諸葛亮に関する記事


諸葛亮(孔明)でさえ苦労した劉備軍での「新入り時代」

諸葛亮(孔明)でさえ苦労した劉備軍での「新入り時代」

天才軍師諸葛亮(孔明)。劉備(玄徳)の手厚い招聘を受けて劉備軍へ加入しますが、最初のうちは内部の人間関係で結構苦労しています。圧倒的な知力を持ち、参謀となれば大きな戦力となるであろう人材なのに周囲の目は意外に冷ややか…どんな世界でも「新人さん」は大変ですね。


三国志・馬謖が街亭を守り抜いていたら蜀の北伐は成功していたのか

三国志・馬謖が街亭を守り抜いていたら蜀の北伐は成功していたのか

馬謖の失策によって失敗したとされる第一次北伐。はたして馬謖だけの責任だったのでしょうか。その検証ともし馬謖が街亭を守り抜いていたらどうなっていたのか予想していきます。


呂布・司馬懿だけじゃない!蜀漢の裏切り者たち

呂布・司馬懿だけじゃない!蜀漢の裏切り者たち

三国志演義代表の裏切り者といえば呂布や司馬懿でしょう。しかし、離反した人物は蜀でも少なからずいます。裏切り者たちは主に対し、どのような不満を抱いていたのでしょうか?彼らのその後と共に見てみましょう。


一途な武将や愛妻家は誰!?三国時代のフェミニストに迫る

一途な武将や愛妻家は誰!?三国時代のフェミニストに迫る

日本では一夫一妻が常識とされていますが、時代によっては変わるもの。跡取りを必要として多くの側室を抱えたという日本の戦国時代にも一途な武将は沢山いました。これは三国志でも同様なのでしょうか?そこで今回は一途に女性を愛し続けたという三国志の武将を紹介します。


孔明がナンバーワン?いやいや、知力は俺の方が上だ

孔明がナンバーワン?いやいや、知力は俺の方が上だ

三国志の天才軍師と言ったら大多数の人が諸葛亮(孔明)を推します。三国志をあまり知らない人でも彼の名前を聞いたことがると思います。しかし諸葛亮に匹敵する、もしくは諸葛亮以上に多大な功績を残し、国を支えたという軍師は実は沢山存在します。そんな天才軍師たちをご紹介します。


関羽が曹操軍に!?この時代から軍神の人物像を紐解く

関羽が曹操軍に!?この時代から軍神の人物像を紐解く

劉備(玄徳)軍の大きな支えである関羽。しかし、ある機を境に曹操軍の配下となってしまいます。劉備(玄徳)らはどのような心境だったのでしょうか?演義における曹操軍時代から、関羽の人物像を紐解いてみましょう。


三国志・南蛮で最強は誰なのか!?トップ5を決定

三国志・南蛮で最強は誰なのか!?トップ5を決定

三国志の英雄・諸葛亮が颯爽と活躍するのが蜀の南征です。孟獲を筆頭として個性豊かな南蛮の武将が現れ、蜀軍を苦しめますが、諸葛亮の智謀によって敗北していきます。今回はそんな南蛮武将の中で最強は誰なのか選んでいきましょう。


パズドラなど、三国志とは無関係のスマホゲームに登場した名将たち

パズドラなど、三国志とは無関係のスマホゲームに登場した名将たち

呂布をはじめとした武将たちは、三国志とは無関係のゲームに登場することがあります。パズドラなど知名度の高いアプリでは、どんなイベントが行われたのでしょうか?作品ごとの役割も知ることで、手に入れたくなるかもしれません。


ちょっとかじった人向け。三国志通あるある6選

ちょっとかじった人向け。三国志通あるある6選

三国志をかじりたての頃は劉備(玄徳)は仲間思い、諸葛(孔明)が賢い人、曹操(猛徳)は悪い人といった漠然なものの見方をする方が多いと思います。しかし三国志は単純なものではなく、ちょっとかじったら人によって捉え方が変わってきます。ここでは三国志初心者を脱却した方が共感できるあるあるをご紹介します。


三国志・城塞都市の防備と攻撃、兵器は陳倉の戦いでどのように使われたのか

三国志・城塞都市の防備と攻撃、兵器は陳倉の戦いでどのように使われたのか

城塞都市の攻防戦は兵器も登場する激しい戦闘でした。今回は兵器の紹介と共に諸葛亮の初の攻城戦となる「陳倉の戦い」をご紹介いたします。


劉備(玄徳)と曹操の死後。三国志終焉の経緯とは

劉備(玄徳)と曹操の死後。三国志終焉の経緯とは

220年代、中国に大きな打撃を与えました。蜀の劉備(玄徳)と魏の曹操が世を去った後、三国時代は晩期に入ります。三国志の目玉といえる戦いは数多くありますが、最後を飾る「五丈原の戦い」も欠かせません。また、新たなる国・晋はどのように誕生したのでしょうか。今回は、三国志終焉の経緯についてご紹介します。


諸葛亮が命をかけた北伐の戦歴

諸葛亮が命をかけた北伐の戦歴

漢王朝の復興をかけて、蜀を建国した劉備(玄徳)ですが、志半ばで倒れてしまい、後の全権を諸葛亮(孔明)に託すこととなります。諸葛亮(孔明)は全身全霊をかけて、強大な魏に立ち向かい、幾度となく北伐を繰り返します。最終的には魏を倒すことができなかった北伐ですが、その戦歴はどのようなものだったのでしょうか。


三国志・赤壁の戦いは劉備(玄徳)と諸葛亮が誘導したのか

三国志・赤壁の戦いは劉備(玄徳)と諸葛亮が誘導したのか

曹操と孫権が大激突した「赤壁の戦い」。しかしその戦いに至るまでには計算された戦略があったかもしれないのです。はたして赤壁の戦いは誰が仕組んだものなのか推測していきます。


三国志昔ばなし 民間伝承の英雄伝(2)

三国志昔ばなし 民間伝承の英雄伝(2)

由緒正しい場所や建物にはなにかしらの有名な故人にまつわる由来や伝説がつきものです。中国のとある場所では、ある三国志の英雄にちなんだ地名や名所があります。三国志の舞台めぐりをする前にぜひこの記事で予習してみましょう。


三国志・劉禅は魏に降伏してからどうなったのか

三国志・劉禅は魏に降伏してからどうなったのか

三国志の時代には魏・呉・蜀が競い合っていましたが、蜀が最初に滅んでいます。皇帝だった劉禅はその後いったいどうなったのでしょうか。今回は劉禅についてご紹介いたします。


張飛をもあしらったプライドの高い政治家【劉巴】

張飛をもあしらったプライドの高い政治家【劉巴】

蜀を建国した劉備(玄徳)は仁徳の士として有名ですが、だれからも好かれていたわけではなく、配下になって初めて心を開きかけた人物もいます。それは政治家でもある劉巴(子初)です。張飛(益徳)をあしらい、諸葛亮(公明)ですら一目を置いた政治力はどのようなものだったのでしょうか。


饅頭の由来となった「南中」とは?「七縦七擒」の語源も!

饅頭の由来となった「南中」とは?「七縦七擒」の語源も!

三国志演義では、「南中」と呼ばれる地域が登場します。蜀の南方での争乱を防ぐため、諸葛亮が向かった場所です。また、「七縦七擒」の語源や饅頭の由来となった場所でもあります。孟獲ら南蛮の中心人物や戦い・文化もご紹介します。


三国志・蜀の北伐、魏延が子午谷道を進んでいたら長安は奪えていたのか

三国志・蜀の北伐、魏延が子午谷道を進んでいたら長安は奪えていたのか

五虎大将軍が減っていく中で、その武勇を期待された蜀の猛将・魏延。彼はあの天才軍師・諸葛亮にある作戦を提案しています。今回はその北伐にスポットを当てて魏延をご紹介します。


三国志・馬謖と王平は火と油だったために街亭で敗戦した

三国志・馬謖と王平は火と油だったために街亭で敗戦した

三国志でも後半の山場である蜀の北伐。率いるのは天才軍師・諸葛亮孔明です。用意周到に北伐の準備を進め、戦略的にも優れていましたが、諸葛亮は撤退することになります。今回はその原因となった「街亭の戦い」をご紹介いたします。


【後編】一家離散!!各地に散らばった諸葛家

【後編】一家離散!!各地に散らばった諸葛家

前回までは、諸葛3兄弟が散り散りになり、諸葛瑾が呉へ諸葛亮と諸葛均は荊州へ流れたところまでを書きました。さて、後半はいかに…!?