三国志で過大評価されている武将・君主5選を紹介!

三国志で過大評価されている武将・君主5選を紹介!

三国志と言えば、英雄や名君がたくさん登場します。武勇伝も多く、カッコイイ武将・君主が多いです。しかし、実は過大評価されている武将・君主もいるのが事実です。そこで今回は、「過大評価されているのでは!?」と思える武将・君主にスポーツを当てて紹介していきたいと思います。


1.三国志で過大評価されている人物の特徴!

三国志には様々な武将・君主が登場します。数多くの武勇伝や伝説が残されており、評価されている武将・君主が大勢いるのです。しかし、実際には「過大評価」されている武将・君主がいるのも事実です。この理由は、三国志には「三国志演義」と「正史三国志」の存在にあります。三国志演義は蜀を中心にした物語であり、創作となっています。一方、正史三国志は史実に基づいたものです。日本では三国志演義の方が有名であり、三国志演義のイメージが強くなっています。そのため、正史三国志とのギャップから、過大評価されている武将・君主が多く存在しているのです。

先ほど紹介したように、三国志演義は創作であり、蜀を中心に描かれています。そのため、蜀の武将・君主が活躍するようなエピソードが加えられているのです。その結果、過大評価されている武将・君主の特徴は、蜀の武将・君主となっています。また、蜀の武将・君主を際立たせるため、蜀と敵対している武将・君主も過大評価されているケースがあります。評価のギャップを楽しむのも、三国志の楽しみ方なのかもしれません。

2.三国志で過大評価されている武将・君主5選

関羽

三国志の武将の中で、過大評価されていると言えば関羽です。関羽は、劉備(玄徳)仕えた武将です。劉備(玄徳)の旗揚げから参戦しており、義兄弟でもあります。人並外れた武勇を持ち、義理を重んじる関羽は、高い評価を受けているのです。一騎討ちでも、華雄や顔良、文醜など数多くの武将を倒したとされています。曹操が欲するほどの逸材であり、当時から評価が高いのがわかります。しかも、最終的に関羽は神にまでなっているのです。

そんな関羽ですが、実は「過大評価では?」との意見が数多くあります。理由は簡単で荊州の死守ができなかったからです。蜀にとって荊州は生命線であり、絶対に守らなければいけない土地でした。そのためには、孫権と友好的であるべきだったのに、関羽の娘と孫権の子の婚礼を断ったのです。さらに、呉と蜀の国境付近の食料を奪うなどしたため、孫権は関羽に反感を抱くようになります。その結果、樊城での戦いに敗れ、自身は亡くなり、荊州は呉のものになったのです。関羽が荊州を守ることができれば、蜀はもっと活躍していた可能性があります。ある意味、関羽は蜀滅亡の戦犯と言っても過言ではなく、神にまでなっているのは過大評価だと言えるのです。

劉備(玄徳)

蜀の君主であり、蜀漢の初代皇帝である劉備(玄徳)も過大評価されている人物です。三国志演義は、劉備(玄徳)が中心となっています。それだけに、過大評価されやすい人物となっているのです。劉備(玄徳)は、人徳の人と評価されることが多いです。多くの部下に恵まれており、それは人徳によるものとされています。とくに三国志演義では、聖人君主のような扱いになっており、名君と評価する方も多いです。

しかし、劉備(玄徳)は過大評価されている君主とされています。この理由は、感情を優先するような人物だったからです。劉備(玄徳)は、たびたび諸葛亮(孔明)の進言を拒否しています。劉表が亡くなる際に、諸葛亮は「荊州を奪うべき」と進言するも、荊州を奪いませんでした。逆に、夷陵の戦いでは諸葛亮が反対するも、強行的に決行しています。これは、関羽の仇討ちをしたいがために強行したのです。その結果、無駄に戦力を消耗させてしまいました。名君なれば感情よりも優先すべきことがあるのに、劉備(玄徳)は自身の感情を優先させることがたびたびあったのです。劉備(玄徳)の名君との評価は、過大評価と言えるでしょう。

諸葛亮

蜀の軍師・政治家である諸葛亮もまた、過大評価されている人物です。諸葛亮と言えば、「稀代の天才」のイメージが強いでしょう。劉備(玄徳)との「三顧の礼」や「水魚の交わり」など、エピソードに事欠きません。赤壁の戦いにおいても、諸葛亮は活躍をしています。劉備(玄徳)亡き後は、北伐を繰り返し、劉備(玄徳)の意思を継ごうとした人物です。

そんな諸葛亮ですが、過大評価されています。なぜなら、諸葛亮は人材育成の面で失敗しているからです。諸葛亮は他人に仕事を任せられなかったとされています。仕事を任せられなければ、成長することは難しく、人材育成という観点から諸葛亮はマイナスです。しかも、細かい事まで自分で業務をしたがために、過労死したとされています。諸葛亮は軍師・政治家としての評価が高いのは理解できまずが、他の点については過大評価と言えるのです。

姜維

蜀に仕えた姜維も過大評価されている人物です。姜維は諸葛亮亡き後、蜀の軍事力を掌握して北伐を繰り返しました。三国志演義では、姜維のことを高く評価されており、諸葛亮の後継者となっています。そのため、姜維は蜀にとっての最後のヒーローのような扱いになっているのです。

しかし、姜維は蜀滅亡の戦犯のひとりと言っても過言ではありません。なぜなら、姜維は北伐を繰り返しました。諸葛亮の意志を継いだと言えば聞こえはいいですが、実際に無理な北伐を繰り返し、蜀の国力を低下させていったのです。姜維は蜀滅亡の原因を作ったひとりであり、過大評価されている人物なのです。

孫権

呉の初代皇帝である孫権もまた、過大評価されている君主のひとりです。孫権は父の孫堅、兄の孫策を若くして失くしており、19歳で呉の君主になりました。孫権は人材発掘に優れており、多くの有能な人物を部下にしています。そして、領土を拡大させ、呉の勢力を強めていったのです。そのため、孫権が名君として高評価なのも納得できます。

しかし、孫権が高評価なのは過大評価と言えます。なぜなら、孫権の晩年は酷いものだからです。孫権の晩年は後継者問題で国を傾け、佞臣によって国を乱したのです。後継者問題では、何人もの名将を失くすことになりました。また、佞臣を重用したことで、部下に不信感を抱かせることになったのです。このように、孫権の晩年は名君とは言えず過大評価と言えるのです。

3.まとめ

今回は、三国志の武将・君主の中で過大評価されている人物を紹介してきました。過大評価されている武将・君主は、蜀に多い傾向があります。これは、「三国志演義」による影響です。三国志演義は蜀をメインにしているため、史実とギャップが生まれ、過大評価されやすくなっているのです。なかでも、劉備(玄徳)や関羽、諸葛亮などはその代表と言ってもいいでしょう。史実に近い「正史三国志」を知れば、過大評価なのがよくわかります。ぜひ、「正史三国志」の三国志の世界観も楽しんでみてください。

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