武将」についての記事
三国志・蜀の英雄・諸葛亮孔明の兄、呉の諸葛瑾の実直さが神対応!
諸葛亮孔明の兄にして、呉の大将軍を務めた「諸葛瑾」。その実直な人柄は、三国志の中でも随一といえるかもしれません。孫権の絶大な信頼を得た諸葛瑾をご紹介いたします。
三国志・奇想天外なアイディアマン、革命児・魯粛の絶大な功績とは!?
三国志演義では単なるお人よしに描かれている魯粛。しかし正史に記されている魯粛は才能あふれる英雄です。今回は魯粛の功績について触れていきましょう。
イメージ崩壊計画(2)~劉備(玄徳)は本当に理想の君主像なのか?~
三国志演義の著者である羅貫中は、劉備(玄徳)を聖人君子として描いています。実話を採用しているところもありますが、蜀の印象が悪くなるようなことはことごとく削除や修正を加えています。一般に広く知れ渡っている劉備(玄徳)のイメージは羅貫中の作り出したものなのです。
イメージ崩壊計画(1)~劉備(玄徳)は本当に理想の君主像なのか?~
劉備(玄徳)についてどんなイメージを持っていますか?タイトルの通りこの記事では、そのイメージをひっくり返す情報を提供します。第1回目は三国志演義前半の主人公である劉備です。
三国志・42歳の若すぎる死、呂蒙はどこまで正当な評価を受けているのか?
孫権軍の名将として名高い呂蒙。優れた軍略家ですが、英雄である関羽をだまし討ちにしたことで後世の人気はあまり高いものではありません。今回は呂蒙の正当な評価について触れていきます。
三国志には多くの氏があります。特に権力を有していたり、名門の家柄だったりすると、宗家や分家でも相当数の人物がいます。中でも劉氏や孫氏、曹氏、司馬氏といった皇帝の系列は多く存在しています。そこで、長らく魏に仕えていた武将の夏候氏について、ここでご紹介していきます。
三国志・魏の于禁(うきん)は関羽と同様に降伏したが、評価は真逆?
三国志 魏の五大将軍の一人である于禁(うきん)は、曹操配下の中でも非常に優れた名将でした。数々の武功をあげています。しかし、関羽との戦いに敗れて大きくその評価を下げることになってしまいました。今回はそんな于禁の素顔に迫ります。
三国志の英雄といえる劉備(玄徳)(リュウビ 161年―223年)ですが、彼の最後の戦いとなるのが呉と戦った夷陵の戦いです。劉備はこの戦いで大敗を喫し、蜀の戦力を衰退させる要因を作ってしまいます。なぜ夷陵の戦いが起こり、劉備(玄徳)は敗北したのか。赤壁の戦いと並んで劉備の運命を決定づけた夷陵の戦いをご紹介していきます。
三国志の英雄・孫権の父、「江東の虎」孫堅。その武勇は全土に知れ渡るほどでした。董卓すらも孫堅だけは恐れたといいます。今回はそんな猛将・孫堅について触れていきましょう。
曹操とは何者だったのか(青年編 4) 何進も董卓も、俺の相手ではない
霊帝の死後、政局は一気に動き出します。何進、董卓といった権力者たちの動向は、曹操の進路にも大きな影響をあたえましたが、曹操は彼らの政治が上手くいかないことを、前もって見抜いていたのです。
曹操とは何者だったのか(青年編 3) 正義漢・曹操……こんな人だっけ?
若手政治家として、本格的に政界進出を果たした曹操は、皇帝に直接意見を述べる機会にも恵まれます。また地方の長官となってからも、世の中をよくすべく尽力しています。あるいはこの人……「漢の忠臣」なんじゃないかと思わされるほどです。
前回までは、諸葛3兄弟が散り散りになり、諸葛瑾が呉へ諸葛亮と諸葛均は荊州へ流れたところまでを書きました。さて、後半はいかに…!?
漢の劉氏や魏の曹氏、夏候氏、蜀に仕えた馬氏の五常など、通常はどこの国でも親兄弟、親戚は同じ君主に仕えています。ところが、諸葛亮孔明の兄弟、親戚はみな優れた功臣ですが、兄は呉に、はとこは魏に仕えています。血の結束は固いと言いますが、兄弟、親戚同士で争うことになってしまった諸葛家の悲劇の一部始終をお伝えします。
三国志で呉の建国に貢献した文官といえば張昭の名が挙がります。孫策から仕えて孫権の代には呉に欠かせない人物となり、若くして君主となった孫権を諌める立場にもなりました。そんな張昭は、三国志演義では老臣として存在しますが、実際にはどのような人物だったのでしょうか。
蜀の五虎大将の一人である馬超。煌びやかなその容姿から「錦馬超」とも呼ばれています。武勇、容姿ともに三国志最強の武将である呂布と共通点がありそうです。今回は馬超の謎についても触れていきます。
歴史上、1国に1人の皇帝が存在していましたが、三国を形成していた当時の中国大陸では複数の皇帝がいました。皇帝は絶対的な権力を持っていたわけではなく、強国の魏に対抗し、権力争いに巻き込まれた蜀と呉の皇帝や後漢末期の皇帝たちを見ていきましょう。
三国志には有能なのに、なかなか世間的に評価されない武将が存在しています。時代背景もあって、裏切りや主君の出来によってはあまり活躍しても、関羽や張遼のような評価はされにくいことが結構あります。ここでは有能なのに評価されない代表的な武将「魏延」をご紹介していきます。
三国志中でも最も有名な武将である関羽は現代でも神として祀られています。関羽の活躍と共になぜ神になったのか、その子孫はどうなったかに迫ります。
三国志には「こいつとは関わりたくないな~」と思う人物が何人もいます。その中でも個人的に「できることなら敵としても味方としても関わりたくない」という人物についてまとめてみました。
三国志の登場人物で、一大勢力を誇ったのが河北の英雄【袁紹】です。一時は曹操や劉備(玄徳)、孫権ら三国を形成していく諸将を差し置いて天下統一に一番近い人物といえました。数々の書物では曹操の引き立て役に甘んじている袁紹とはどのような人物だったのでしょうか。