初心者でも早分かり! 三国志人物伝【孫呉の英雄】(呉①)

初心者でも早分かり! 三国志人物伝【孫呉の英雄】(呉①)

三国の中でも地味な印象をなっている呉ですが、実は有能な人材が多く、その力は魏にも匹敵していました。孫堅・孫策・孫権ら魅力的な主君のもと、黄蓋・程普・周瑜ら優秀な武将たちが勢ぞろいしています。ここでは三国志人物伝として孫呉の英雄たちを軽く紹介していきます。


孫呉の基礎を作った英雄【孫堅】と【孫策】

孫堅は家柄も有名ではなく、後漢時代には身分の下のクラスといえました。しかし、己の才覚でのし上がり、軍の指揮をとると反乱軍を制圧するなど貢献して、ついには長沙の太守にまで登りつめます。董卓が都を牛耳るようになると、反董卓連合が組まれ、孫堅は袁術の一将として参戦しています。

この戦いでは董卓軍の主力だった華雄や呂布を打ち破る功績を挙げています。しばらく袁術の配下として活動しており、袁紹と袁術が仲たがいをするようになると、袁紹派の劉表を攻めるようになります。孫堅は劉表を攻めたてますが、襄陽の戦いで流れ矢に当たり、重傷を負って死んでしまいます。

江東の覇者となった孫策

孫策は孫堅の後継者ですが、父が亡くなったときにはまだ若いからと袁術に兵を取り上げられていました。しかし、袁術に評価されていた孫策は、父の仇を討ちたいと袁術に願出でており、1000名ばかりの兵隊を預かっています。孫策は旗揚げ当時、劉表軍に敗れ去りますが、孫策の元には孫堅時代の幕僚だった黄蓋や程普らが配下に就き、新たに周瑜や魯粛といった後の呉を支える名将たちが揃うようになります。

勢力を巻き返した孫策は、江東を制圧していき、瞬く間に一代勢力にまで登りつめます。その勢いは父を彷彿させますが、まだ袁術の配下として活動していました。袁術が皇帝を自称するようになると、孫策は袁術から独立し、中原を支配していた曹操に接近します。袁紹との一大決戦を控えていた曹操は喜んだといわれています。孫策は、袁紹との戦いで許昌を留守にしがちの曹操の背後を急襲しようと狙いますが、刺客に襲われて重傷を負ってしまい、若くしてわずか25歳でこの世を去りました。

若くして名君となり、父や兄を超えた【孫権】

孫権は孫策の跡を継ぎます。当初は19歳と若く、勢いのあった孫策の元に集結していた各武将たちは孫権を軽視していました。しかし、呉の主力となっていた周瑜や張昭が率先して臣下の礼を取っており、各将たちもそれに倣いました。

孫権は重臣の意見をよく取り入れ、孫策のような苛烈さはないものの、内政は張昭を中心とした文官に任せ、軍は黄蓋や周瑜らに任せています。まだ若い孫策が急死し、さらに若い孫権が後継者となっていたので、態勢は盤石とはいえませんでしたが、孫権には孫堅時代の功臣や孫策が連れてきた有能な臣下らが揃い、呉は強力な国家として独立していくようになります。

孫権は父や兄よりも長生きし、後の呉を建国して皇帝を称するようになります。晩年は判断力も衰えるようになり、後継者争いで国が乱れるようになってしまい、それまでの功臣だった陸遜らを遠ざけるようになって、呉の力は衰退するようになっていきます。それでも孫権が存命中には強大な魏とも抗戦を繰り返していき、孫権は名君として名を残しています。

宿将として孫呉3代で活躍した【黄蓋】と【程普】

黄蓋は呉の名将として活躍していました。孫堅の挙兵時から付き従い、孫策の代になっても重鎮となっています。孫権が君主となると、黄蓋は各地で戦果を挙げていき、孫権の信頼も厚いものとなりました。黄蓋は威厳がある風貌をしていましたが、末端の兵にまで優しく接するなど、将兵にも人気がありました。

黄蓋は若い都督の周瑜と折り合いが悪かったといわれています。宿将として存在していた黄蓋は周瑜を軽視するようになりますが、周瑜が常に下手になり黄蓋を持ち上げたため、遂には周瑜の指揮下に入ることを認めています。

赤壁の戦いになると先陣を切り、偽りの投降として曹操の船団に火を放ちます。またたくまに燃え広がった曹操の船の中、黄蓋は曹操軍を急襲し、現場は混乱していきます。しかし、黄蓋は敵兵の矢に当たってしまい重傷を負いました。一命は取り留めた黄蓋はその後も呉の将軍として活躍していきます。

一番出世したのが程普

程普は孫堅の代から追従し、董卓との戦いでも貢献しています。孫策が挙兵するようになると、その配下になり、多くの戦いで戦果を挙げました。孫策の江東制圧に最も貢献したといっても過言ではなく、孫策からの評価も高いものとなりました。孫策は若い人材も重宝したので、程普はまだ若輩者で出世していた周瑜と折り合いが悪くなります。しかし、周瑜は黄蓋や程普といった孫堅時代の功臣を丁寧に扱い、決して横暴な態度を取らなかったので、程普も周瑜の人柄に惹かれ、その配下になることを認めました。

孫権が後継者になると、張昭らと結託し、率先して孫権に臣下の礼をとるなど尽くしています。孫権体制では各地で反乱が勃発しますが、程普はそのたびに出陣し、制圧していきます。孫堅時代の宿将の中では最も昇進し、周瑜と並んで都督となりました。程普は215年に死去しますが、その際には孫権は深く悲しみ、周瑜と同等の評価をしていたと云われています。

呉の名将といえば、やはりこの人【周瑜】

呉の武将として最も有名なのがやはり周瑜でしょう。周瑜は容姿端麗で頭脳明晰という三国志の中でも極めて人気のある武将といえます。若くして孫策や魯粛らと知り合い、互いにその実力を認め合っていました。孫策が旗揚げする頃には参戦しており、多くの献策をしています。孫策と共に出陣することもあれば、留守を任されることもあるなど、主従関係は良好といえました。

孫権が跡を継ぐと、周瑜は張昭らとともに臣下の礼を率先してとり、その体制を盤石のものとします。周辺民族や各地の反乱を急襲し、数多くの戦いで功績を残しています。中でも周瑜の名を上げたのが、やはり赤壁の戦いといえるでしょう。強大な勢力となっていた曹操が南下するようになると、各重鎮たちはたちどころに降伏を進言します。しかし、周瑜と魯粛は抗戦を主張し、都督として総指揮権を預かります。

赤壁の戦いでは火計を持ちいり、見事曹操軍を退けています。周瑜はすぐさま荊州争奪戦に乗り出し、曹操軍を追い払っています。しかし、その時の矢傷が原因で体調不良をするようになってしまいます。周瑜は荊州から益州を乗っ取り、馬超ら西涼の馬超らを味方につけて一気に中央に乗り込めば曹操を倒せると進言しています。

実際にその遠征軍が敷かれるようになりましたが、周瑜は矢傷から重傷となり、35歳という若さでこの世を去りました。周瑜の死は呉にとっても大きなものとなり、都督の地位は魯粛が跡を継ぎます。万が一周瑜が長生きしていれば、諸葛亮の天下三分の計は成し得なかったかもしれません。

ちなみに周瑜は三国志演義では諸葛亮の引き立て役となり、その智謀はどの武将たちよりも優れていますが、諸葛亮はその上をいく頭脳を見せています。何をやっても諸葛亮に勝てないと描かれており、最後は諸葛亮の策略で死んでしまいます。

まとめ

呉の主力といえば孫策時代の周瑜になりますが、やはり黄蓋や程普といった孫堅時代の宿将たちも忘れてはいけません。魅力的な主君の下に集まったのはまだまだいます。魯粛や呂蒙、甘寧や太史慈、張昭など、今後ご紹介していきます。

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