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対呉戦線の重要拠点・合肥(がっぴ)の守備を任された、張遼・楽進・李典。曹操は日ごろから仲の悪い3人をあえて組ませて、孫権との戦いに当たらせました。不仲な武将たちが、孫権の大軍をどう迎え撃つのか……じっくり見ていきましょう。
呉の孫権の攻撃に備え、重要拠点である合肥(がっぴ)の守備を命じられた張遼。しかし、ともに任務に当たる同僚たちとは、人間関係がうまくいきませんでした。はたして彼らは無事に孫権の攻撃に対処し、任務を果たせるのでしょうか?
「泣く子もだまる」最強の武将 張遼(5) 大物食いの武将・楽進
三国志の大きな見せ場でもある、曹操軍と孫権軍の攻防戦。曹操軍の将として、要地・合肥(がっぴ)の守備を任せられた男こそ、勇将として名高い張遼でした。張遼はいかにして孫権軍と戦ったのか、じっくり見ていきましょう。
曹操は官渡の戦いで袁紹を破った後、華北を順調に平定し、いよいよ南方へと軍を向けました。ところが赤壁の戦いで、孫権・劉備(玄徳)の連合軍に思わぬ敗北を喫したのです。この敗戦を受け、曹操に反旗をひるがえす武将も現れました。曹操軍の有力武将となった張遼にとっても、ここからが腕の見せ所となるのです。
「泣く子もだまる」最強の武将 張遼(3) 危機管理も完璧だった男
若き日の張遼は、丁原、董卓、呂布といった猛将たちに仕えました。しかしこれらの主人たちは皆、志半ばにして討たれてしまい、張遼はそのつど新たな主人に仕えなくてはならなかったのです。呂布が滅んだ後、張遼は曹操に仕えます。後に魏王朝の始祖となるこの男こそ、張遼にとって運命の主人だったのです。
有力な武将は前科者ばかり?実は犯罪者だった武将たち Part2
前回の「あいつも前科者なの!? Part1」に引き続き、前科のある三国志の登場人物について、罪状や経緯などを掲載します。
三国志演義で曹操は大悪党の親玉として描かれています。事実曹操は、少年期~青年期にかけてはヤンキーとして過ごしていたので、現代の警察や裁判所の厄介になることもしばしばありました。しかし、三国志演義には、前科を持っている者が他にも登場しています。
三国志の面白さと言えば派手な戦や、奇想天外な策略ですが、一方でそうした歴史の裏側では、各国の渉外活動を行う調整役が暗躍しています。今回はそんなネゴシエーター、弁舌家たちの活躍シーンをご紹介します。
三国志の時代、しのぎを削り合っていた群雄たちは戦況を有利に進めるため兵士に持たせる武器だけでなく、乗り物や設備などの大型兵器も開発・改良していました。
諸葛亮って実際どれくらいすごいの? 演義と正史に見る諸葛亮像
三国志においてもっとも有名な人物と言えば、やはり諸葛亮でしょう。主に三国志演義における第二の主人公として、ネット上でネタにされることも多い天才軍師ですが、正史と演義ではそのイメージが随分違っていることをご存知でしたか?今回は、そんな諸葛亮についてご紹介します。
みなさんご待望の良妻賢母シリーズ第3弾。今回は武将、参謀、軍師として活躍した人物が外で公務や戦争に明け暮れて家を留守にしている間、家と子供を守ってきた奥様(女性)たちの美談をご紹介いたします。
三国志は日本の戦国時代に似た面が多々あります。どちらも共通しているのは様々な人物がそのキャラクターをいかんなく発揮していて複雑な社会を形成しています。クイズで人物のとっかかりを作り、その後好きな王様や注目する将軍などを観るようにしてみてはいかがでしょうか?
中国でも大人気の三国志。王様や武将などの評価が「魏書」や「呉書」でなされています。それぞれどのように人物評価がなされているかクイズ形式で学んでみましょう。日本でも同じような評価をされていることもあれば、「へぇ、そうだったんだ?意外だな」ということもあるでしょう。
槍、戟、斬馬刀など三国志の戦闘シーンでは近接戦闘用の武器を用いて武将がバッサバッサと敵兵を薙ぎ払いながら蹴散らすイメージが強くあります。しかしながら、実際兵士を最も殺傷していた武器は弓矢です。弓術を得意として武将を列挙して、三国志最強のスナイパーは誰なのか、みなさん一緒に考えましょう。
三国志には数多くの武将が存在します。人望がある武将、私利私欲のために兵をあげる武将。そんな彼らのエピソードから個人的に現代風に性格をアレンジしてみました。女性のみなさん必見!この武将を彼氏にしたい!と思いながら読んでみてください!
三国志の時代に行われた儀式【前編】に引き続き、三国志時代に行われていた儀式やそれに用いられたアイテムについてご紹介します。
三国志にはちらほら儀式に関する記述がみられます。代表的なものには「桃園結義」、「献帝の即位式」などがあります。その儀式や使用されたアイテムについてご紹介します。
「泣く子もだまる」最強の武将 張遼(2) 真の主人との出会い
後に魏の名将となる張遼は、若いころは安住の地を得ることができず、苦労もしました。なにしろ主人の董卓が、同僚の呂布に殺されてしまうのです。結局彼はそのまま呂布の配下となるのですが、そこからさらに運命は急展開していきます。
「泣く子もだまる」最強の武将 張遼(1) 呂布にふり回された若き日
「泣く子もだまる」という言葉、読者の皆さんも耳にしたことがあるでしょう。「だだをこねて泣いている子供も、恐怖のあまり泣き止んでしまうほど、恐ろしい存在」という意味だそうです。この言葉は、三国志の武将が語源になっているといいます。その武将は、魏の名将である張遼(ちょうりょう)。どんな男だったのでしょうか。
みなさんお待ちかねの良妻賢母シリーズ第2弾ですよーーー!!内容は前回よりもパワーアップ。「母は偉大なり」をおのずと感じてしまったエピソードを記事に盛り込みました。