最期まで忠義に厚かった猛将【ホウ徳】

最期まで忠義に厚かった猛将【ホウ徳】

馬騰・馬超親子や曹操の配下として活躍し、関羽と激闘を繰り広げたホウ徳。最期まで忠誠を貫き、曹操に涙を流させたほどの名将です。ここではホウ徳の武勇と戦いの軌跡を紹介していきます。


馬騰軍一の猛将として、馬超とともに天下に名を知らしめる

馬騰軍一の猛将として、馬超とともに天下に名を知らしめる

馬騰軍一の猛将として、馬超とともに天下に名を知らしめる

ホウ徳は若い頃から出仕し、涼州で軍を率いる馬騰の配下となり、各地で反乱を制圧していました。ホウ徳は武勇だけでなく、智略にも優れ、瞬く間に出世していきます。馬騰が涼州で活躍できたのも、共に戦った韓遂の功績もありますが、ホウ徳が自陣で敵をなぎ倒していたことが大きかったといえます。

主君の馬騰は曹操が都で実権を掌握すると味方になり、袁紹軍をけん制します。折しも中原の覇者となった曹操は河北の袁紹と対決するために、西の憂いを無くしておきたいことが念頭にありました。

官渡の戦いで曹操が大勝利を収めると、袁譚・袁尚らは南匈奴の単于に曹操を攻撃するよう呼びかけ、数万規模の軍勢で曹操軍を襲いました。曹操が北へ遠征するのを受けて後方を襲撃しようという狙いがあり、一時は馬騰も曹操を裏切るように考えていました。しかし、配下や曹操の幕僚たちの説得もあって馬騰は立ち直ります。

馬騰は長男の馬超とホウ徳に1万の兵を預けて曹操軍の援軍として戦いに参加します。馬超は若くから猛将で知られ、この戦いでも暴れまわります。しかし、足に矢を受けて負傷し、ホウ徳は馬超の代わりとばかりに先陣を切って敵軍を切り裂きます。敵方の大将を自ら討ち取って戦いに勝利しました。この頃から曹操はホウ徳の武勇にほれ込むようになっていきます。

馬超に仕えて曹操軍と対決

馬超に仕えて曹操軍と対決

馬超に仕えて曹操軍と対決

205年には曹操への反乱が起きますが、馬騰軍の中枢にあるホウ徳は反乱軍を圧倒していきます。その武勇は馬超と並んで豪傑と呼ぶに相応しいものといえました。208年になると、曹操の勧めもあって馬騰が入朝するようになると、後事を託された馬超が軍を率いるようになり、ホウ徳は馬超の直属の部下になりました。

馬騰は曹操へ恭順の姿勢を築いていましたが、211年になると馬超が韓遂と共同で挙兵してしまいます。この背景には赤壁の戦いで惨敗を喫した曹操に対して、地方の各地で反乱が勃発し、都から西方にあたる涼州も独立民族が多く見られることもあって曹操が討伐の軍を挙げたことにつながります。

曹操は関中の張魯に照準を絞り、広大な土地を擁する蜀の劉璋へのけん制を兼ねて出陣しました。しかし、関中は馬超らからすると目と鼻の先に当たり、次は自分たちの領土が侵攻されるかもしれないと思い、父の代から親しい豪族の韓遂と共謀するようになりました。

曹操は自ら殿となって軍勢を率い、黄河を渡るところで馬超が急襲します。命からがら逃げ切った曹操ですが、布陣を整えても勢いに乗った馬超軍を相手に劣勢になります。馬超だけでも大変な相手ですが、そこに同じくらい強いホウ徳がいることで曹操は生きた心地がしなかったといいます。

しかし、曹操軍の参謀によって馬超と韓遂は仲たがいをするようになり、結果として馬超やホウ徳は敗れて漢陽へ逃げ込みました。その後もホウ徳は馬超に付き従い、反乱軍を興しますが、ここでも敗れて漢中の張魯を頼るようになりました。張魯の元では馬超は力を発揮できず、逆に張魯の家臣に疎まれるようになり、単身出奔して劉備(玄徳)に仕えるようになってしまいます。一方の龐徳はそのまま張魯の下に留まり、馬超と離れるようになりました。

曹操の配下となり関羽と決戦

曹操の配下となり関羽と決戦

曹操の配下となり関羽と決戦

215年には曹操が漢中に侵攻し、張魯が降伏すると、ホウ徳は曹操に服従します。もともとホウ徳の武勇を好んでいた曹操は大手を振って喜び、激戦区となっていた荊州の守備に就かせます。これまで散々曹操に敵対し、数多の将兵を斬り殺してきた自分を寛大に迎えてくれた曹操の器量にホウ徳は深く感謝するようになっていきます。

ホウ徳は樊城に入り、曹仁の指揮下につくようになりました。しかし、曹仁の配下たちは、ホウ徳が劉備(玄徳)に降った馬超の元部下であり、従兄弟も劉備(玄徳)軍にいるので彼を疑うようになっていきます。

敵将・関羽と激戦

敵将・関羽と激戦

敵将・関羽と激戦

ホウ徳ら荊州の守備陣が相手にするのは、劉備(玄徳)軍の名将関羽でした。当時の関羽は他に敵がいないほど無敵状態を誇り、類まれなる武勇と豪胆さを武器にしていました。ホウ徳は自身が関羽を捕えると豪語し、それができないときは自分が関羽に斬り殺されているだろうと述べ、決死の覚悟を抱きました。

この頃の荊州には長雨が続き、川が氾濫して平地までもが水没する始末となっていました。陸地にありながら船を出すという異例のことに将兵らは慌てふためきます。ホウ徳は曹仁が守る本陣から離れたところに布陣していたので孤立し、いち早く対応した関羽軍の弓隊の餌食となってしまいました。

ホウ徳は自軍から関羽へ降伏しようとした武将を斬り、曹操への忠誠を改めて誓い、丘に登って反撃を始めます。ホウ徳は関羽の額に矢を命中されるなど、関羽にひけを取らない武勇を見せつけます。兵の少ないホウ徳軍に対し、関羽は容赦ない攻撃も仕掛けます。さらに水が増してくると、水没を恐れた将兵たちが競って関羽に降伏し、ホウ徳は孤立無援の状態となっていきます。

必死の抵抗も虚しく、ホウ徳を守る将兵がわずか3人となりました。ホウ徳は小舟を探して曹仁のもとへ戻ろうとしますが、関羽軍の攻撃熾烈を極め、水が勢いを増したところで小舟が転覆し、ホウ徳はとうとう捕えられてしまいます。

最期まで曹操への忠義を貫く

最期まで曹操への忠義を貫く

最期まで曹操への忠義を貫く

関羽は最後まで抵抗したホウ徳の武勇に惚れ、馬超や従兄が劉備(玄徳)に仕えていた事もあって降伏を勧めます。龐徳は頑として断り、忠義を貫くことを固持し、説得を諦めた関羽によって斬られます。関羽は武人としてのホウ徳の死を惜しみ、丁寧に葬りました。

曹操はホウ徳の死を知り、最期に自身への忠義を最後まで貫いたことに深く悲しみ涙を流したと言います。その頃、樊城へは古参の于禁が大軍をもって援軍に駆けつけましたが、同じように水没に苦しみ、関羽に捕えられてしまいます。

于禁はホウ徳と違い、素直に降伏し、命を助けてもらいました。曹操は長年付き従ってきた于禁と新参者といえるホウ徳の忠義の差を嘆きました。ホウ徳は死後も忠義を高評価されており、曹操の跡を継いだ曹丕や曹芳らにも魏への忠義を評価されています。

三国志演義ではその忠義を全面に押し出し、ホウ徳は関羽戦の前に自ら棺桶を用意し、命に代えてでも関羽を討伐する意思の強さを見せつけ、曹操に喜ばれています。





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