曹操に関する記事


曹操(孟徳)を寝込ませてしまった左慈(元放)仙人の奇妙な話

曹操(孟徳)を寝込ませてしまった左慈(元放)仙人の奇妙な話

漢中平定を成し遂げ、さらに大乱戦の末、降伏には至らなかったものの呉に毎年貢物を献上させることを約束させた曹操(孟徳)は、216年に魏王を名乗ります。献帝が健在であるにも関わらず、その勢力はまさに日の出。いよいよ益州(蜀)を攻略すれば天下統一も目前…というところまで来ました。しかし、そんな曹操(孟徳)の前に奇妙な人物が現れ、次々に不思議な出来事が起こります。曹操(孟徳)にとっては吉兆かはたまた凶兆か…見て行きましょう。


三国志・もしもこの二人が激突していたら!?夢の対決を想像してみよう

三国志・もしもこの二人が激突していたら!?夢の対決を想像してみよう

三国志夢の対決「趙雲VS張遼」、「周瑜VS陸遜」、「曹操VS諸葛亮(孔明)」が実現した場合を想像してお伝えしていきます。


そこは違うぞ!!三国志のドラマや映画にひとこともの申す!

そこは違うぞ!!三国志のドラマや映画にひとこともの申す!

華流映画、ドラマでは三国志は人気の題材です。現地の監督や脚本家が筋書きや監修をしているので、私たち日本人はその描写を真に受けてしまいがちですが、史学的な観点から見ると「そこは違うぞ!」とツッコミを入れたくなってしまう描写が散見されます。今回はそういった相違点についてピックアップします。


三国志・曹操や孫策には評価されたが、孫権に疎まれた謀臣・虞翻

三国志・曹操や孫策には評価されたが、孫権に疎まれた謀臣・虞翻

あまり知られていない謀臣に呉の「虞翻」がいます。彼の才は孫策や曹操に認めらながらも孫権には評価されず、不遇を強いられています。三国志演義にはほとんど登場しない虞翻の活躍ぶりを見ていきましょう。


冷酷非道なだけではない 曹操(孟徳)の慈悲心が垣間見られる漢中攻略

冷酷非道なだけではない 曹操(孟徳)の慈悲心が垣間見られる漢中攻略

劉備(玄徳)が蜀漢を建国した翌年の215年、曹操(孟徳)は蜀漢討伐を目指しますが、まずは蜀の入口に位置する漢中を攻略すべく征西軍を編成します。険しい山岳地帯への行軍で緒戦は苦戦を強いられるますが、人的にも物量にも勝る曹操軍は次第に優勢となります。そして、そんな中で曹操(孟徳)は「冷酷非道」を行わず、むしろ慈悲心を見せる場面がたくさん登場します。この頃の曹操(孟徳)を見ると、一代で中国の3分の2を支配した「実力」に納得させられます。


三国志の登場人物を超端的に紹介するとこうなった

三国志の登場人物を超端的に紹介するとこうなった

三国志の主な登場人物をどこよりも端的に紹介してみました。個人的見解もありますが、大それたことにはなっていないと思う為「これから三国志を学んでみたい」「三国志のゲームをする上でこの武将はどんな人物か知りたい」と思う人は是非読んでみてください。ここからさらに深く知るきっかけになれば幸いです。


曹操(孟徳)は漢の創設メンバーや皇族の子孫!?

曹操(孟徳)は漢の創設メンバーや皇族の子孫!?

曹操(孟徳)の祖父曹騰が誕生したころには既に曹家は衰退していたのですが、曹操(孟徳)の系図を辿ってみると前漢を建国した高祖劉邦に仕えた曹参にたどり着きます。本記事では、曹操(孟徳)の出身である曹家の家柄について解説します。


魏呉激突 大乱戦を画策したのは諸葛亮(孔明)

魏呉激突 大乱戦を画策したのは諸葛亮(孔明)

215年、曹操(孟徳)は張魯(公祺)が治める漢中の平定に成功しました。劉備(玄徳)の統治が始まったばかりの蜀にとっては大いなる脅威となりました。曹操軍の実力も去ることながら、劉備(玄徳)が統治して日の浅い蜀は人的結束力にまだまだ不安があったからです。漢中平定に成功し日の出の勢いの曹操軍。蜀に攻め込んで来るのは明白。ついに、諸葛亮(孔明)が「切り札」を投入します。


張昭・張紘--江東の二張

張昭・張紘--江東の二張

孫策・孫権の江東軍において軍事の頭脳は周瑜・魯粛・諸葛瑾など数多く挙げられますが、内政の頭脳といえる人物は張昭・張紘の二名が真っ先に挙げられるでしょう。江東の二張と呼ばれるこの二人、どういう人物だったのでしょうか


三国志・三絶のひとつ「奸絶」の曹操のイメージはいかに確立されたのか

三国志・三絶のひとつ「奸絶」の曹操のイメージはいかに確立されたのか

三国志演義では、劉備(玄徳)の最大の敵として君臨する「曹操」。まさに悪の象徴として描かれています。はたして曹操の悪のイメージはどのようにして確立されたのでしょうか?


三国志・曹操暗殺計画を企てた董承はどのような人物なのか?

三国志・曹操暗殺計画を企てた董承はどのような人物なのか?

三国志演義では善人としてのイメージが強い「董承」。献帝のために曹操暗殺計画を企てるのですが、はたしてどのような人物だったのでしょうか?


劉備(玄徳)の蜀漢建国を邪魔する曹操(孟徳)、孫権(仲謀)の陰謀

劉備(玄徳)の蜀漢建国を邪魔する曹操(孟徳)、孫権(仲謀)の陰謀

荊州から益州に入った劉備(玄徳)は214年に成都を攻略し劉璋(季玉)を降伏させます。そして、劉璋(季玉)の身柄と財産を保障して振威将軍の印綬を与えた上で公安に送り、豊富な物資と軍勢を手に入れました。さらに劉璋(季玉)の旧臣を積極的に召抱えて人的な面でも大きく充実しました。 当然、曹操(孟徳)、孫権(仲謀)はこの動きが不愉快です。


三国志・赤壁の戦いの際に曹操に帰順しようとして朱治に阻止された孫氏の重鎮

三国志・赤壁の戦いの際に曹操に帰順しようとして朱治に阻止された孫氏の重鎮

赤壁の戦いでは、曹操による強力な寝返り作戦があったことを御存じでしょうか?標的のひとりが、孫権の親族でした。三国志演義では語られなかった裏話をお伝えします。


劉備(玄徳)はなぜ天下を取れなかった?足りなかったものとは?

劉備(玄徳)はなぜ天下を取れなかった?足りなかったものとは?

三国志で人気の君主と言えば、劉備(玄徳)ではないでしょうか。関羽や張飛、諸葛亮など多くの部下がおり、魅力的な劉備(玄徳)。それだけに、天下を取って欲しかったという方も多いのではないでしょうか。そこで今回は、なぜ劉備(玄徳)は天下を取れなかったのか、そして足りなかったものは何なのかを紹介していきます。


張郃--魏を支え続ける猛将

張郃--魏を支え続ける猛将

演義ファンの方は「魏の国の名将は?」と聞かれたら、真っ先に答えるのは張遼でしょう。続いて徐晃、そして張郃と言ったところでしょうか。実際、この三人と楽進・于禁を合わせた五人が一つの列伝にまとめられており、魏の五虎大将軍と言っていい存在です。その中でも、もっとも後の時代まで活躍したのが張郃です。


これを知っていたら三国志通!有名なあだ名~武将篇~

これを知っていたら三国志通!有名なあだ名~武将篇~

三国志を知る上で重要になってくるのは戦いなどの流れと個々の武将のエピソードを知ることです。そして三国志をより楽しみたいという人は後者のエピソードを探ることをお勧めします。中にはあだ名がついている武将がいるので「なぜそのあだ名になったのか」「あだ名をつけた人は誰なのか」というのを抑えるとより楽しむことができます。


三国志・曹操から信頼された夏候惇と夏侯淵の一騎打ちの経歴

三国志・曹操から信頼された夏候惇と夏侯淵の一騎打ちの経歴

曹操を支えた名将・夏侯惇と夏侯淵の三国志演義での活躍ぶりを振り返ってみましょう。はたしてどのような一騎打ちを演じているのでしょうか?


これを知っていたら三国志通!有名なあだ名、~君主・軍師篇~

これを知っていたら三国志通!有名なあだ名、~君主・軍師篇~

三国志に登場する人物には名前や字の他にあだ名がつけられる者もいました。ここでは君主と軍師についてのあだ名について紹介します。「伏龍」や「鳳雛」というあだ名を聞いてそれが誰を指すのかが理解できたら三国志通と言っても過言ではありません。さらになぜそういうあだ名になったのかという事も紹介したいと思います。


三国志・魏の名将である張郃が一騎打ちでほとんど勝てていないのはなぜか?

三国志・魏の名将である張郃が一騎打ちでほとんど勝てていないのはなぜか?

魏の名将である張郃、その功績は三国志正史にしっかりと記されています。しかし一方で、三国志演義ではその強さを発揮できずにいます。張郃の一騎打ちの戦歴を紐解いてみましょう。


ラスボス司馬懿仲達(前編)

ラスボス司馬懿仲達(前編)

三国志を題材にしたゲームや小説・漫画で多いのは劉備(玄徳)あるいは諸葛亮を主人公とした作品です。やはり蜀漢を正当な王朝として考えるのが架空の話の中では流行りなのでしょう。その場合、ラスボスに当たるのは誰でしょうか?董卓や曹操が悪役でそれになることもありますが、圧倒的に多いのは司馬懿です。何故、彼はそのようなポジションになるのでしょうか?