神になった武将・関羽信仰と関帝廟

神になった武将・関羽信仰と関帝廟

非業の死を遂げ、後年の人々によって神格化された蜀漢の武将・関羽=関聖帝君(関帝)。中国で最も信仰されている神と言われており、絶大な人気を誇っていることをご存知の方は少なくないと思います。いつごろから、なぜ関羽が神格化されたのかを調べてみました。


神としても絶大な人気を誇る義絶・関羽

横浜関帝廟(撮影・筆者)

『三国志』の登場人物の中で、広くその名が知られており、人気の高い武将のひとり・関羽雲長。主君であり義兄弟の劉備玄徳に忠節を尽くしたことから、「義絶(この上なく義を重んずる人物)」とも呼ばれています。
現在においては関聖帝君(関帝)という名で、主に商売の神として信仰を集めています。筆者は以前中国出身の方と接する機会がしばしばあったのですが、関羽の人気は絶大という印象を抱いていました。三国志に興味のない若い方でも神としての関羽を信仰していたり、お店や事務所、時として自宅の一角に関帝の御札や小さな関羽像が祀られていることが少なくありませんでした。
しかし、商売の神として崇められるようになったのは、関羽信仰が始まってからからずいぶんと後になってからの話。当初は軍神として祀られていたのです。

武神として起こり、商人たちによって広められた関羽信仰

関羽への信仰は唐代から始まりました。755~763年に起こった安史の乱によって衰えていた国力を盛り返しを祈念すべく、782年、第12代皇帝・徳宗により、関羽は武神・武成王の従祀に選ばれました。これが国家祭祀の始まりです。しかしこの時は古今の名将64人の1人に過ぎませんでした。宋代に入ると、いよいよ関羽は武神としての地位を高めます。北方民族の度重なる侵入に苦しんでいたため、北宋の第8代皇帝・徽宗(きそう)は国家の危機のたびに関羽の神号を次々と進め、守護を願ったのです。
明代に入ると、初代皇帝・洪武帝が関羽を祀る廟を造営。第3代皇帝・永楽帝も新たな廟を建立すると、民間においても信義の神として関羽信仰が発展し、やがて商売の神として崇められるようになりました。

武将である関羽が武神とされるのはすんなり理解できます。しかし商売の神というのは少し不思議な気がしますよね。武将として理財に精通していたから、劉備(玄徳)に仕える以前の関羽は塩の密売人だった、もしくは用心棒など、それに関わる人物だったから等、由来は諸説あります。
その中でも有力とされている一説に、関羽の出身地・河東郡解県(現在の山西省)に関わるものがあります。この地での関羽信仰は当初、関羽の子孫や縁者が偉大なる先祖を祀っていただけでした。山西省にある解池という塩池から産出される塩を商う人々が、これに目をつけて道教信仰と結びつけ、商売においても重要な「義」を重んじる関羽を、商売の神としたことが始まりであるというものです。塩商人たちが販路を広げていくことで商売の神としての認知も、中国全土に広まっていったと言われています。

かくして関羽を祀る関帝廟も、各地に建立されるようになりました。孔子を祀る孔子廟を「文廟」と呼ぶのに対して、関帝廟は「武廟」と呼ばれ、清代にはこの二つが必ず県の中に建てられて、爆発的に増加。しかし文化大革命の際、多くの孔子廟が破壊されてしまったため、関帝廟のみが単独にて残るかたちになってしまったのです。
余談ですがこのとき「革命の邪魔になる高い階級の象徴である」として、諸葛亮に関する遺跡も多数破壊されたのだとか。後年、低い身分の出自であることで廟が被害を免れるとは、関羽も思いもしなかったでしょうね(その前に神格化を想像できていたか、という話ですが)。

そもそも神格化されたのはなぜ?

そもそもなぜ関羽が神として崇められるようになったのでしょうか。その由来は、関羽の最期にありました。
219年の樊城の戦いによって魏と呉の挟み撃ちに遭い、息子の関平と共に捕らえられ、斬首された関羽。その年の末には関羽を討った呉の呂蒙、翌年には関羽の首級を受け取った魏の曹操と、関係者の死が相次ぎました。中国では非業の死を遂げた人物には、強い霊力があるのだと考えられていたことを踏まえれば、この偶然が関羽の霊力によるものだと受け取られることにもうなずけますね。生前の武功や知名度に加えて、関羽の死とそれにまつわるできごとが、人々に超自然的な印象を与え、関羽を神たらしめたのでしょう。
『三国志演義』が編纂された明代にはすでに関羽信仰が成立していましたので、呂蒙や曹操はまるで神罰が当たって死んだかのような脚色がなされていましたね。正史での関羽の記録は1000字も満たない(裴松之の注釈が別に761字)にも関わらず、『演義』では登場からその最期に渡るまでにスポットが当てられ、主役級の扱いをされていたり、本来は別の武将の武勇であったことが関羽の手柄にすり替えられていたり、欠点に関しては一切触れられていないのも、神格化が進んでいたゆえかもしれません。

日本各地にもある関帝廟と関羽像

夜の横浜関帝廟門前(撮影・筆者)

さて、世界各地に渡った華僑たちが商売繁盛を願い、またなくてはならない心の拠り所として、移住先に関帝廟を建てました。そのため、神となった関羽は中国国内のみならず、世界中の中華街に祀られています。
日本の各地の中華街や中国人コミュニティーにも関帝廟や関羽像が建てられており、横浜関帝廟、神戸関帝廟、函館中華会館などがよく知られていますね。とはいえ横浜と神戸が幕末の開港以降、函館は明治時代に建立されたものですので、関羽信仰の歴史に照らし合わせると新しい方だと言えるでしょう。

実はもっと古くに関羽信仰は日本に持ち込まれていました。それが長崎県にある黄檗宗・崇福寺などのいわゆる「唐寺」です。江戸時代、幕府は鎖国政策を敷いていましたが、長崎のみ清とオランダとの貿易ができていたことは、ご存知の方も多いでしょう。そのため現地には多くの華僑が居留しており、彼らが中国の僧を招聘して建立したのです。崇福寺は中国様式の寺院としては日本最古のもので、院内には釈迦如来や観音菩薩の堂と並んで、関羽や媽祖といった中国道教の神の堂が建てられています。異教の信仰対象が同じ場所で同等に祀られている光景は、なかなかにして珍しく、あまり見られないかもしれませんね。
ちなみに崇福寺では旧暦の7月26~28日に中国盆会、横浜中華街では関羽の誕生日とされる旧暦6月24日を祝う関帝誕が開催されています。そうしたスケジュールを照らし合わせつつ、各地の関帝廟、関羽像を参拝してみてはいかがでしょうか。

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