諸葛亮は本当に天才?実はたくさんの失敗をしていた!

諸葛亮は本当に天才?実はたくさんの失敗をしていた!

三国志で天才的な人物と言えば、諸葛亮を思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。しかし、そんな諸葛亮も何度となく失敗をしています。実は、蜀が滅亡したのは、諸葛亮のせいだと主張する方もいるのです。そこで今回は、諸葛亮の失敗にスポットライトを当ててみたいと思います。


1.そもそも諸葛亮ってどんな人物?

諸葛亮の失敗について紹介する前に、改めて諸葛亮とはどんな人物だったのか紹介していきます。諸葛亮は、劉備(玄徳)と劉禅に仕えた人物です。諸葛亮と劉備(玄徳)と言えば、「三顧の礼」というエピソードが有名となっています。三顧の礼とは、劉備(玄徳)が諸葛亮に会うために、3度諸葛亮の家に通ったというエピソードのことです。その後、諸葛亮は劉備(玄徳)に仕えるようになります。

劉備(玄徳)に仕えるようになると、諸葛亮は頭角を現し、赤壁の戦いなどで活躍して蜀の建国に尽力したのです。劉備(玄徳)が亡くなると、劉備(玄徳)の子供である劉禅を補佐する立場となります。諸葛亮は、劉備(玄徳)の意志を継ぎ、北伐を繰り返すようになり、五丈原の戦いの陣中にて病で亡くなったのです。蜀にとって重要な人物であり、劉備(玄徳)と劉禅を支えた人物が諸葛亮なのです。

2.諸葛亮はどんな失敗をしている?

馬謖を重用してしまった!

諸葛亮の失敗と言えば、馬謖を重用したことが挙げられます。実は、劉備(玄徳)は諸葛亮への遺言で「馬謖は悪い者ではないが、過信している節があるから、重用するべきではない」と残しています。しかし、諸葛亮は北伐の際に馬謖を重用してしまい、大きな失敗を犯しているのです。

諸葛亮は馬謖をとても評価していたこともあり、北伐時に戦略上とても重要な要地である街亭の守備を任せます。しかし、馬謖は山上に布陣してしまい、敵軍に包囲され、水の供給源を絶たれて敗北するのです。これにより、戦略上の要地を失う結果となり、蜀軍は大敗を喫してしまいます。

この失敗は、馬謖の失敗なのですが、重用してしまった諸葛亮の責任でもあります。劉備(玄徳)の遺言を守っていれば、北伐の結果も変わっていたかもしれないのです。ちなみに、このエピソードは「泣いて馬謖を斬る」の語源となっており、諸葛亮は馬謖らを処刑しています。また、諸葛亮自身も位を3階級下げて、右将軍に降格しています。

北伐を続けてしまった!

諸葛亮の失敗には、北伐を繰り返したことでもあります。諸葛亮は、何度も北伐に挑んでいます。しかし、北伐によって得るものはほとんどありませんでした。結果的に、兵をいたずらに消耗し、疲弊させるだけという捉え方ができるのです。そのため、北伐を繰り返したことが諸葛亮の失敗とみることができるのです。

ただし、北伐については様々な意見があり、どれが正しいのかがわからないのが現状となっています。そもそも、北伐は領土拡大のためではなく、蜀に攻め込まれるのを防ぐためだったという意見もあるのです。そのため、北伐が本当に失敗だったのかというと、確実に失敗とも言えないのです。

何でも自分でやろうとして失敗!

諸葛亮の失敗は、自分で何事もやろうとしたことでもあります。諸葛亮は、あまりにも有能過ぎて、どんなことに対しても自分でやった方が効率よく仕事をこなすことができます。しかも、諸葛亮は人に仕事を任せることができない性格だったのです。そのため、諸葛亮は多忙を極めており、死因は過労死とも言われています。もっと諸葛亮が他人に仕事を任せることができれば、蜀も変わっていたのかもしれません。

実は、諸葛亮のライバルである司馬懿は、諸葛亮の過労死を予言しています。司馬懿は、諸葛亮の使者に対して、諸葛亮の普段の様子を尋ねます。すると使者は、諸葛亮について「朝も明けないうちに起きて、夜は遅く寝ます。鞭打ち20以上の刑罰については、自分で取り行っています」などと答えてしまうのです。この答えを聞き、司馬懿は諸葛亮が近い将来過労死すると予言していたとされています。

人材育成の面での失敗!

諸葛亮は、人材育成の面でも失敗をしています。先ほど紹介したように、諸葛亮は人に仕事を任せることができない性格です。そのため、多くの仕事を兼務し、他の人に仕事を割り振ることができませんでした。その結果、他の人は経験を積むことができず、成長する機会が奪われてしまい、人材育成をスムーズに行うことができなかったのです。

晩年の蜀では、人材不足の感は否めません。諸葛亮なら、自分が亡くなった後にどうなるのかわかっていたはずです。自分の死後のために、人材育成や後継者育成をしておくべきでした。そういった意味では、諸葛亮の失敗は人材育成や後継者育成ができなかったことだと言えるのです。

3.諸葛亮の失敗からわかる人となり

意外と自信家

諸葛亮の失敗から、諸葛亮は自信家であることが窺えます。なぜなら、劉備(玄徳)の遺言で「馬謖を重用するべきではない」と言われたにも関わらず、諸葛亮は北伐で馬謖を重用しました。その結果、大きな失敗となり、北伐は失敗したのです。

諸葛亮が劉備(玄徳)の遺言を忘れていたわけがありません。これは、劉備(玄徳)よりも自分の方が人を見る目があるという自身から、馬謖を重用したとみるべきです。このことから、意外にも諸葛亮は自信家であることが窺えます。

リーダーには向かない

諸葛亮の数々の失敗から、リーダー向きではないこともわかります。諸葛亮は自分が優秀であり、効率的に仕事をこなすことができるため、他の人に仕事を任せることができませんでした。これが、自分の寿命を短くすることになり、人材育成の面でも失敗に終わった原因となっています。

リーダーは、仕事を振り分けることが重要です。部下の特徴や長所を把握して、仕事を任せることで国を回すことができます。しかし、諸葛亮は自分ですべてやってしまいました。このことから、リーダーとしての資質は持っていなかったことがわかるのです。

4.まとめ

今回は、諸葛亮の失敗にスポットライトを当ててみました。諸葛亮には「天才」のイメージを持ちますが、意外にも多くの失敗をしています。泣いて馬謖を斬るという故事成語が有名ですが、他にも北伐による国力の疲弊や人材育成ができなかったなどの失敗をしているのです。

これらの失敗から、諸葛亮は意外と自信家であり、リーダーには向かないことがわかります。諸葛亮ほどの人物でも、多くの失敗をしており、リーダーとしての資質はないのです。そう考えると、誰でも失敗はするし、向き・不向きもあるということがよくわかります。何か失敗したときには、諸葛亮でも失敗したと思い、ポジティブになることができます。失敗してもクヨクヨしないで、ポジティブシンキングで生きていきましょう。

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