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三国志の中では、【男が惚れる男】というのが定着化しています。しかし、そのような男性は女性でも惚れる要素が間違いないといった人物でもあります。義理堅く、主君や国の為に殉じた武将や家族を守るために戦った武将、己の野望を満たすだけに剣をふるった豪傑など、武将ごとに人を惹きつけるドラマがあります。
三国志には悲運の名将といわれる武将がいます。才能に溢れていても短命であったり、主君に恵まれなかったりと、華々しい活躍ができなかったこともあります。そんな悲運の名将についてご紹介していきます。
三国志と言ったら千人単位で部下を束ねる将軍がたくさん出てきます。その中でも強い武将、賢い軍師が名を轟かせ、注目を浴びてきました。しかし現代社会で彼らが「いい上司か?」と言ったら話は別です。ここでは個人的に上司にしたい武将について紹介したいと思います。
「泣く子もだまる」最強の武将 張遼(15) 張遼の偉業は、どう受け継がれたか?
武将として比類なき強さを示し、後世に伝説として語り継がれる張遼。彼が命を賭けた合肥は、その後大きな改革を経て、さらに強力な防衛拠点として生まれ変わったのです。
これまで編案されてきた、24種類の歴史書の中でも名著と言われる正史三国志の生みの親陳寿は、山あり谷ありの人生を歩みました。前編では正史三国志を記す前に諸葛亮の伝記を書いたことで、司馬炎のお気に入りになったところまでを書きました。しかし、彼の波乱万丈人生はまだ後編でも続きます。
「泣く子もだまる」最強の武将 張遼(14) 「泣く子がだまった」理由
戦いに明け暮れた人生に、ついに幕を引いた張遼。彼が命をかけた対呉戦線のその後について、ご紹介します。
「泣く子もだまる」最強の武将 張遼(13) 武の巨星、ついに堕つ
無敵ともいえる強さで戦場を駆け抜けた張遼。そんな男にも、ついに最後の日がやってきました。今回は「張遼伝説」の終焉を、お届けしたいと思います。
中国四大奇書のひとつ「三国志演義」は長い間人々に愛されている大傑作です。その大本になった書物が魏志、蜀志、呉志から成る正史三国志です。この書物を記した人物こそ晋の史家である陳寿です。
赤壁大戦では自軍の約25倍の曹操軍を退け、呉の軍事に外交に内政にと尽力し、夢なかばに散った稀代の智将:周瑜公瑾。「美周郎」の異名を持つ周瑜の出自と人生を大きく左右する出会いに迫ります。
三国志を知る上で押さえておきたいのは武将と大戦ではないでしょうか。そしてこの二つは切っても切り離せない間柄です。今回はそんな大戦に焦点を当て、三国志をより楽しんでもらおうと思います。ジャイアントキリングが多い三国志はやっぱり面白いです!
中国四大美人の一人 三国志 貂蝉(ちょうせん)はどうなった?
三国志の最高の美女貂蝉は王允の策略により董卓と呂布の仲違いをさせることに成功させます。これにより反董卓連合すら叶わなかった董卓討伐を可能にした訳ですが、その後の様子は未知とされています。ここではそんな貂蝉(ちょうせん)の最後についての仮説を展開していきたいと思います。
【三国志】英雄あだ名列伝シリーズもいよいよ大詰め。今回は魏・蜀・呉のいずれにも属さない人物の中で、あだ名を持つ者をピックアップしました。
三国志演義だけでなく、正史にもあだ名や異名を残している武将がいます。正史の三国志は、「史記」、「漢書」に続く正式な歴史書です。ほぼリアルタイムに書かれているので信憑性があります。
三国志演義の中で曹操は、自分の配下の武将にときどきあだ名を考えてつけたり、 武将の容貌を古の偉人の名前をあだ名にしていました。
【三国志】英雄あだ名列伝~蜀編~の2作目です。この時代のあだ名はその人物の価値を高める効果もあったので、異名を持つということはそれだけで他の者より秀でていることを意味していました。
三国志の登場人物にはあだ名、異名、通り名をつけられている人物がしばしば現れます。魏・呉・蜀の中でも蜀の武将はあだ名を持っている人物が比較的多いので、2部構成でお届けします。
呉には、正史にあだ名を残している武将と三国志演義で創作されたあだ名をつけられている武将がいます。それらについて調べてみました。
三国志は、結局、魏に取って代わった晋が天下を統一して終わります。曹一族の力がなくなった際に司馬一族が台頭し権力者を味方につけたのです。その後、司馬炎が、呉を滅ぼしたわけですが、今回はこの司馬一族について着目してみましょう。
三国志の武将について知りたいんだけど、実際のところ誰が強くて誰が賢いの?そう思ったことはありませんか?ここではあくまで独断と偏見で三国志に出てくる武将の通信簿を付けたいと思います。もちろん独断と偏見と言っても「呂布の力が1」とかそういった贔屓目はしていないので参考程度にしてもらえたらと思います。
若いころには名君として魏・蜀に対して季然と立ち向かい、見事呉を守り抜いた孫権。しかしその栄光もいつかは衰えるものなのか、晩年の孫権には「国を滅ぼした」とも言われる最大の汚点があったようです……