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三国志の時代は、後漢末期から晋朝が興る約100年間の期間です。この100年の間にも女性たちの髪型は現在よりなだらかに変化していきました。西暦でいうと180年~280年くらいの間ではありますが、この時からすでに女性たちはファッションに気を遣って過ごしていたようです。
【良妻賢母シリーズ第1弾】諸葛亮 孔明 含む 英雄たちの母と妻のお話
英雄となる優れた皇帝や強い武将たちは母親に礼儀作法、人とはなるたるものかを学び、献身的な妻に支えられて偉業を成し遂げてきました。本記事では、是非世のママさんたちに読んでほしい!三国志で活躍する諸葛 亮 孔明 含む英雄の妻、母親たちに関する逸話・名言をご紹介します。
罪の無い少年皇帝をやめさせ、しまいには命まで奪ってしまった董卓。その残虐な行いはいまも人々の非難を受け続けています。しかし、彼がそうした処分を下した背景には「何進グループ」の打倒という、政治目標があったのです。
三国志は後漢王朝が滅亡し、魏・呉・蜀の三つの国が興って晋に統一されるまでの物語です。魏の曹操、呉の孫権、蜀の劉備(玄徳)は後漢末期に割拠した英雄たちの一部です。本記事では後漢王朝が自ら招いた乱世の要因や事件を書いていきます。
三国志演義にはさまざまな怪奇現象、怪談話が登場します。オカルトファン必見の三国志にまつわる怖い話をこちらの記事でご紹介します。
三国志でものすごいメジャーという訳ではない李傕(りかく)と郭汜(かくし)。 董卓の元で働き力を付けた二人が頭である董卓を失った際にどうなったか、さらにそれが現代社会からどういう風に紐解けるか。二人の末路について紹介したいと思います!
魏・呉・蜀の物語。それが三国志ですが、魏と蜀と比べて存在感の薄い呉。呉は何を求めていたのでしょうか? ちなみに「 魏 呉 蜀 読み方 」は、「ギ、ゴ、ショク」 です。
三国志は1800年以上前の中国が舞台。ですから、現代の日本人の感覚では理解しかねる点が盛りだくさん。それを踏まえても「おい、ちょっと待て」とツッコミたくなるエピソードを数多く残しているのが、孫呉であるという印象が筆者にはあります。今回はその孫呉の中でも、1、2を争うほどのチンピラ武将・甘寧のお話をお届けします。
劉備(玄徳)に三顧の礼で迎えられた天才軍師・諸葛亮孔明。劉備(玄徳)に迎えられてからは名軍師として数えきれない活躍を見せます。そして最後は北伐でその生涯を閉じるのですが、そもそもなぜ北伐を繰り返していたのでしょうか。推測も交えつつ、北伐にこだわった理由に迫ってみるとしましょう!
以前のコラムにも書きましたが、『三国志演義』は読者の意識を蜀に向けるため、対立勢力である魏と呉を悪役に仕立てています。今でこそ孫呉好きを自称する筆者ですが、昔は孫呉、中でも呂蒙が大嫌いでした。理由はもちろん『演義』から派生した創作物の影響。民間伝承などでも卑劣な悪役として描かれがちな呂蒙の人物像についてまとめました。
反乱討伐・異民族対策でキャリアを積み、ついに政権をにぎった董卓。武将としてすぐれた力量を示した彼ですが、勝手が分からぬ朝廷の政治では、かなりの苦心をしています。董卓は自分の政権を強化するため、名士(社会的名声のある知識人)の支持を取りつけようとしました。はたして彼の人事政策は上手くいったのか?じっくり見ていきましょう。
三国志の序盤で「魔王」として君臨する董卓。反乱討伐・異民族対策のエキスパートとしてキャリアを積むなかで、多くのライバルたちとしのぎをけずりつつ、武将としての力をつけていきました。さらには自分の軍事力を守るため、彼は皇帝の命令すら拒否してしまいます。徐々に野望をあらわにする董卓……その生き様から、目がはなせません!
三国志を彩る個性豊かな知将7選をご紹介!
三国志の序盤で「魔王」として君臨する董卓。若き日の彼は、異民族討伐のエキスパートとしてキャリアを積み、着実に出世の階段を上っていきます。その戦い方からは、決断力、知力、危機を乗り切る度胸など、名将の資質のすべてを備えているのが読み取れます。董卓はどのように戦い、天下へと駆け上がったのか……じっくり見ていきましょう。
三国志の序盤で「魔王」として君臨する董卓(とうたく)。彼は政権をにぎるや、幼い皇帝を殺し、首都に火をつけて燃やすなど、残虐非道な行いをくり返しました。とはいえ、乱世を実力でのし上がった男。天下を取るにはそれなりの理由がありました。董卓とはどんな人物だったのか?その知られざる素顔に迫ります。
歴史とはどのように解釈すべきなのか。史実か文学か。この問題は三国志にも当てはまるもので、史学的な見地と文学の三国志はやはりどこか似て非なるものとなっているのです。
トホホな大将軍・何進、無念の死の背景―――何進を再考する(3)
三国志の冒頭でキーパーソンとなる武将、何進(かしん)。黄巾の乱を鎮圧し、大将軍として朝廷に君臨します。しかしその後、皇帝に近侍する宦官(かんがん)に討たれ、あっけなく生涯を終えました。大将軍ともあろう者が、どうして宦官などに首を討たれたのか? 黄巾の乱の鎮圧後、彼の人生が辿った軌跡を振り返ります。
知っていれば自慢できる?三国志由来の故事・ことわざ①の続編です。小学校で習ったあの有名な四字熟語やスポーツ実況でも出てくることわざにも三国志由来のものがありました。
今回紹介するスマートフォンゲームアプリは「我が天下」。三国志をテーマにした中国統一を目指すストラテジーゲームをご存知ですか?ダウンロード数は全世界で100万DLを突破している人気のゲームアプリです。
普段使っている言葉、聞いたりしている故事やことわざに三国志由来のものがあることをご存知でしたか?三国志由来の故事やことわざとその由来についてご紹介します。