世界史のテストに三国志が出てきたら?重要人物ベスト8

世界史のテストに三国志が出てきたら?重要人物ベスト8

もし、世界史のテストに三国志の時代が出てきたとしたら問題になる可能性が高い人物は誰?三国志演義で人気のキャラクターが歴史的に見て重要人物とは限りません。覚えておいたほうが良いのは一体誰なのでしょう。


第八位:司馬炎&曹奐

曹奐は魏王朝最後の皇帝、司馬炎は晋王朝最初の皇帝です。彼らが重要なのは曹丕と献帝が重要なのと全く同じです。ただ、曹奐と司馬炎が世界史のテストに出題されるとしたらおそらくジャンル的には三国時代ではなく、晋(西晋)の問題となるでしょう。なので、この順位にしました。もちろん、歴史学的に考えれば超重要な人物です。司馬炎がもう一つ重要なのは、彼が呉を滅ぼしたことによって、劉備(玄徳)が皇帝に即位して以来、国内に複数存在していた皇帝が再び一人になったということが挙げられます。

第七位:劉備(玄徳)&孫権

三国志演義では主役とも言うべき劉備(玄徳)、そしてライバル役の孫権ですが、歴史学的に考えれば、魏王朝時代に存在した地方豪族が皇帝まで名乗ってしまったというのに過ぎません。彼らの重要なポイントは最終的に魏王朝に従属せず、独立した王朝を保ったということです。優秀な官僚、将軍がいて、それぞれの国に山岳地域、長江という要害があったため、圧倒的な力を持つ魏王朝も結局滅ぼすことが出来ませんでした。そのため、皇帝が同時に三人もいるという特殊な時代を築くことになったのです。

第六位:陳羣

陳羣が歴史的に有名な理由はただ一つ「九品官人法」の制定にあります。これは人材登用の基準となる法で、時代がずっと下って、隋の時代に「科挙」の制度ができるまで、歴代王朝に採用されます。中国各王朝の制度そのものを変え、後の時代まで通用する制度を作り出した陳羣は正に歴史的重要人物と言えます。演義では曹丕が死亡する時、司馬懿、曹真と並んで後を託した相手という位にしか覚えがないかもしれません。正史ではかくも大きな役割を果たしているのです。
ちょっとだけ惜しいのは陳羣本人よりも、彼の作った「九品官人法」の方が有名になってしまっていることでしょうか。

第五位:華佗

華佗は演義に登場するのと同様、正史でも医者です。医者は当時にもたくさんいたでしょうが、華佗は世界で初めて麻酔を用いた切開手術を行ったと言われています。医学界などでは超重要人物ということが出来ます。また、健康体操なども作ったと言われています。演義では孫策・周泰・関羽などの診察をしますが、残念ながら史実には記載されていません。演義に記載されていて、歴史的にも重要なことは、名医であったことと、その技術や技術書が残されていないことです。華陀の技術の記載された書物が残っていたら医学の歴史が変わっていたかもしれません。

第四位:曹操

曹操は三国志演義中最大の英雄であり、悪役です。献帝や劉備(玄徳)をいじめ、逆らうものは皆殺しで、正に我が道を進んでいきます。ところが諸葛亮が登場してからは一転、やられ役に回ることが多くなります。
正史では、「黄巾党の乱」の後、董卓を初めとした有力者達によって権力争いが繰り広げられ、次々と権力が移り変わっていきます。そんな中、曹操は参謀荀彧の意見「献帝を保護し、官軍となって世の中に命令しましょう」を取り入れ、圧倒的な勢力を築くことに成功します。対抗勢力である呂布・袁術・袁紹らを滅ぼし、劉表の息子劉琮を降伏させ、西の軍閥を配下にし、反乱を起こした馬超・韓遂を倒し、宗教勢力を築いていた張魯を降伏させました。後漢の十三の州の内、司隷(洛陽)/予州(許昌)/冀州/青州/幽州/并州/徐州/兗州/涼州の九つを完全に支配下に起き、荊州の北半分も手中に収めていました。
まさに、時代は曹操とともに動いていました。最重要人物と言って間違いではないのですが、歴史的に見れば魏王朝初代皇帝の父親になってしまいます。

第三位:献帝

献帝は漢王朝(後漢)最後の皇帝です。権力者たちに色々利用された後、最後は曹丕に皇帝の位を奪われ(禅譲して)、都を追放されます。日本では、室町幕府最後の将軍足利義昭が、織田信長に利用されて、最後に追放されたことがよく似ていると思います。魏の国が勢力を伸ばした大きな理由の一つは献帝を担ぎ上げたことです。それによって献帝を守る官軍という立場を得て、反対する勢力を次々と滅ぼしていきました。コレはどこの国の歴史でも非常によく見られる戦略です。結果的に献帝本人が望む、望まないに関わらず、重要人物となり、歴史を大きく動かすことになりました。

第二位:張角

張角は三国志の物語がスタートするのに不可欠な人物です。漢(後漢)は既に外戚や宦官などがやりたい放題をして、腐敗しきっていましたが、それにとどめを刺したのが張角です。後漢における最大・最後の反乱「黄巾党の乱」の大将です。王朝の末期には大きな乱が起こるのが多いのはいつの時代も、どこの国も一緒です。そして、それをうまく利用し、乗り越えた者が次の時代の覇者になるのも同じです。
「黄巾党の乱」は農民反乱であり、宗教的な要素も備え、またその乱に乗じて多くの軍閥も反乱を起こしました。国を治めていた漢王朝からしてみれば、反乱が一つではなく、次々と起こったようなものでたまったものではありません。最終的に張角は病死し、「黄巾党の乱」は終息しますが、漢王朝はそのまま滅亡の道を辿ることになります。

第一位:曹丕

物語の中では曹操の息子で、弟と後継者争いをして、漢王朝から皇帝の位を奪った人物と言うくらいの認識です。歴史的に見ればこの「漢王朝から皇帝の位を奪った」というのが最重要事項なのです。日本で言えば、源頼朝によって鎌倉幕府が開かれた、というようなものです。曹丕の記載無くして、漢王朝の滅亡、魏王朝の開始は語れません。また、演義では魏呉蜀の三国が対等のように書かれているかもしれませんが、魏王朝は漢王朝から正式に禅譲された王朝であり、支配していた地域も当時の中国十三州の内、九州を完全に支配していました。呉は揚州と交州の二州、蜀は益州の一州で、残りの一つである荊州を三国で奪い合っているという状態です。歴史学的に考えれば曹丕は秦の始皇帝や漢の高祖劉邦と同じように考えるべき人物なのです。

学問的(世界史)に重要な情報とは?

以上、世界のテストに三国志が出てくる場合、出題されたり、キーとなりそうな人物を挙げてみました。三国志演義では絶対に外せない、正史三国志でも重要な位置である、諸葛亮や関羽ですが、世界史的に見れば地方軍閥である劉備(玄徳)の元にいる一政治家及び一将軍でしかありません。それよりも献帝や陳羣の方が世界史的には大きな意味を持ちます。
最後に、今回は世界史的に考えてこの順位にしましたが、日本史的に考えた場合、ベスト3に入るくらいに重要な人物として魏の明帝(曹叡)が挙げられます。理由は、魏志倭人伝にある一文「邪馬台国の卑弥呼が魏の明帝に使者を送り、魏の国から金印が授けられた」に尽きます。漢の時代から日本と中国の国交はあったようですが、明確な文書に残されている日本の太古の記録こそ、魏の明帝(曹叡)に連なるものだからです。

関連する投稿


曹操(孟徳)を寝込ませてしまった左慈(元放)仙人の奇妙な話

曹操(孟徳)を寝込ませてしまった左慈(元放)仙人の奇妙な話

漢中平定を成し遂げ、さらに大乱戦の末、降伏には至らなかったものの呉に毎年貢物を献上させることを約束させた曹操(孟徳)は、216年に魏王を名乗ります。献帝が健在であるにも関わらず、その勢力はまさに日の出。いよいよ益州(蜀)を攻略すれば天下統一も目前…というところまで来ました。しかし、そんな曹操(孟徳)の前に奇妙な人物が現れ、次々に不思議な出来事が起こります。曹操(孟徳)にとっては吉兆かはたまた凶兆か…見て行きましょう。


三国志・もしもこの二人が激突していたら!?夢の対決を想像してみよう

三国志・もしもこの二人が激突していたら!?夢の対決を想像してみよう

三国志夢の対決「趙雲VS張遼」、「周瑜VS陸遜」、「曹操VS諸葛亮(孔明)」が実現した場合を想像してお伝えしていきます。


そこは違うぞ!!三国志のドラマや映画にひとこともの申す!

そこは違うぞ!!三国志のドラマや映画にひとこともの申す!

華流映画、ドラマでは三国志は人気の題材です。現地の監督や脚本家が筋書きや監修をしているので、私たち日本人はその描写を真に受けてしまいがちですが、史学的な観点から見ると「そこは違うぞ!」とツッコミを入れたくなってしまう描写が散見されます。今回はそういった相違点についてピックアップします。


三国志・曹操や孫策には評価されたが、孫権に疎まれた謀臣・虞翻

三国志・曹操や孫策には評価されたが、孫権に疎まれた謀臣・虞翻

あまり知られていない謀臣に呉の「虞翻」がいます。彼の才は孫策や曹操に認めらながらも孫権には評価されず、不遇を強いられています。三国志演義にはほとんど登場しない虞翻の活躍ぶりを見ていきましょう。


冷酷非道なだけではない 曹操(孟徳)の慈悲心が垣間見られる漢中攻略

冷酷非道なだけではない 曹操(孟徳)の慈悲心が垣間見られる漢中攻略

劉備(玄徳)が蜀漢を建国した翌年の215年、曹操(孟徳)は蜀漢討伐を目指しますが、まずは蜀の入口に位置する漢中を攻略すべく征西軍を編成します。険しい山岳地帯への行軍で緒戦は苦戦を強いられるますが、人的にも物量にも勝る曹操軍は次第に優勢となります。そして、そんな中で曹操(孟徳)は「冷酷非道」を行わず、むしろ慈悲心を見せる場面がたくさん登場します。この頃の曹操(孟徳)を見ると、一代で中国の3分の2を支配した「実力」に納得させられます。


最新の投稿


三国志から影響を受けた偉人たち

三国志から影響を受けた偉人たち

三国志の登場人物たちは古くから人々の憧れの的であり、武士の鏡、そして漢とはこうあるべきと彼らの生き方を人生の道しるべにしてきた人々は数え切れないほどいます。本記事では三国志から影響を受けた偉人たちについて紹介しましょう。


曹操(孟徳)を寝込ませてしまった左慈(元放)仙人の奇妙な話

曹操(孟徳)を寝込ませてしまった左慈(元放)仙人の奇妙な話

漢中平定を成し遂げ、さらに大乱戦の末、降伏には至らなかったものの呉に毎年貢物を献上させることを約束させた曹操(孟徳)は、216年に魏王を名乗ります。献帝が健在であるにも関わらず、その勢力はまさに日の出。いよいよ益州(蜀)を攻略すれば天下統一も目前…というところまで来ました。しかし、そんな曹操(孟徳)の前に奇妙な人物が現れ、次々に不思議な出来事が起こります。曹操(孟徳)にとっては吉兆かはたまた凶兆か…見て行きましょう。


もっと知ってほしい三国志後半の登場人物

もっと知ってほしい三国志後半の登場人物

三国志を知らない人でも劉備(玄徳)、諸葛亮(孔明)、曹操(孟徳)と言った名前は聞いたことがあると思います。しかし彼らは三国志の前半の方の登場人物で、特に諸葛亮(孔明)が死んでからは「そこで三国志が終わった」と思っている人もいることでしょう。ここでは三国志後半に出てきて、特に覚えておいてほしい登場人物について紹介したいと思います。


晋VS呉 三国の統一へ

晋VS呉 三国の統一へ

魏・呉・蜀漢が100年近くも争い続けた三国志も、蜀漢が滅び、魏は晋に禅譲し、残るは呉のみ。最後は呉が武帝(司馬炎)率いる晋に滅ぼされ、中国が統一されて終わります。これは正史でも演義でも同じです。最後の舞台となった晋と呉の決戦はどのように繰り広げられていったのでしょう!?


三国志・もしもこの二人が激突していたら!?夢の対決を想像してみよう

三国志・もしもこの二人が激突していたら!?夢の対決を想像してみよう

三国志夢の対決「趙雲VS張遼」、「周瑜VS陸遜」、「曹操VS諸葛亮(孔明)」が実現した場合を想像してお伝えしていきます。