三国志・曹操の恋愛事情は?三国志でもっとも良妻である卞夫人

三国志・曹操の恋愛事情は?三国志でもっとも良妻である卞夫人

曹操の妻として曹丕や曹植を産んだ「卞夫人」。彼女と、彼女以外で曹操の正室となった女性を紹介していきます。


曹操の最初の正室「劉夫人」

曹操の最初の正室「劉夫人」

曹操の最初の正室「劉夫人」

三国志に登場する数々の英雄たちの中でも抜きんでた器量を誇る曹操は、政治や戦争だけでなく芸術面でもマルチな才能を発揮しています。
はたして、そんな曹操が選んだ女性とはどのような人だったのでしょうか。

曹操の最初の正室は「劉夫人」だと記されています。
子供にも恵まれおり、「曹昂」がそのひとりです。曹昂は曹操に従軍していましたが、197年に降伏した張繍の裏切りにあって戦死しています。曹昂は、20歳で孝廉に推挙されたといいますから、彼が生まれたのは177年以前ということになります。曹操は155年生まれですので、22歳には正室を迎えていたことになりますね。黄巾の乱が起こる前になりますので、頓丘県令を務めている頃かもしれません。

劉夫人がどのような人物だったのか不明です。姓から推測するに、皇族や王族の血筋だった可能性があります。曹昂の他にも息子、娘を産んでいます。おそらく曹操にかなり愛されていたのではないでしょうか。しかし劉夫人は早くに亡くなってしまいます。そのとき、曹操はどれほど悲しんだことでしょうか。

曹操の二番目の正室「丁夫人」

曹操の二番目の正室「丁夫人」

曹操の二番目の正室「丁夫人」

劉夫人が早くに亡くなったために、次の正室に選ばれたのが「丁夫人」になります。どのような身分であったのかは不明です。残念ながら曹操との間には子供ができませんでした。丁夫人は前妻の子である曹昂を我が子だと思って可愛がって育てたそうです。曹操が選んだだけのことはあり、かなり芯のしっかりした女性だったと思われます。

197年に曹操に従軍した曹昂が戦死しますが、このとき曹操は降伏した張繍の族父の未亡人を妾にし、油断した隙を突かれたのです。曹昂は父である曹操に馬を譲り、曹操を逃がすために自分の命を犠牲にしました。曹操はハニートラップに見事に引っかかり、大事な嫡男を失うことになってしまうのです。

理由も理由だけに、丁夫人は号泣し、私の子を殺したと曹操を罵り、曹操のもとを去ります。曹操としては扱いに困り果て、親元に丁夫人を帰したわけです。別居状態ですね。その後、曹操は自らの非を認め謝罪に訪れましたが、丁夫人はそんな曹操を完全にシカトしたといいます。そして正室としての立場を捨てるのです。とにかく、絶対に曹操だけは許さないという主張が伝わってきますね。

曹操の三番目の正室「卞夫人」

曹操の三番目の正室「卞夫人」

曹操の三番目の正室「卞夫人」

劉夫人が早くに亡くなり、丁夫人が離婚したことによって正室の座が空きます。ここに指名されたのが早くから寵愛を受けていた「卞夫人」でした。
曹操の妻としてもっとも有名なのが彼女でしょう。この後、曹操が没するときまで正室の座を守り続けました。魏の皇帝に即位する曹丕の母親でもあります。他にも猛将として畏れられた曹彰や詩聖として名を馳せる曹植の母親です。子供たちの能力がそれぞれ高かったことから卞夫人もかなりの器量だったことがうかがえます。

しかし卞夫人はかなり身分が低い出身だったようです。もともとは歌妓で、曹操の目に留まり179年から側室となっています。当時は20歳でした。もしかすると劉夫人を失ったショックを和らげてくれたのが卞夫人の奏でる音色や舞いだったのかもしれません。
歌妓の立場から曹操の側室となり、やがて正室に、そして曹操が魏王となるや王后となり、息子が皇帝となると皇太后となっています。三国志に登場する女性の中でもっとも出世したのが卞夫人なのです。諡号は「武宣皇后」です。

卞夫人の器量を物語るエピソード

卞夫人の器量を物語るエピソード

卞夫人の器量を物語るエピソード

出自が歌妓ということで派手でイケイケなイメージのある卞夫人ですが、実は真逆なタイプで、非常に倹約家で、とても礼儀正しく、賢かったと記されています。
客を招待しても肉や魚といった料理を出すことはなく、野菜や粟飯でもてなしました。曹操は序盤に多くの戦を繰り返し行っていますが、常に兵糧不足の危機に瀕しています。倹約することは生き残るために欠かせぬ心構えだったのではないでしょうか。卞夫人はそれを忠実に実行することができました。
曹操は珍しい宝物を手に入れるとひとつだけ卞夫人に選ばせましたが、卞夫人は必ず中級品を選びました。欲深い女と曹操に思われることを避け、かといってわざとらしく価値の低い物を選ぶのも疑いを招く恐れがあったためです。リスク管理ができるかなり用心深い女性だったことがわかります。

さらに卞夫人の株を上げたのは、追い出された丁夫人への対応です。卞夫人は正室となった後も丁夫人を尊重しています。曹操の不在時には時折招待していますが、上座に丁夫人を座らせました。以前は身分の卑しい卞夫人に対し意地悪が多かった丁夫人ですが、卞夫人の変わらぬ待遇に感動し、感謝するようになりました。丁夫人が亡くなった際には卞夫人が埋葬の許可を曹操に願い出ています。

自分が産んだ子以外も平等に養育し、曹丕が正式に太子に選ばれた際にも特別喜ぶことなく、周囲からの祝いの言葉に対しても、ただ年長だからだときっぱりと答えたそうです。冷酷な曹丕もこの母親にだけは逆らうことができなかったようで、曹植を処刑しようとした際には母である卞夫人に止められて断念しています。
ちなみに曹丕の没後も健在で、孫である曹叡が皇帝に即位した際には太皇太合となりました。

まとめ・曹操と魏を支えた卞夫人

まとめ・曹操と魏を支えた卞夫人

まとめ・曹操と魏を支えた卞夫人

苦難の連続であった序盤の頃の曹操を支え、曹家を皇帝になるまでに盛り上げたのが卞夫人でした。まさに魏の屋台骨であり、魏の建国に貢献した英雄のひとりといえるでしょう。
想像するにかなりの美貌だったと思われますが、曹操はその容姿以上に卞夫人の人柄や能力に惚れていたのではないでしょうか。人の能力を見抜く力がずば抜けていた曹操に長く認められていたわけですから相当な器量の持ち主です。
女性の立場で語られる三国志があるとすれば、主役は間違いなく彼女でしょう。

ただし卞夫人ほどの女性をもってしても、息子夫婦である曹丕と甄夫人の仲を修復することはできませんでした。この影響が卞夫人没後の曹叡(明帝)の暴走に繋がっていくことになります。そして曹家の力は、司馬懿の一族によって次第に弱められていくのです。
卞夫人の跡を継げるほどの女性がいれば、魏は滅亡することがなかったかもしれませんね。





この記事の三国志ライター

関連するキーワード


卞夫人 曹操

関連する投稿


三国志の美女で”総選挙”!誰が一番人気!?

いつの時代も美人とは生きていく上で有利に働き、世の中の男を虜にします。三国志の歴史の中にも絶世の美女というの何人か存在しており、長くその存在が知らしめています。今回はそんな戦乱の世の中でも強く美しく生きていた美女たちを紹介します。


三国志の人材コレクター!曹操が集めた魏の武将たち

群雄割拠の三国時代において、抜きんでた兵力を誇った魏の国。その礎となったのは、「人材コレクター」の異名を持つ曹操孟徳が集めた、優れた武将たちの働きでした。曹操は優秀な人材なら出自を問わず重用し後の蜀の皇帝・劉備(玄徳)の腹心である関羽まで手に入れようとしたほどです。そんな曹操のもとに集った腹心たちをご紹介します!


女性目線から見た「関雲長」曹操と関羽

関羽、男として魅力的。義の人、一騎当千。曹操、悪党のイメージ強いです(泣)。策略家、女好き、等関羽に比べあまり印象が良くないです。この二人を主人公にした映画から、曹操の片思いに重点を置いて観てみようというこの企画。宜しかったら最後までお付きお願いします。


三国志 ー司馬懿の逆襲、そして晋へー

曹操に強引に出仕させられたのに、天才的な才能を警戒され重職に就けなかった司馬懿。今、司馬懿の逆襲が始まる。そして晋へ。


三国一のお酒好き!?画期的な酒造法を広めた曹操孟徳と日本酒の意外な関係

お酒に縁の深い三国武将と聞いて、真っ先に浮かぶのは誰ですか?『三国志演義』でお酒に関する失敗が多く描かれている張飛益徳?それとも宴会が大好きだったという呉の孫権仲謀?いえいえ、それより縁が深いのは、魏の君主・曹操孟徳なのです。今回は彼と日本酒の意外な関係や、お酒にまつわるエピソードなどをご紹介いたしますね!


最新の投稿


燃ゆる背に風が鳴る。黄蓋・苦肉の計、苦肉の策

西暦二〇八年、長江の水面に、ひとつの決意が沈んでいた。曹操、北の地をほぼ制し、南へ。押し寄せる黒い雲のような大軍に、江東は揺れる。主戦の旗を掲げた周瑜に、ためらう声が重なる、「降れば命は繋がる」。だが、その軍議の輪の外で、ひとりの老将が背を伸ばしていた。名は黄蓋。


人中に呂布あり ― 奉先、馬中に赤兎あり、呂布入門!

後漢の末、彼の名は風のように戦場を駆け抜けた。呂布、字は奉先。人は「人中に呂布あり、馬中に赤兎あり」と讃えたが、同時に「三姓の家奴」と蔑んだ。最強の矛と、最も軽い信。――この二つが、彼の生涯を裂いたのだが、強さ上の人気、呂布について、初めての方に紹介しよう。


馬氏五常、白眉最良」~兄弟の中で最も優れた者~

中国三国時代、馬氏5人兄弟は、みんな優秀な人物でした。その中で蜀の馬良が、最も才能があったそうです。そして、眉に白い毛が混じっていたことから「白眉」とあだ名され、「馬氏の五常、白眉最もよし」と称えられて、故事になりました。どうして、それほど優秀だったのでしょう? エピソードを見てみましょう。


長坂坡の橋で一喝 - 単騎、敵軍を睨み据える

三国志の数ある名場面の中でも、ファンに強烈な印象を残すのが「長坂坡(ちょうはんは)の戦い」での張飛のエピソードです。 「我こそは燕人張飛である!」――たった一人の叫びが、数万の曹操軍を押しとどめたと言われています。


錦の袋の三つの計 ― 周瑜の包囲を破る諸葛亮の知略

周瑜の罠に落ち、孤立無援の劉備軍。だが趙雲の懐には、諸葛亮が託した「錦の袋」があった。三つの計略が、絶体絶命の状況を逆転へと導く。


アクセスランキング


>>総合人気ランキング