三国志・どこまでが架空なのか? 6人の「幻のような女性たち」

三国志・どこまでが架空なのか? 6人の「幻のような女性たち」

三国志には個性豊かなキャラが多数登場します。今回はその中から「幻のような女性たち」を6人ご紹介いたします。


呂布の娘「呂玲綺」

まずは何といっても天下無双の豪傑・呂布の子孫からです。
呂布に娘がいたのは史実にも記載されており、政略結婚のために袁術の息子に嫁ぐ予定でした。しかし、陳珪の進言があり、寸前のところで呂布は思いとどまります。「三国志演義」では呂布自らが娘を守って寿春に送ろうとした姿も描かれています。
妨害もあって、袁術と呂布が親戚関係になることはなかったようです。
その娘が呂布の死後、どうなったのかは不明になっています。

後世ではその呂布の娘に「呂玲綺」という名前をつけています。ゲームに登場する仮想の設定ですね。呂布の娘だけあって戦闘力は高く、美しさと強さを兼ね備えている人気キャラになっています。

関羽の娘「関銀屏」

呂布に匹敵する武勇を誇り、死後に神として祀られている三国志の英雄・関羽にも娘がいました。
こちらはなんとあの孫権に、息子との縁談話を持ち掛けられています。しかし関羽はこれをきっぱりと断りました。
「犬の子に虎の娘をやれるか」という関羽のセリフは有名です。
もしも、関羽の娘が孫権の息子に嫁いでいたら、関羽は襄陽攻めの際に背後を孫権の勢力に突かれることはなかったでしょう。劉備(玄徳)と孫権が手を結んで曹操を滅ぼしたかもしれません。

こちらは民間伝承で、「関銀屏」という名前が伝わっています。父の関羽と兄の関平が捕らえられて処刑されて以降も生き残っており、趙雲に武芸を教わり父の仇を討つために腕を磨いたそうです。
関羽の娘で、師匠が趙雲となるとかなり戦闘力は高かったことが予想されますね。また容姿も素晴らしく、求婚が相次いだとも伝えられています。

馬超の妹「馬雲騄」

蜀の五虎大将として、関羽と並び立った馬超にも妹がいたそうです。
ただしこちらは完全にフィクションの話になっています。反三国志というIf三国志の話で、なんと蜀が天下を統一するという設定です。かなり大胆な展開なので驚きですね。

ここに登場するのが、馬騰の娘で、馬超の妹である「馬雲騄」です。美貌もさることながら、その武勇も一級品ということになっています。
しかもこの馬雲騄は、五虎大将のひとりである趙雲に嫁ぐのです。つまり馬超と趙雲は義理の兄弟ということになります。そして趙雲と共に戦場で活躍し、魏を打ち破るのです。
馬超と趙雲が兄弟としてどんな会話をするのか興味がありますね。

董卓の孫娘「董白」

あの傍若無人の暴君・董卓にも娘がいました。牛輔が娘婿となっています。董卓の軍師的存在であったとされる李儒も董卓の娘婿という設定がありますね。
そのどちらかの娘なのか、董卓の孫娘について記録が残されています。幼いながら渭陽君に封じられたそうです。
董卓は王允や呂布の起こしたクーデターによって殺されることになり、董卓の親族はことごとく処刑されました。おそらくその中に董卓の孫娘も含まれていたと考えられています。

董卓の孫娘の名前は「董白」です。もし董卓が殺されることなく皇位を簒奪することに成功していたら、いずれは夫を迎えて皇后となっていたかもしれません。
董卓は孫堅のことを認めていましたから、その子である孫策や孫権に嫁がせた可能性もあります。
または、献帝の正室となり、董卓は外戚としてさらに権力を握り、君臨していたことも考えられますね。
容姿についての記載はありませんが、董卓はさておき、母親は美人でしょうから美しい女性だったのではないでしょうか。

孫策の娘「?」

小覇王の異名を持ち、ずば抜けた強さで版図を拡大していった孫策にも娘がいました。
孫策の死後、跡を継いだ孫権は、216年~217年あたりに、反乱の鎮圧などで実力を示した陸遜にその娘を嫁がせています。
199年に孫策は大喬と出会い、200年には反乱分子の襲撃によって命を落とすことになりますが、この大喬との間に生まれた娘が陸遜の妻である可能性は充分にあります。

しかし、この孫策の娘の名前はまったく伝わっていません。容姿が立派だった偉丈夫の孫策と美貌を天下に誇る大喬の娘であれば、間違いなく絶世の美女です。だと思われるのですが、そういった記述も残されていません。
もしそうだとすると、容姿端麗な陸遜とはお似合いのカップルですね。
そしてその間に生まれた子が名将・陸抗ということになります。能力においても、容姿においても陸抗は三国志きってのサラブレットなのです。
仮想であったとしても、ぜひこの孫策の娘に名前をつけてあげてほしいですね。
ちなみに孫策にはもうひとり娘がおり、こちらは孫権の意向で顧雍の息子に嫁いでいます。

関索の妻「鮑三娘」

そもそも関索の存在自体が三国志のミステリーのひとつです。
関羽の三男と伝わっていますが、詳細は不明です。明の時代に「花関索伝」という講談本が発見されてから実在したのではないかと注目が集まるようになっています。初版の三国志演義には登場していません。後から付け加えられたのです。ですから突如登場し、突如姿を消します。

花関索伝によると、関羽が桃園の誓いで劉備(玄徳)や張飛と義兄弟の契りを結んだ際に、未練のないようそれぞれの家族を殺すことになったそうです。ただし、関羽の妻だけは妊娠していたために張飛が逃がしました。その後に生まれたのが関索だと記されています。

この関索の妻となるのが、山賊の当主の娘である「鮑三娘」です。一説には関索が山賊から救って妻にしたとも伝わっています。美貌と武勇に優れた娘で、関索と共に諸葛孔明の出陣に駆けつけます。関索は南征に向い戦死したことになっていますが、鮑三娘は葭萌関を死ぬまで守り抜いたそうです。

まとめ・美しく強い女性像が目立つ

ということで、今回は三国志に登場する「幻の6人の女性」を紹介しました。どこまでがノンフィクションで、どこからがフィクションなのかは正確にはわかりませんが、魅力的な女性ばかりです。

実在したとしても、さすがにアニメやゲームのように、戦場で大暴れというのは難しいでしょうが、「美しく強い」女性にはロマンを感じてしまいますね。
今回ご紹介した女性たちは悲劇的な最期を遂げた武将との関係性が強く、それがより一層彼女たちを際立たせているのではないでしょうか。

関連する投稿


裏切りがあるから面白い。三国志で覚えてほしい裏切りについて

裏切りがあるから面白い。三国志で覚えてほしい裏切りについて

関ヶ原の戦いでは豊臣軍の一部が裏切ったことにより徳川軍の勝利を決定づけたといっても過言ではありませんでした。裏切りというと卑怯というイメージが付き物かもしれませんが、三国志の時代にも数多くの裏切りが存在しました。ここではそんな三国志を多く揺るがすような裏切りについて紹介していきたいと思います。


三国志には感動エピソードがいっぱい!泣ける話5選を紹介!

三国志には感動エピソードがいっぱい!泣ける話5選を紹介!

三国志には、様々なエピソードがあります。勇猛果敢なエピソードや笑えるエピソードなど多岐にわたるのです。もちろん、泣けるような感動的なエピソードもあります。そこで今回は、三国志の感動的なエピソードについて紹介していきます。


最期まで忠義に厚かった猛将【ホウ徳】

最期まで忠義に厚かった猛将【ホウ徳】

馬騰・馬超親子や曹操の配下として活躍し、関羽と激闘を繰り広げたホウ徳。最期まで忠誠を貫き、曹操に涙を流させたほどの名将です。ここではホウ徳の武勇と戦いの軌跡を紹介していきます。


三国志・曹操や孫策には評価されたが、孫権に疎まれた謀臣・虞翻

三国志・曹操や孫策には評価されたが、孫権に疎まれた謀臣・虞翻

あまり知られていない謀臣に呉の「虞翻」がいます。彼の才は孫策や曹操に認めらながらも孫権には評価されず、不遇を強いられています。三国志演義にはほとんど登場しない虞翻の活躍ぶりを見ていきましょう。


なかなか聞けない三国志の常識を一挙公開

なかなか聞けない三国志の常識を一挙公開

「三国志」ってよく聞くけどいったいどういう物なのかイマイチ分からない。もしくは「曹操(孟徳)が劉備(玄徳)を倒して天下統一を果たしたんだよね?」という人は少なからずいるとおもいます。他国の歴史なので知らなくてもそこまで恥ずかしいものではないかもしれませんが、ここでは「三国志においてまず知っておくべきこと」についてまとめてみました。三国志入門なのでここから三国志の世界を知ってもらえたら幸いです。


最新の投稿


三国志・魏呉蜀が日本の戦国時代から一人だけスカウトするとしたら誰を選ぶ?

三国志・魏呉蜀が日本の戦国時代から一人だけスカウトするとしたら誰を選ぶ?

三国志の時代に、日本の戦国時代から一人だけスカウトしてくるとしたら、魏呉蜀はそれぞれ誰を選ぶでしょうか?節目に当たる219年を舞台にして考えていきます。


呉の名将と言えば周瑜!活躍と意外な人物像に迫ってみた

呉の名将と言えば周瑜!活躍と意外な人物像に迫ってみた

三国志を好きになって日が浅い人でも、呉の名将と言えば周瑜を思い浮かべると思います。三国志を題材にした映画や漫画、ゲームでも、周瑜は重要な人物として捉えられているでしょう。今回は、そんな周瑜の活躍や意外な人物像に迫っていきたいと思います。


裏切りがあるから面白い。三国志で覚えてほしい裏切りについて

裏切りがあるから面白い。三国志で覚えてほしい裏切りについて

関ヶ原の戦いでは豊臣軍の一部が裏切ったことにより徳川軍の勝利を決定づけたといっても過言ではありませんでした。裏切りというと卑怯というイメージが付き物かもしれませんが、三国志の時代にも数多くの裏切りが存在しました。ここではそんな三国志を多く揺るがすような裏切りについて紹介していきたいと思います。


占いによって反乱から身を守った曹操(孟徳)

占いによって反乱から身を守った曹操(孟徳)

216年、曹操(孟徳)が魏王となり魏王宮を建設。まさに絶頂期を迎えます。位人臣を極めた曹操(孟徳)の前に左慈(元放)という人物が現れ、幻術によって曹操(孟徳)を散々に苦しめますが、寝込んでしまった曹操(孟徳)を回復させたのは、なんと占いでした。体調が優れず寝込んでいた曹操(孟徳)に天文官の許芝が管輅(公明)を紹介します。幼少のころから天文に精通し非常によく的中する占いで有名だというのです。


今でも使う!?三国志が元となった故事成語

今でも使う!?三国志が元となった故事成語

昔の中国でおこった出来事を元にしたことわざである「故事成語」。今でも多く使われています。これらの中には三国志中の出来事が元になったものもたくさんあります。それらを紹介していきます。