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初心者必見!正史三国志と三国志演義の違いとは?

漫画やゲームなど、様々な作品のモチーフとして使われることも多い三国志。しかし、そうした作品に触れてきたひとのなかにも、実際の三国志がどういうものかは良く知らないという方は意外と多いのではないでしょうか。そんなわけで今回は、三国志という物語そのものについてご紹介します。


三国それぞれ。君主の残念な息子たち!

2代目は残念な奴が多い。それは日本に限らず遠い昔の中国でも同じことが言えました。そんな君主の残念な息子たち(息子も君主となるわけですが)についてみていきましょう。


「泣く子もだまる」最強の武将 張遼(12) 真の主人、逝く

10万の孫権軍を返り討ちにし、天下にその武名をとどろかせた張遼。その後の彼はどうなったのか、「合肥後」の彼を見ていきましょう。


「泣く子もだまる」最強の武将 張遼(11) なぜ李典が出撃し、楽進が城を守ったのか?

10万の孫権軍を返り討ちにし、合肥の防衛に見事成功した、張遼・楽進・李典。しかしちょっと気になることがあります。それは、曹操が彼らに命じた役割分担のことです。


「泣く子もだまる」最強の武将 張遼(10) 張遼の宿敵・彼はどんな男だったか?

張遼は合肥(がっぴ)の戦いで、攻め寄せてきた孫権軍を見事返り討ちにしました。手痛い敗戦を喰らった孫権。張遼の宿敵だった彼は、どんな人物だったのか…ちょっと寄り道して見ていきましょう。


「泣く子もだまる」最強の武将 張遼(9) 敗軍にも勇将あり

合肥(がっぴ)の攻防戦において、わずか800の兵で10万の孫権軍を圧倒した張遼。さらには引き上げる孫権軍を猛烈に追撃し、多大な被害を与えたのです。


「泣く子もだまる」最強の武将 張遼(8) 逃げる孫権軍を追撃!

孫権率いる10万の軍勢に対し、わずか800人の精鋭部隊を率いて突撃した張遼。この壮挙によって、一躍三国志の英雄となった彼は、さらに驚くべき英雄的行動を見せます。張遼の獅子奮迅の戦いを、引き続き見ていきましょう。


三国志の最後の主役?姜維が求めていたもの

三国志のお話は蜀が魏に滅ぼされたところで終わります。その際、最後に戦っていたのが姜維です。諸葛亮の跡を継いで北伐を敢行したものの、思うような結果が得られず、更には国力の衰退を招いた…とも言われている彼ですが、一体何を求めていたのでしょうか?


まじか!三国志珍プレー8選

三国志には現代では考えられない珍プレーが存在します。戦国の世で「くすっ」としてしまうエピソードもあるので是非読んでみてください。戦国時代の人間は冷血が多いようなイメージもありますが同じ人間なんだなと思うことがあるかもしれません。


超ハイライト!三国志って何ぞや

三国志って言っても登場人物が多いしどこから手を付けていいのか分からない。もしくは流れが全然わからないからとりあえず全体像を知りたい。そんな人は多いでしょう。ここでは流れに重視した超ハイライトをまとめたので特に三国志を知らない人は読んでみてください!


実際どんな奴?劉備の徹底検証8

三国志というと劉備(玄徳)=いい奴、曹操=悪い奴というレッテルが張られがちですが、実際のところはどうでしょう。なぜそのように言われているのか、もしくはその考え方は正しいのか。劉備(玄徳)について検証してみましょう。


武将たちのゲーム!三国志遊戯大全~その2~

娯楽やギャンブルとして今でも遊ばれている遊戯の中には、元は戦略シュミレーションの模型だったり、軍隊の訓練の一環として取り組んだものもありました。


武将たちのゲーム!三国志遊戯大全~その1~

三国志の時代もボードゲーム、ダイスゲーム、カードゲーム、球技などのお遊戯が盛んに行われていたようです。実際三国志演義では、関羽や曹操が碁を打っているシーンが出てきます。


「神医」と呼ばれた男 華佗のレジェンド

三国志の時代、曹操の典医(侍医)となり、民衆たちから「神医」と呼ばれ、尊敬のまなざしを集めた伝説的な医師がいました。創薬、鍼灸、外科手術などの高度な医術を駆使した華佗。彼こそ東洋医学史上No.1のレジェンド。


三国志が日本の歴史に与えた影響は?

世界中で愛されている三国志。日本でもとても高い人気で知られていますが、人気だけではなく、三国志は日本の「歴史」にも様々な影響を与えているのをご存知でしょうか?


「泣く子もだまる」最強の武将 張遼(7) 張遼、伝説となる

対呉戦線の重要拠点・合肥(がっぴ)の守備を任された、張遼・楽進・李典。曹操は日ごろから仲の悪い3人をあえて組ませて、孫権との戦いに当たらせました。不仲な武将たちが、孫権の大軍をどう迎え撃つのか……じっくり見ていきましょう。


「泣く子もだまる」最強の武将 張遼(6) 冷静な知将・李典

呉の孫権の攻撃に備え、重要拠点である合肥(がっぴ)の守備を命じられた張遼。しかしともに任務に当たる同僚たちとは、人間関係がうまくいきません。はたして彼らは無事に孫権の攻撃に対処し、任務を果たせるのでしょうか?


「泣く子もだまる」最強の武将 張遼(5) 大物食いの武将・楽進

三国志の大きな見せ場でもある、曹操軍と孫権軍の攻防戦。曹操軍の将として、要地・合肥(がっぴ)の守備を任せられた男こそ、勇将として名高い張遼でした。張遼はいかにして孫権軍と戦ったのか、じっくり見ていきましょう。


「泣く子もだまる」最強の武将 張遼(4) 名将の条件とは

曹操は官渡の戦いで袁紹を破った後、華北を順調に平定し、いよいよ南方へと軍を向けました。ところが赤壁の戦いで、孫権・劉備(玄徳)の連合軍に思わぬ敗北を喫したのです。この敗戦を受け、曹操に反旗をひるがえす武将も現れました。曹操軍の有力武将となった張遼にとっても、ここからが腕の見せ所となるのです。


「泣く子もだまる」最強の武将 張遼(3) 危機管理も完璧だった男

若き日の張遼は、丁原、董卓、呂布といった猛将たちに仕えました。しかしこれらの主人たちは皆、志半ばにして討たれてしまい、張遼はそのつど新たな主人に仕えなくてはならなかったのです。呂布が滅んだ後、張遼は曹操に仕えます。後に魏王朝の始祖となるこの男こそ、張遼にとって運命の主人だったのです。


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故事 三顧の礼 泣いて馬謖を斬る 苦肉の策(苦肉計) 破竹の勢い