魏・呉・蜀の戦犯は誰だ!滅亡に追い込んだ武将・君主を紹介

魏・呉・蜀の戦犯は誰だ!滅亡に追い込んだ武将・君主を紹介

三国志では、魏・呉・蜀がしのぎを削って争いました。しかし、最終的に魏を乗っ取った晋が統一します。そこで注目したいのが、魏・呉・蜀のそれぞれの国が滅亡に追い込まれた戦犯です。もちろん、滅亡の理由は複合的なのですが、今回は中でも戦犯として挙げることができる武将・君主を紹介していきたいと思います。


魏の戦犯は誰だ!

曹丕

魏滅亡の戦犯のひとりと言えば曹丕です。曹丕の父親は曹操であり、魏の初代皇帝となっています。曹丕が魏滅亡の戦犯とされる理由は、一族の力を削いでしまったことにあります。その結果、司馬家の台頭を許すことになってしまい、魏を滅亡へと導いてしまったのです。なかでも後継争いの相手であった曹植は左遷されており、曹植派の武将も無理難題を押し付けられて死刑になったりしています。

このように、曹丕は一族の力を削いでいってしまうことにより、一族が一致団結することができませんでした。それだけでなく、曹丕は曹操から受け継いでからわずか7年で亡くなってしまいます。一族に不協和音が流れるなかでの死は、司馬家の台頭を許すことにつながっており、魏滅亡の戦犯だと言えるのです。

曹爽

曹爽は魏の武将であり、曹叡や曹芳に仕えました。曹叡からの寵愛が厚かった曹爽は、厚遇されており、大将軍にまでなっています。曹叡が病に伏せると、曹爽は司馬懿とともに、曹芳を補佐するように命じられています。しかし、曹爽は側近らの提言により、権力を独占しようとしたのです。その結果、司馬懿との権力争いを行うことになり、曹氏の勢力の衰退、そして滅亡へと追いやったのです。

曹爽は権力を握るために、大功を立てようとします。大功を立てるために、蜀漢討伐試みたのです。しかし、この討伐は失敗に終わってしまいます。司馬懿は曹爽が権力を握ろうとしていることを察知しており、「討伐を止められなかった責任」「高齢」を理由として引退を表明するのです。しかし、これは曹爽らを油断させるための引退表明でした。

その後、司馬懿はクーデターを起こします。このクーデターは成功し、曹爽らは降伏したのです。しかし、曹爽らは謀反の企みがあったとの理由により、一族郎党を殺したのです。これにより、司馬氏が大きな権力を持つことになり、逆に曹氏の勢力は衰退していきます。そのため、曹爽が司馬懿との権力争いに敗れたことが、魏の滅亡につながっており、曹爽が戦犯のひとりと言えるのです。

呉の戦犯は誰だ!

孫権

呉の初代皇帝である孫権は、呉滅亡の戦犯のひとりです。孫権は兄の孫策を亡くしたことで、19歳の若さで呉のリーダーとなっています。孫権は赤壁の戦いでの英断や領土拡大など、リーダーシップを発揮した良きリーダーの一面があります。しかし、晩年の耄碌ぶりはあまりにも酷く、呉を滅亡に追いやった戦犯のひとりと言われても致し方ないのです。

晩年の孫権は、佞臣・呂壱を気に入り、暴政を敷くにようになったのです。これにより、呉の内政はボロボロになりました。しかし、悪事が露見することになり、呂壱は処刑されます。だが、これだけでは終わりません。後継者と目されていた孫登が亡くなってしまったのです。

孫権は後継者について悩みます。三男の孫和と四男の孫覇が後継者候補だったのですが、太子として孫和を指名し、同時期に孫覇を魯王とします。これにより、孫和派と孫覇派に分断することになり、政争となってしまうのです。この政争に嫌気が差した孫権は、生まれたばかりの孫亮を太子に指名するのです。これに異を唱える孫和派の多くの人物が処刑されています。このように、まさにお家騒動を引き起こしてしまったのです。後継者の指名で英断ができなかった孫権により、呉の勢力は落とすことになり、滅亡へと進むことになったのです。

孫晧

孫晧は孫和の子どもであり、呉の第4代皇帝です。そんな孫晧は、暴君として有名であり、呉滅亡の戦犯のひとりなのです。皇帝となった当初は貧しい民に食料を施すなど、名君だったと言われている孫晧ですが、すぐに暴君へと変貌を遂げることになります。

孫晧は猜疑心が強く、酒や女を好み、気に食わない家臣は殺害するという暴君ぶりを見せつけるのです。さらに、首都を建業から武昌に遷都し、再び建業に戻るなど国内を混乱させています。その結果、晋に攻め込まれることになり、呉の滅亡を招いたのです。ちなみに、晋に降伏する際に、呉滅亡の責任は自分にあることを認め、家臣には遠慮することなく晋に仕えるように言ったとされています。

蜀の戦犯は誰だ!

姜維

蜀滅亡の戦犯として挙げられるひとりが姜維です。姜維が戦犯として挙げられる理由は、内政を顧みることなく、北伐を繰り返したことにあります。姜維は、諸葛亮の意志を遂げたいと思っていました。そして、姜維は軍権を握ると大規模な北伐を行ったのです。姜維が北伐を繰り返すことによって、蜀の国力を貶めることになったのです。

ちなみに、姜維だけでなく、晩年の諸葛亮も戦犯のひとりと言われています。なぜなら、諸葛亮も北伐を繰り返し、蜀の国力を疲弊させています。また、諸葛亮が北伐に固執していなければ、姜維も北伐にこだわらなかった可能性があるのです。いずれにしても、北伐を繰り返した姜維と諸葛亮は、蜀滅亡の戦犯となるのです。

黄皓

蜀の第2代皇帝・劉禅に仕えたのが黄皓です。黄皓は劉禅の寵愛を受けており、権力を握るのですが、悪名高き佞臣として有名であり、蜀滅亡の戦犯のひとりなのです。劉禅の寵愛を受ける黄皓ですが、劉禅のお目付け役である董允が劉禅を諫めて低い身分のままでした。しかし、董允の後任に陳祇が就くと共謀して権力を握るようになったのです。

そんな黄皓が戦犯に挙げられる理由は、姜維からの援軍要請を握り潰したからです。姜維は魏による侵略を防ぐため援軍要請をするのですが、黄皓は神託を信じて「敵は来ない」と判断します。そして、劉禅に援軍要請を採り上げないように意見したことで、蜀は迎撃準備が整わないまま侵略されたのです。これにより、蜀はあっけなく討伐されることになり、蜀は滅亡してしまいます。まさに、黄皓は蜀滅亡の戦犯のひとりなのです。

他にも戦犯はいっぱい!

今回は魏・呉・蜀のそれぞれの滅亡における戦犯を紹介してきました。もちろん、今回紹介した武将・君主以外にも戦犯がいっぱいいます。劉備(玄徳)や関羽なども戦犯のひとりと言われているのです。ちなみに、劉備(玄徳)が戦犯とされる理由は、呉への無理な大規模侵攻であり、関羽の戦犯の理由は荊州を呉に陥れられたからです。いずれにしても、歴史を変えることはできません。しかし、滅亡の理由や戦犯を見ていくと、なかなか面白いものです。滅亡した理由などを考えながら、三国志を楽しんでみてください。

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