三国志・曹操の評価はなぜ好きと嫌いに大きく分かれるのか?

三国志・曹操の評価はなぜ好きと嫌いに大きく分かれるのか?

三国志では悪役のイメージの強い曹操ですが、評価は大きく分かれます。曹操はヒーローなのでしょうか?それともヒール役なのか?


三国志の主人公は誰?

三国志の主人公は誰?

三国志の主人公は誰?

「三国志の主人公は誰?」という質問に、皆さんは何と答えるでしょうか?
一時期は圧倒的に「劉備(玄徳)」と答える人が多かったですね。これは横山先生の漫画「三国志」や吉川先生の小説「三国志」の影響によるものでしょう。そのルーツは明の時代に書かれたという「三国志演義」になります。

なぜ三国志演義では劉備(玄徳)を主人公として描かれているのでしょうか?
それはモンゴル人による支配から脱却した漢民族王朝の明の思想の柱が「儒学」であり、身分秩序や忠義の重要性を説く「朱子学」だったからです。日本では徳川家による支配・江戸幕府の公認の学問として朱子学は有名です。

皇族の血を受け継ぐ劉備(玄徳)が滅びゆく後漢王朝を再興させる志とそのための努力は、まさに朱子学の思想そのものなのです。そしてそこには忠義に篤い武将たち、関羽や張飛、趙雲、さらに劉備(玄徳)の志を引き継ぐ諸葛亮が登場し活躍していきます。

劉備(玄徳)の宿敵は誰?

劉備(玄徳)の宿敵は誰?

劉備(玄徳)の宿敵は誰?

ヒーローが劉備(玄徳)だとするとヒール役は誰なのでしょうか?
それは後漢王朝を脅かす存在です。成立していた秩序を乱す野心家たちになります。

ヒール役は時代の激動ともに変化していくために多くの顔ぶれが見られます。時には黄巾の乱を起こした太平道の教祖・張角であり、暴虐の王・董卓であり、最強の猛将・呂布であり、天才・曹操であり、劉備(玄徳)の義弟・関羽をだまし討ちにした孫権でした。

中でも、圧倒的な権力を握って劉備(玄徳)の前に立ちふさがり、後漢王朝を支配していくのが「曹操」になります。つまり曹操はラスボス的な悪の親玉という設定です。劉備(玄徳)が主役となっている漫画や小説を読んで三国志を知った場合は、曹操に良いイメージを持つことはないでしょう。

曹操は嫌われ役

曹操は嫌われ役

曹操は嫌われ役

世の中を「白と黒」にはっきりと分けるのであれば、後漢王朝を再興しようとする劉備(玄徳)は「白」、表向きは献帝を擁護しながらも後漢王朝を牛耳る曹操は「黒」ということになります。だから曹操は嫌われ役なのです。

しかし後漢王朝はなぜ衰退したのでしょうか?
それは外戚や宦官が政治に関わり、賄賂や不平が横行し、民衆が苦しみ、国力が疲弊していったためです。皇帝にその危機を乗り越える政治的手腕とカリスマ性がなかったことを示しています。

果たして劉備(玄徳)の後漢王朝を再興する志は、この時代の「民意」を反映しているのでしょうか?
後漢王朝の存続にそこまでこだわっていた人たちはむしろ少なかったのではないでしょうか。力があり、能力があり、民衆に平穏な暮らしをもたらしてくれる人物であれば、主は誰でもよかったのかもしれません。

王朝や幕府を設立した側としては、現状の秩序維持は重要です。そのネタとして劉備(玄徳)らのエピソードが用いられ、さらに三国志演義では極端な脚色が施されるようになったのだと思われます。

公平な観点からの三国志の主役

公平な観点からの三国志の主役

公平な観点からの三国志の主役

三国志演義のウエイトを下げて考察してみると、三国志の前半の主人公はやはり曹操です。
外戚と宦官による政争劇の最中にも朝廷におり、董卓とも直接まみえています。反董卓連合に参加、青州に発生した膨大な数の黄巾の残党を撃破、袁術や呂布を倒し、さらに河北の最大勢力である袁紹も倒します。荊州を制圧し、赤壁の戦いでは敗れるものの、涼州を獲り、漢中も押さえました。そして魏公、魏王と昇格していきます。

三国志の重要事件の渦中にいるのが曹操なのです。時に知略を用い、時に暴挙とも呼べるほどの猛勇で果敢に戦い、敵を打ち破りました。敵対勢力の者であっても能力の高いものは命を奪わずに、家臣として起用しています。政治の体制を整え、中原に平和をもたらしたのです。ごく小さな勢力からここまで絶大な版図を築いたわけですから、まさに英雄譚です。

曹操亡き後、盛り下っていく三国志を支えたのが蜀の諸葛亮でした。能力的には曹操に匹敵する器ながら、主君であった劉備(玄徳)の意志を受け継いでボロボロになるまで戦いぬきます。「判官びいき」の日本人としては、弱小ながらも諦めずに大国に立ち向かう諸葛亮の姿には惹かれるものがありますね。

曹操が嫌われる理由

曹操が嫌われる理由

曹操が嫌われる理由

劉備(玄徳)をはるかに上回る激戦を繰り返し、最後まで戦いぬいた曹操が嫌われている理由は何でしょうか?

① 後漢王朝を傀儡政権として支配した(臣下の身分で主君にたてついたということです)
② 徐州の大虐殺(真相は不明ですが、曹操の父親が徐州で殺されたのが直接的な理由)
③ 宦官の家柄である(父親が宦官の養子だったということです)
④ 赤壁の戦いで大軍を率いながらも周瑜に敗れた(これは曹操にとって最大の汚点ですね)
⑤ 何でもできる天才肌だった(政治や学問、戦闘だけでなく漢詩などの芸能面にも優れています。嫉妬されても仕方ないでしょう)

この5点ではないかと思います。まあ、劉備(玄徳)好きな方は、問答無用で曹操は嫌いでしょう。ただし漫画「蒼天航路」のように曹操を主役として扱う作品も人気を博しており、近年では曹操ファンも増えてきています。

まとめ・曹操が好きな理由

まとめ・曹操が好きな理由

まとめ・曹操が好きな理由

曹操の魅力は、何といっても大勢力に果敢に立ち向かっていく姿でしょう。劉備(玄徳)にもそういったイメージが強くありますが、劉備(玄徳)の場合、敗戦を繰り返しほとんど逃げ回っていた感じです。曹操は滅亡覚悟でぶつかっていき、勝利をもぎ取るのです。そして四方を敵対勢力に囲まれても下手に同盟など結ばず、信念を貫き戦い続けます。

この乱世で曹操が生き残れたのは、曹操自身の武勇・知略・強運・勇気の賜物ですが、それ以外にも「人の力」があります。曹操が身分を問わず多くの能力の高い人材を重用したのです。この価値観が朱子学を否定するものなのです。日本でも江戸時代に田沼意次が同様の政治を行い、朱子学を重んじる多くの親藩・譜代大名の反発にあいました。能力主義の抜擢は身分制度の秩序を破壊することに繋がるのです。

重苦しい後漢王朝末期に、新風を巻き起こし、「自由」という概念を吹き込んだのが曹操という人物だったのではないでしょうか。曹操が嫌いな方も新しい視点で見てみると、また違った魅力を三国志に感じることができるはずですよ。





この記事の三国志ライター

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