戦国時代においては家柄も立派な武器!?血統の良い武将ランキング

戦国時代においては家柄も立派な武器!?血統の良い武将ランキング

劉備(玄徳)が自分の正当性を主張する時に漢王室の血を引いているということを挙げていたのは演義でも正史でも出てきます。ですが、漢帝国には百人以上子供がいる皇帝もいます。では、血統にはなんの意味もないのでしょうか?そんなことありません。実際に血統が素晴らしい(本当なのかどうかはともかく)武将を見てみましょう。


第十位:鍾繇・鍾会

第十位は魏の相国である鍾繇と息子の将軍である鍾会です。彼の先祖は楚漢戦争での名将鍾離昧です。鍾離昧は項羽の臣で楚の将軍として漢の高祖を大いに苦しめました。漢が天下を統一すると彼を憎む高祖が賞金をかけて探しました。鍾離昧は高祖の三傑である韓信に保護を求め「漢に対して反乱を起こしましょう」ともちかけましたが、高祖を裏切れない韓信によって首を献上されてしまいます。最後に「次に殺されるのはあなたの番だ」という言葉を残して。
子孫である鍾繇は魏の重臣として一生を終えます。ところが、息子の鍾会は蜀漢を滅ぼすという大功をあげますが、姜維にそそのかされ魏に対して反乱を起こし、最後は殺されてしまいます。反乱が達成できずに殺されてしまうのは先祖と共通ですね。

第九位:司馬懿(司馬一族)

第九位は魏の将軍/軍師である司馬懿を初めとする司馬一族です。彼らの先祖は楚漢戦争の時、殷王となった司馬卬です。司馬卬は初め、楚の項羽に仕えていましたが、漢の高祖が攻めてくると降伏し、漢に使えるようになりました。そして、そのまま漢の将軍として楚と戦うのですが、漢が大敗した時に戦死してしまいます。子孫である司馬懿は我慢に我慢を重ねて動かないという戦略をとることで、諸葛亮率いる蜀漢を打ち倒し、政敵である曹爽との権力争いに勝ち、最終的に三国志の勝者となりました。先祖である司馬卬とは対照的であったと言えるでしょう。

第八位:夏侯惇・夏侯淵(夏侯一族)

第八位は魏の功臣である夏侯惇・夏侯淵を初めとする夏侯一族です。この時代の中国において二字姓は珍しく、それだけに知っている人ならすぐに漢の高祖の御者であった夏侯嬰に結びつくのではないでしょうか?夏侯嬰は項羽に追われた高祖を一人で守って馬車を走らせ、高祖が投げ捨てた子供を救ったと言われています。夏侯惇も片目を失いながらも曹操のために戦い続け、夏侯淵は征西将軍として、馬超や張魯を倒し、その後は漢中を守って、最後は黄忠に打たれました。先祖に見劣りしない、主君への忠義だと言えます。

第七位:曹操・曹丕・曹植(曹一族)

第七位は魏王曹操・皇帝曹丕を初めとする曹一族です。名字から分かるかも知れませんが、漢の高祖の名臣であり、二代目丞相である曹参の子孫です。家柄的には。実は曹操も夏侯惇らと同じく血筋的には高祖の御者である夏侯嬰の血を引いています。曹操に対しての侮蔑語に「宦官の孫」というのがありますが、曹操の祖父が宦官であったため、夏侯氏一族から養子に貰ったのが曹操の父親です。曹操は家柄的には曹参、血筋的には夏侯嬰と漢帝国においては非常にエリートな家柄なのです。

第六位:馬騰・馬超(馬一族)

第六位は西涼の猛将馬騰・馬超親子を初めとする馬一族です。彼らの先祖は春秋時代、趙の名将趙奢です。趙が当時の強国秦の進行を防いだのは優れた兵法家で将軍であった趙奢の力が非常に大きかったと言われています。三国志中で猛将の多い馬一族の先祖として相応しい人物と言えるでしょう。また、趙奢は非常に優れた将軍でしたが、その息子は兵法を丸暗記して型通りに指揮した結果、秦に敗退し、大量の兵を失ってしまいます。強大な敵相手に息子が敗れ、大量の兵を失うところも先祖譲りでしょうか!?

第五位:管寧

第五位は魏の学者である管寧です。彼の先祖は春秋時代、斉の国の宰相であった管仲です。春秋五覇の筆頭である斉の桓公の覇業を支えた名宰相です。管寧は三国志の物語の中では殆ど目立ちません。ですが、正史には彼に関するエピソードがたくさんあり、魏の大臣や名士に非常に厚い信頼をもたれていたそうです。管仲も主君の桓公が暴走しそうになったり、悪臣を重用しそうになると諌めたといいますが、子孫である管寧も品行方正な人間であったようです。

第四位:張翼

第四位は蜀の車騎将軍である張翼です。彼の先祖は漢の高祖の三傑である張良です。張良は偉大な軍師で曹操の元に荀彧が出仕した時に「我が子房(張良の字)が来た」と言ったというのは有名な話です。有名な先祖に比べて張翼はそれほど目立った活躍はありません。姜維と共に蜀が滅亡するのを見届け、三国志の最後を飾った武将です。張良は見事な身の引き方で、高祖が天下統一した後に行った、粛清の嵐を乗り切りました。その子孫である張翼は対照的な最後を遂げたと言えるでしょう。

第三位:荀彧・荀攸

第三位は曹操の軍師である荀彧・荀攸です。彼らの先祖は性悪説で有名な荀子です。戦国時代の思想家として「礼」を大切にし、実力主義を主張していたと言われています。その子孫である荀彧・荀攸も曹操というその時代最大の実力者を見つけサポートします。曹操には有能なブレーンがたくさんいますが、最大の貢献をしたのは間違いなく荀彧です。彼の献帝を迎えるという戦略があったからこそ曹操は天下の三分の二を手中に収めたのです。最後は漢王朝に対しての政策の違いで自殺にまで追い込まれてしまいます(荀攸も自殺するのは演義だけの創作)が、その姿を見たら荀子はどう考えたでしょうか?

第二位:孫堅・孫策・孫権(孫一族)

第二位は呉の国王一族である孫堅・孫策・孫権ら孫一族です。彼らの先祖はなんと兵法家で有名な孫武(兵法書「孫子」を起こした人物)と言われています。もっとも、これはかなり信憑性は低いようで、孫堅による自称が大きいと思われます。ただ、孫堅・孫策は共に三国志を代表する戦上手、孫権も強大な魏から何度も呉を守りました。彼らの戦いっぷりは孫武の子孫を名乗るのにふさわしいものと言えます。

第一位:孔融

第一位は曹操に仕えた孔融です。先祖はなんと儒教の開祖である孔子で20代目の子孫と言われています。孔子の家系ははっきりしていて、孔融が孔子の子孫というのも信頼度が高いです。孔子の家系図は、現在ではなんと世界一長い家系図としてギネスブックに載っています。そして、儒教の開祖ということは、宗教学的にはブッダやキリストが先祖にいるというのと同じことです。三国志の登場人物の中でもっとも家柄がすごいのは孔融だということに異論はないでしょう。

まとめ

見てみると魏の国の人物が多いですね。名門出身の人物は正統な王朝である後漢・魏という中枢に集まったということでしょう。蜀漢の人物はほとんどいません。やはり大将である劉備(玄徳)からして漢王室の血を引いていると自称しているものの胡散臭く、靴売りの出身ですからね。家柄の良い人物は集まらなかったのでしょう。

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