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三国志で悪名高い武将や君主は多数存在します。アンケートを取ったら董卓(仲穎)がトップになるのではないかと思う訳ですが、もしそれが「女で!」というアンケートだったらどうでしょう。間違いなくノミネートされるのは賈南風ではないでしょうか。そんな最悪な女、賈南風について紹介したいと思います。
三国志の中でも悪役といわれるのが袁術(公路)です。三国志の初期から登場し、名門袁家の出身で多くの兵を持ちながら天下を手にすることができませんでした。それでも曹操(孟徳)や劉備(玄徳)、孫堅(文台)、董卓(仲穎)といった権力者たちに与えた影響力は大きいものでした。そんな袁術はどのような人物かみていきましょう。
三国志 正史でも演義でも評価の高い魏の 李典 は、まさに蜀の趙雲
三国志(時代)の魏には多くの名将や智謀の臣がいますが、その中のひとりに「李典」がいます。地味なイメージの強い李典ですが、蜀の趙雲のような活躍をしているのです。
三国志の登場人物の服装と大河ドラマに登場する武将の着物をよく見ると、大きな違いがあることがわかります。国や文化の違いはさることながら、着こなしに注目してもその差は歴然です。 本記事では中国服装史が伝える三国時代当時の服装について、詳しくご紹介します。
「誰でもよいから三国志の登場人物をイメージしてみて」と言われたら、あなたはどんな人物像を想像しますか?趙雲のように鎧を身に纏った武将でしょうか。それとも諸葛亮のように白い着物と冠を被った文官でしょうか。今回は、我が国の服装にも影響を与えた中国服装史から、当時の衣服や冠についてご紹介します。
三国志で内閣を組織してみると、魏はどんな大臣が閣僚になっているか
三国志で一番勢力を築いたのが魏です。曹操(孟徳)が自ら丞相として将軍たちを引っ張り、領土を拡大していきました。もしも現在の日本のように内閣制度があれば、どのような人物が大臣に就いて国土を豊かにしていったのでしょうか。現行の国務大臣や架空の省庁を作って、魏がどれだけ富国強兵に長けているか見ていきましょう。
あまり有名ではありませんが、その活躍ぶりは特筆すべきなのが、蜀と呉にいる「馬忠」です。まったく異なる二人の活躍ぶりをご紹介いたします。
三国志・劉備(玄徳)に侵略された益州はなぜ一枚岩になれなかったのか
劉備(玄徳)に支配される以前の益州はどのようになっていたのでしょうか。州牧の提案者でもある「劉焉」を中心にして益州の動きをお伝えしていきます。
6つの国を滅ばした始皇帝、中原の覇者となった漢の皇帝、あの広い中国大陸で最強と謳われた武将たちも恐れていた存在があります。それは、異民族の存在です。 その異民族の中でも長年漢民族の脅威となったのが 匈奴 という民族。今回は匈奴についてご紹介しましょう。
孫家が築き上げた「呉」。三国志演義といえば魏と蜀の衝突が大きく映りますが、孫家もまた波瀾な人生を歩んでいます。呉は、孫権の孫・孫皓によって滅亡へ。しかし、孫堅や孫策らのエピソードを知ることで、呉への思い入れが強まるかもしれません。あまり登場しない孫翊・孫匡・孫朗もちょっとご紹介します。
曹操と孫権が大激突した「赤壁の戦い」。しかしその戦いに至るまでには計算された戦略があったかもしれないのです。はたして赤壁の戦いは誰が仕組んだものなのか推測していきます。
曹操の配下には勇将、名将が多く名を連ねていますが、その中で欠かすことのできないのが「楽進」です。楽進の勇猛果敢ぶりをご紹介いたします。
由緒正しい場所や建物にはなにかしらの有名な故人にまつわる由来や伝説がつきものです。中国のとある場所では、ある三国志の英雄にちなんだ地名や名所があります。三国志の舞台めぐりをする前にぜひこの記事で予習してみましょう。
太古の昔から、人々は周りから尊敬されていた偉人の偉業や反対に恨まれた人の非道さを例として子供たちに語り継ぎ、人生の教訓や戒めとしてきました。それは三国志の英雄たちも例外ではなく、「この御人のように育ってほしい」という親の願いを代弁してきました。中国の民間伝承ではどのように伝えられてきたのでしょうか?
三国志をざっくりとしか知らない日本人の多くは、劉備(玄徳)はいい者、曹操(孟徳)は悪い人という認識をしているのではないでしょうか?しかし話はそんな単純ではなく、君主には自分の信念というものがあるものです。簡単に君主像を紹介するのであなたはどの君主を手助けするか、守備を中心に三国志の世界に入り込んでみましょう。
曹操の家臣には名だたる軍師・参謀がいますが、その中でも個性的なのが「程昱」です。しかしこの程昱、荀彧や郭嘉に比べると人気が低いようです。その理由を探ります。
三国志の時代には魏・呉・蜀が競い合っていましたが、蜀が最初に滅んでいます。皇帝だった劉禅はその後いったいどうなったのでしょうか。今回は劉禅についてご紹介いたします。
蜀を建国した劉備(玄徳)は仁徳の士として有名ですが、だれからも好かれていたわけではなく、配下になって初めて心を開きかけた人物もいます。それは政治家でもある劉巴(子初)です。張飛(益徳)をあしらい、諸葛亮(公明)ですら一目を置いた政治力はどのようなものだったのでしょうか。
三国志・司馬氏への反乱で、最も司馬氏を追い詰めたのはどれだったのか
巨大な権力を手にする司馬氏ですが、その専政に抵抗する勢力も多々ありました。今回はそんな司馬氏への反乱をご紹介し、最も司馬氏を追い詰めた反乱を探してみます。
奇奇怪怪な事件、神秘的な事件のみを記録している「捜神記」。この書物は三国志が幕を下ろした晋朝時代に書かれており、三国志の時代からそれ以前の怪談を集めている大変貴重な資料です。その中から「これは怖い」と感じた怪談を紹介します。